行くぞ甲子園

東北大会ベスト4記念タオル

女川で伝え続ける東日本大震災

夏に向けて燃えろ 蛍雪健児
2018 秋季東北大会
71’秋季東北大会 準々決勝 古川対秋田修英(速報中)

71’秋季東北大会 古川対弘前東(速報中)*古高、歴史的勝利!!!!!

決勝 対仙台育英 試合前

決勝 古川 対 仙台育英 (速報中)

決勝戦さくらしんちゃんさん動画

準決勝 試合開始(速報中)古川高校の勝利 東北大会出場決定!!!!!!!

準々決勝 速報中 古川 vs 東北 古高逆転!!スクイズで4点目!!古高勝利!!

古高激闘の記録

Baseball mechanics

星合愛人と古高校歌

古川、57年ぶり東北大会出場 文武両道球児 夢に挑む(河北新報)

古高激闘の記録3 古川ー東北(昭和61年)

沼倉先生語録

古高激闘の記録10 古川ー東北 (2)(昭和61年)

古川高校の歴史

古高野球部栄光の歴史と紹介
記録室 and 資料館

MLB mechanics

古高野球部関係記事

ダルビッシュ本熟読の鈴木が好投 古川、春準V・柴田を撃破!(スポーツ報知)

野球部の歴史と応援歌の由来 (古中古高百年史より)
私の甲子園について 鈴木進 (古中古高百年史)「自分の命は自分で守って」子どもたちに震災語り続ける (朝日新聞)

古高激闘の記録2 古川ー宮城工

昭和26年 古川高校 初優勝
23年前の東陵初優勝
野球部神宮大会出場の回想 監督 高橋 養/ 昭和38年卒 野球部 宮本文寿
カラーで蘇る古高写真(古中古高百年史より抜粋)
1927(昭和2年)東北中等学校野球大会記(古中古高百年史より)

ベースボールマガジン増刊 昭和30年3月

新入生への部活紹介の思い出∙Hさんの謎

古高激闘の記録4 古川-佐沼(平成元年)

第66回春季宮城県大会 準々決勝 古川ー仙台育英

古高野球部の父、吉野作造

昭和61年度 選手権宮城大会総集編

幸福のかたち: 3.11後の選択

ぐるっと東北母校をたずねる 古川高

古高激闘の記録19 古川対一迫商(H15)

古高激闘の記録20 古川対東北(S63)
古高グラウンドに行ってみた

Gamesmanshipとは何か?

桐蔭学園 大塚喜代美投手
(Please wait for a while. It may take a few moments to show gallery on your device)
18 January 2013
04 January 2013
田村選手の記事、朝日新聞全国版に載る。1/3/13
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*このブログでもたびたびお伝えして来た野球部OBの田村健太選手とそのご両親の記事が昨年末の朝日新聞の全国版に掲載されたのでここにお伝えする。
朝日新聞2012年12月29日 朝刊
http://www.asahi.com/national/intro/TKY201212280848.html
年の瀬に2012 被災地から 上
健太は生きる ミットとともに
男の子が生まれたら野球をやらせたい。それが父、田村孝行さん(52)の夢だった。
長男、健太さんが野球を始めたのは小学校の頃だ。守備位置は捕手。父の母校、宮城県立古川高校へ入学し、そこの野球部でも捕手だった。
同級生には頼もしい存在だった。足腰を痛めて退部を考えた友に「来たらいいべや」と強く明るく言うこともあった。友はマネージャーとして復帰した。
だが、当時、自分も腰を痛めていた。2年生の年の瀬、実業団や大学の選手も通うという整体師を頼った。「失敗すれば野球ができなくなる」と父が諭しても聞かず、荒療治に臨んだ。
翌日、立てなくなった息子を見て、父は「もう野球はできない」と思った。だが、「あきらめる」とは言わず、黙って歩く練習を始めた。年が明け、考えぬいたように父に言った。これまでより高級なミットがほしいと。審判員の資格をもち野球に通じた父は、最後の夏にかける息子の覚悟を理解した。仙台市の店へ一緒に買いに行った。
そのミットを手に挑んだ3年の夏の宮城大会。古川高は8強入りを果たした。
息子が繰り返したガッツポーズが父の脳裏に焼き付いている。野球を始めてから4個目のミット。それが最後のミットになった。
健太さんは大学卒業後、地元の七十七銀行に就職した。
昨年3月11日は宮城県女川町の支店で勤務していた。地震後、支店長ら12人と共に2階建ての支店屋上に避難し、津波で流された。25歳。翌週、恋人を両親に紹介する予定だった。
父と母弘美さん(50)は浜を歩き、捜しつづけた。野球部の仲間も仕事の合間を縫い、捜索に加わった。海で見つかったのは9月26日だ。
「なぜ高台へ避難しなかったのか」「守ってあげられなくて、ごめんね、ごめんね」。
息子がいない現実を受け止められず、遺骨は今も同県大崎市の自宅の祭壇にある。
なぜ親が子どもの墓を、と繰り返し思う。
それでも、今年の夏、父は、親類が眠る近所の石雲寺に墓所を決めた。80歳の和尚が、息子の霊を慰め、両親も慰めるために作ってくれた七言絶句の漢詩を墓碑に刻むことにした。
お墓をさみしい場所にしたくない。みんなが集える場所にしたい。父はそう考え、思いついた。「健太にミットを持たせたい」
石材店が、山形県の川崎町に暮らす彫刻家、平泉正司さん(53)を紹介してくれた。
9月22日、両親は平泉さんを工房に訪ね、息子のミットとボールを預けた。
5日後、平泉さんからメールが届いた。「四国の庵治(あじ)石を使います。最高級の石です」。その後も経過報告と写真が来た。ほこりをかぶらないようガラスケースに入れられたミットの写真もあった。
11月17日、再び工房を訪ねた。母が声を上げた。「そのまんまだ・・・・・・」。
ボールをはさんだミット。縫い目まで再現された石の彫刻だ。「息子が一番喜びます」。笑いながら涙がほおを伝う。父は「休みの日はお墓へ掃除に行くようになると思います」と言いながら、石のミットをなでた。
10日後、完成品の写真が届いた。薄茶色に染められ内側には黒い色づけ。使い込んだ跡だ。「健太さんの歴史を刻むことができたら」と平泉さんはメールに書いた。
ミットは墓の右側に備えつける。「ミットと共に健太は生き続ける」。そう父は願う。
来年の三回忌。みんなが集まれる土曜日に納骨を行う。
野球部の仲間も集う。
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朝日新聞2012年12月29日 朝刊
http://www.asahi.com/national/intro/TKY201212280848.html
年の瀬に2012 被災地から 上
健太は生きる ミットとともに
男の子が生まれたら野球をやらせたい。それが父、田村孝行さん(52)の夢だった。
長男、健太さんが野球を始めたのは小学校の頃だ。守備位置は捕手。父の母校、宮城県立古川高校へ入学し、そこの野球部でも捕手だった。
同級生には頼もしい存在だった。足腰を痛めて退部を考えた友に「来たらいいべや」と強く明るく言うこともあった。友はマネージャーとして復帰した。
だが、当時、自分も腰を痛めていた。2年生の年の瀬、実業団や大学の選手も通うという整体師を頼った。「失敗すれば野球ができなくなる」と父が諭しても聞かず、荒療治に臨んだ。
翌日、立てなくなった息子を見て、父は「もう野球はできない」と思った。だが、「あきらめる」とは言わず、黙って歩く練習を始めた。年が明け、考えぬいたように父に言った。これまでより高級なミットがほしいと。審判員の資格をもち野球に通じた父は、最後の夏にかける息子の覚悟を理解した。仙台市の店へ一緒に買いに行った。
そのミットを手に挑んだ3年の夏の宮城大会。古川高は8強入りを果たした。
息子が繰り返したガッツポーズが父の脳裏に焼き付いている。野球を始めてから4個目のミット。それが最後のミットになった。
健太さんは大学卒業後、地元の七十七銀行に就職した。
昨年3月11日は宮城県女川町の支店で勤務していた。地震後、支店長ら12人と共に2階建ての支店屋上に避難し、津波で流された。25歳。翌週、恋人を両親に紹介する予定だった。
父と母弘美さん(50)は浜を歩き、捜しつづけた。野球部の仲間も仕事の合間を縫い、捜索に加わった。海で見つかったのは9月26日だ。
「なぜ高台へ避難しなかったのか」「守ってあげられなくて、ごめんね、ごめんね」。
息子がいない現実を受け止められず、遺骨は今も同県大崎市の自宅の祭壇にある。
なぜ親が子どもの墓を、と繰り返し思う。
それでも、今年の夏、父は、親類が眠る近所の石雲寺に墓所を決めた。80歳の和尚が、息子の霊を慰め、両親も慰めるために作ってくれた七言絶句の漢詩を墓碑に刻むことにした。
お墓をさみしい場所にしたくない。みんなが集える場所にしたい。父はそう考え、思いついた。「健太にミットを持たせたい」
石材店が、山形県の川崎町に暮らす彫刻家、平泉正司さん(53)を紹介してくれた。
9月22日、両親は平泉さんを工房に訪ね、息子のミットとボールを預けた。
5日後、平泉さんからメールが届いた。「四国の庵治(あじ)石を使います。最高級の石です」。その後も経過報告と写真が来た。ほこりをかぶらないようガラスケースに入れられたミットの写真もあった。
11月17日、再び工房を訪ねた。母が声を上げた。「そのまんまだ・・・・・・」。
ボールをはさんだミット。縫い目まで再現された石の彫刻だ。「息子が一番喜びます」。笑いながら涙がほおを伝う。父は「休みの日はお墓へ掃除に行くようになると思います」と言いながら、石のミットをなでた。
10日後、完成品の写真が届いた。薄茶色に染められ内側には黒い色づけ。使い込んだ跡だ。「健太さんの歴史を刻むことができたら」と平泉さんはメールに書いた。
ミットは墓の右側に備えつける。「ミットと共に健太は生き続ける」。そう父は願う。
来年の三回忌。みんなが集まれる土曜日に納骨を行う。
野球部の仲間も集う。
(小野智美)
東日本大震災から2年目の年が暮れようとしている。失った家族をおもいながら、前を向く人たちの物語を3回にわたり伝える。
20 December 2012
02 December 2012
いざ立てよ我らが野球部!
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今年7月8日に田村さん(写真右)が野球部の横断幕を渡しに行った際の写真です。朝日新聞から提供されたものだそうです。OBの皆さん、ユニフォームと坊主頭を見ると、いつの時代も古高野球部は変わらないですね!
キャプテン、メンバーも非常に良い顔をしてます。野球部は他の生徒が私服の中、異様に日焼けした顔に学ランですぐ見分けつくのが特徴でした。
貴重な青春時代をただ白球を追うことだけに懸ける。。。
頑張れ、古高野球部!いよいよ古豪復活だ!!
26 November 2012
お知らせ。
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田村選手の地元同級生 大学の野球部の仲間が中心となり署名活動をするとの事。
於・仙台・東二番町かどダイエー


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12月1日 11時から昼の時間街頭署名活動。
署名のお願い
昨年3月11日、東日本大震災が発生しました。宮城県仙台市に本店を置く地方銀行(株)七十七銀行の女川支店において、大津波警報発令後、支店長の指示にて行員13名が2階建ての支店の屋上へ避難し、津波に襲われるという事件が発生しました。
1名は奇跡的に漁船に助けられましたが、残りの12名のうち、4名は死亡し、8名が行方不明のままです。あの時、津波が来るまで30分以上も時間がありながら、なぜ、13名は屋上にとどまらなければならなかったのでしょうか。走れば1分で行けた高台(女川町の指定避難場所・堀切山)があったのに、なぜ、屋上で待たなければならなかったのでしょうか。
女川町には他の銀行もありましたが、大津波警報発令後すぐに高台へ避難しています。なぜ、七十七銀行だけがこのような結果になったのでしょうか。
これは銀行の管理下で起きたことです。会社の危機意識、従業員の命を守るための安全管理はどうだったのでしょうか。
今年9月11日、震災から1年半の節目に、私たちは、七十七銀行を相手に安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求訴訟を提起致しました。原因があったからこそ、こうした悲惨な結果が出たのです。この裁判において、私たちは、これまでの銀行の防災体制や当日の本支店の対応など一つ一つを検証し、原因を究明していく予定です。そして、二度と同じことを繰り返さないために、再発防止策の確立を働きかけていくつもりです。
昨年4月、頭取からは家族に対して「人災」という言葉が出ましたが、昨年9月の家族への説明会では「道義的責任」へと変わりました。その後は「やむを得ない判断だった」と責任逃れに終始しています。銀行からは検証結果の報告も再発防止策の説明もありません。
私たちは、七十七銀行に対し、企業の法的責任を認めさせた上で、きちんと謝罪させ、抜本的な再発防止策を提示するように、求めていく考えです。将来予想される東南海地震・首都圏直下型地震に備え、本件を教訓として、本件を風化させず、来るべき震災においても、「大切な命」を1人でも多く守れるようにと強く願っています。
皆様におかれましては、上記の趣旨をご理解いただき、(株)七十七銀行へ提出するための署名にご協力いただきたくお願いいたします。お手数をおかけいたしますが、署名していただいた用紙は、第一次集約として、平成25年1月末日までに、同封の返信用封筒にてご返送くださるようにお願いいたします。署名用紙が足りない場合は、コピーしてご活用いただきますようお願いいたします。
最後に、皆様のあついご支援を賜りますようどうぞよろしくお願い申し上げます。
(株)七十七銀行 氏家照彦頭取 殿
私達は、屋上への避難指示は、従業員の生命を守るという観点から、明らかに不適切であるため、㈱七十七銀行に対し、この点について、法的責任を認めた上での謝罪と、今後の抜本的な再発防止策の立案・確立を求めるとともに、これらを、広く公表することを強く要請致します。
御 名
前
|
御 住 所
|
■署名送り先
郵便番号 980-0811
仙台市青葉区一番町2-10-24 翠(みどり)ビル2F
一番町法律事務所内 77署名受付


13 November 2012
田村孝行様より 2 11/12/12
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古川高校野球部 皆様へ
田村 健太 父 孝行
平成24年度卒業の三年生の皆様には、特に夏の大会前に、突然震災で被災した先輩(健太)の話に接しどの様に受け止めたら良いのか戸惑わせ大変申し訳ございませんでした。また下級生の皆様にも同様だったと存じます。
しかし、皆様にはこの古川高校又古高野球部を誇りに心に思い続けていた、今は亡き健太を先輩として夏の大会のベンチにまで連れて頂き、本当に胸に余る嬉しさ誇りを健太と一緒に重く心に受け止めさせて頂き深謝申しあげます。
今後とも、健太そして私の母校 古高を応援しながら生きる力を得ながら日々「諦めず」人生を歩んで行きます。
そして皆様にとっては、今は、何気ない毎日と思う時も時には有ると思います。しかし今は通過点です。野球も通過点、人生も通過点です。今、古高生活で様々な絆が生まれたはずです。その絆を永遠に繋ぎ続けひとりひとりの人生の歩みの糧として歩んでください。
古川高校は、人生のスタートラインと言っても過言ではありません。母校で学んだ「質実剛健」の志は体に染みついています。互いに諦めず歩んで参りましょう。
ONE FOR ALL (一人一人がみんなのために)
「夢をありがとう」・・・・・・・・健太
◎古川高校 野球部の歌◎
1. 立てよいざ立て我が友よ 戦わんかな時至る
正義の楯に赤熱の 血潮たばしる我等がナイン
2. 彼に孫呉の術あらば 我に竜虎の智勇あり
戦の庭の花吹雪 散らさで敵を帰すべき
1. 立てよいざ立て我が友よ 戦わんかな時至る
正義の楯に赤熱の 血潮たばしる我等がナイン
2. 彼に孫呉の術あらば 我に竜虎の智勇あり
戦の庭の花吹雪 散らさで敵を帰すべき
そして、いつかこのグランドで再会しましょう。有難うございました。
田村健太選手のユニフォーム
田村孝行様より 11/12/12
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*田村健太選手の父上様よりご縁がありまして連絡をいただき、今季夏の大会前に古高野球部に寄せた激励の文章をいただきました。御好意により、ここに全文を掲載させていただきます。
平成24年7月12日
宮城県古川高校
藤倉先生殿 佐々木先生殿
硬式野球部各位
拝啓、過日は鈴木校長先生はじめ藤倉先生・佐々木先生また野球部皆様の卒業生へ対して温かいご配慮に心より深謝申し上げます。
下名も古川高校に憧れ入学し文武両道・質実剛健の精神を学び昭和54年卒業の時は図南歌の最後の歌詞に「鉄腕熱血生気みち学びの校舎巣立つ時 あ、猛者の眼につゆ宿る」
とありますが、日々今が有る事は古高で学んだ伝統の中から頂いていると感じ図南歌は自分自身の生きる勇気の応援歌と思い続けております。
その人生の中で、結婚をし男の子が生まれたらとにかく子供は古高へ入学し野球を文武両道の精神で甲子園を共に目指すと人生の中の一つの大きな目標としそこから得たものを様々な方へ感謝の気持ち込め社会に微力ではありますが息子と親子鷹で取り組んで行きたいと思い日々少しずつ歩いておりました。その息子が健太でした。大学時代も野球を続け銀行に入行後も時有れば野球しておりました。今回の震災にて行方不明になり健太の寮の部屋に入ると銀行の資格試験の勉強と野球の様々な本が山と積まれており、また自宅の健太の部屋には高校時代の他校の選手名を書き1人1人の配球など考えていたメモとか有り、野球・古高に関するものが多く有りました。今は健太のもの全て見る状況ではありません。しかし今回古高の皆様からの心温まるお声かけにより9年ぶりに古高の校舎また野球場へ足を踏み入れる事出来皆様のお陰にて少し前に進みかけております。そして10日の朝野球部諸君の姿を見なければ今後下名の目標を明確に宣言出来ないと思い名取市民球場へ足を向け皆様と同じ雰囲気を感じ同じ気持ちになりたかったのです。試合は惜敗でありましたが、本当にこれまでの皆様努力は素晴らしいものが有ります。1つ1つの言動の素晴らしさ感じました。今後も後輩諸君に繋がると確信します。久々に当時の健太の時代また卒業後後輩の試合と同じ緊張感また心の高ぶりを感じ今後健太また様々な先輩・後輩が甲子園を目指し汗や涙を流したグランドで下名微力ながら野球部の皆様また古高生のご支援出来る活動をして行く所存です。これも今回母校の皆様に頂いた健太と下名の第二の目標となりました。「夢・ありがとう」この言葉も健太の帽子に書いてあります。この言葉を大切に親として同窓として甲子園・古川高校の更なる発展へ「夢叶は叶えるもの」ゆっくり皆様の足で惑いにならぬ活動を模索し実行して参ります。取り留めの無い文で失礼しました。皆様に早々に感謝の気持ちだけお伝えしたくお送りさせて頂きます。改めてグランドで御礼致します。今後とも宜しくお願い致します。[ONE FOR ALL]本当にありがとうございました。
田村 健太 父 孝行
敬具
藤倉先生殿・佐々木先生殿
本当にご多忙の中、ご配慮して頂きありがとうございます。今回、野球部の皆様の
ひた向きさを見て改めて何か心動かされるものありました。
健太の一番愛する野球を通じまた古高を通じ目標かかげ進む方向がより明確で
今まで行っていた事も継続しながら何か微力ながら自分自身また周囲の方に
良い影響が出るかもしれません。三年生の夏は終わりましたが今後とも彼らの素晴らしい夏は継続すると思います。自分にとっても印象に残る夏となりました。
今後の練習試合等日程開示して頂ければ幸いです。
時間を見てグランドに行かせて頂ければ幸いです。宜しくお願い致します。
田村拝
健太選手の実際に使用したミットと、彼のお墓に添える予定というミットの置物。
01 November 2012
田村健太選手に関する続報 10/31/12
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朝日新聞より転載↓
http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001210310002
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http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001210310002
七十七銀行側、争う姿勢示す 女川支店訴訟
2012年10月31日
12人が犠牲になった七十七銀行女川支店(女川町)を巡る損害賠償訴訟。30日の第1回口頭弁論では、安全配慮を怠ったとする遺族側に対し、銀行側は争う姿勢を示した。遺族らは意見陳述を通して、この19カ月間の苦悩を訴え、改めて銀行側の責任を追及した。
原告側の訴状によると、亡くなった行員らを含む従業員は震災後、支店長の指示を受けて2階建て支店の屋上へ避難。海の沖を見張ることなく、海面のほとんど見えない屋上で30分もの時間を無為に過ごした、と主張している。
これに対して銀行側は、答弁書で海面の一部は見ることができたと反論。支店長が、行員らに片付けを最小限にして避難するよう指示したことも主張した。そのほか具体的な内容については「追って主張する」としており、銀行側の代理人は「2カ月近く期間をいただきたい」と述べた。
この日は、遺族らが意見陳述した。行員だった田村健太さん(当時25)の母弘美さん(50)は「息子は会社を信じ、支店長を信じて命令通り行動した」と強調。「走れば1分で行けた高台があったのに、なぜ屋上へとどまらなければならなかったのか。我が子が想像を絶する恐怖、絶望感を味わったのかと思うと、つらさ悲しみを超え、強い憤りと自責の念を感じる」と訴えた。
行員だった丹野美智子さん(当時54)の母長子さん(81)の意見は弁護団が代読した。屋上に避難したことを銀行側が当初、「判断ミス」だったと認めていたと主張。「その言葉は全て覆され、すべて津波のせいにされた。代われるものなら代わってあげたかった。生きているのがとてもつらい」と訴えた。
今も行方が分からない同支店のスタッフ高松祐子さんの夫康雄さん(55)は「12人の命を無駄にしないため、責任を認め謝罪してほしい。原因究明し、再発防止策を提示することが企業としての責任だ」と投げかけた。(小野智美、高津祐典)
原告3家族の意見陳述、第1回口頭弁論後の原告団の記者会見の主な内容は次の通り。
◇
28 October 2012
田村健太選手に関する続報 10/27/12
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㈱七十七銀行女川支店被災者家族会のブログ↓
10月30日11時より第1回口頭弁論 仙台地裁
*この古高野球部ブログでは、この問題に関して積極的に言及することはありません。が、同窓の田村選手が亡くなった重い問題を含んでいます。よって、真実が明らかになることと、今後の再発防止につながることを切に希望しております。
田村健太選手に関する続報 10/27/12
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河北新報コルネット↓
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20120912_03.htm
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http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20120912_03.htm
七十七銀を提訴 女川支店行員らの遺族「高台避難させず」
東日本大震災の津波で七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の行員ら12人が死亡・行方不明となったのは、同行の安全配慮義務違反のためだとして、行員ら3人の遺族が11日、同行に計約2億3000万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。
訴えによると、昨年3月11日の大地震発生後、支店長は行員らに対し、支店の施錠や屋上への避難を指示。支店長を含む13人が屋上にいた同日午後3時半ごろ、津波が支店に到達して13人が流され、1人は救助された。
支店は、リアス式海岸の凹部の女川湾から約100メートルの場所に立地していた。支店から高台にある指定避難場所までの距離は約260メートルで、ゆっくり歩いても3分半ほどで着くという。
遺族側は「支店長は屋上に逃げれば安全だと軽信し、漫然と時間をつぶした。同行は『屋上に避難する』との支店長の連絡を黙認した」と主張。
「女川湾の地形に照らせば、津波が通常の場所よりも高くなるのは明らか。だが、立地の特殊性に合わせた店舗設計をせず、支店長に十分な安全教育をしていない。指定避難所への避難訓練もなく、災害への準備がおろそかだった」と述べた。
同行は11日、「捜索やご家族への訪問など誠意をもって対応を続けてきた。一部のご家族にご理解いただけないのは残念だが、今後も真摯(しんし)に対応していく」とのコメントを出した。
訴えによると、昨年3月11日の大地震発生後、支店長は行員らに対し、支店の施錠や屋上への避難を指示。支店長を含む13人が屋上にいた同日午後3時半ごろ、津波が支店に到達して13人が流され、1人は救助された。
支店は、リアス式海岸の凹部の女川湾から約100メートルの場所に立地していた。支店から高台にある指定避難場所までの距離は約260メートルで、ゆっくり歩いても3分半ほどで着くという。
遺族側は「支店長は屋上に逃げれば安全だと軽信し、漫然と時間をつぶした。同行は『屋上に避難する』との支店長の連絡を黙認した」と主張。
「女川湾の地形に照らせば、津波が通常の場所よりも高くなるのは明らか。だが、立地の特殊性に合わせた店舗設計をせず、支店長に十分な安全教育をしていない。指定避難所への避難訓練もなく、災害への準備がおろそかだった」と述べた。
同行は11日、「捜索やご家族への訪問など誠意をもって対応を続けてきた。一部のご家族にご理解いただけないのは残念だが、今後も真摯(しんし)に対応していく」とのコメントを出した。
03 September 2012
02 September 2012
01 September 2012
秋季北部予選結果
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8月25日
【北部】(南郷球場ほか)
▽Aブロック1回戦
迫桜 6- 2 鹿島台商
富谷 5- 4 利府
▽Bブロック1回戦
古川工 11- 1 岩ケ崎
古川 11- 1 中新田
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【北部】(南郷球場ほか)
▽Aブロック1回戦
迫桜 6- 2 鹿島台商
富谷 5- 4 利府
▽Bブロック1回戦
古川工 11- 1 岩ケ崎
古川 11- 1 中新田
21 July 2012
新チーム始動。
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まだ宮城大会がたけなわではあるが、新チームは来期の躍進を狙って始動開始というところだろう。
自分が負けた時を思いだす。それまで野球が生活の中心であったのに、それががわりと変わる。
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今年の準決勝は仙台育英対聖和学園、利府対東北。
自分が負けた時を思いだす。それまで野球が生活の中心であったのに、それががわりと変わる。
負けた悔しさでとてもじゃないがすぐに心機一転とは行かない。
そんな思いに決着をつけるために、私は準決勝を見学に当時の宮城球場へ行った。
まだ戦っている同級生が羨ましく思えた。
3年生諸君は残念ではあるが、高校野球が人生の終わりではないので、
野球への情熱が冷めない方はひとつでも上を目指してこれから頑張って欲しいと思います。
以下、練習試合等の日程を入手しましたのでお知らせします。
新チームのおもな予定
7月22日(日)柴田農林(柴田農林高G)
26日(木)石巻北(古川高G) ※旧河南高校
8月 2日(木)鶴岡東(鶴岡東高G) ※旧鶴商学園。昨年の甲子園出場校。
4日(土)蔵王(古川高G)
5日(日)泉(泉高G) ※もと育英高校の大越投手の兄が監督。
8日(水)仙台東(仙台東高G)
10日(金)~12日(日)ミニ大会(宮崎球場)
18日(土)気仙沼(古川高G)
19日(日)仙台第一(古川高G)
10 July 2012
07 July 2012
亡くなられた田村選手に関して
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古川高校野球部佐々木監督より~
「昨年の震災により,七十七銀行女川支店で亡くなった田村君( 本校野球部OB)のご家族より応援幕を今週日曜日(8日)に贈呈されることになりました。 野球部のグランド内に彼の功績を残してあげようと計画していたところ,このような展開になりました。ブルペン付近か部室脇に彼の名前を残してあげようと計画中です。 朝日新聞やKHBにもとりあげられることになると思います。」
*選手にとっては大変心強い贈り物になりそうです。選手諸君、田村選手をはじめ古高OBはいつも遠くから応援しています。古高の伝統と誇りを大切にして安心して戦いなさい。そして新たな歴史を作っていくことを期待します。
地元の皆さん、ニュース等を見逃さないように。
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「昨年の震災により,七十七銀行女川支店で亡くなった田村君(
*選手にとっては大変心強い贈り物になりそうです。選手諸君、田村選手をはじめ古高OBはいつも遠くから応援しています。古高の伝統と誇りを大切にして安心して戦いなさい。そして新たな歴史を作っていくことを期待します。
地元の皆さん、ニュース等を見逃さないように。
古高激闘の記録(7) 昭和46年夏 「古川、堂々と決勝へ」7/6/12
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今日は雨で中止のようですが、いよいよ夏の高校野球県予選が開幕です。
例年のことながら、母校の戦いぶりが気になります。
このような過去の歴史がいよいよ蘇ることを祈っております。
昭和46年8月1日 河北新報
「古川、堂々と決勝へ」
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例年のことながら、母校の戦いぶりが気になります。
このような過去の歴史がいよいよ蘇ることを祈っております。
昭和46年8月1日 河北新報
「古川、堂々と決勝へ」
23 June 2012
31 May 2012
是非地元の皆さんのご声援を。
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私のブログのモットーはその年の現役選手個人個人にこだわることではない。
漠然と、外野から「古川高校野球部」を応援しているだけである。が、
それでも選手には地元に愛されるチームを目指して欲しいと思う。
ちばあきおの漫画「プレイボール」でもある、「墨高がんばれよ〜!」、あの感じである。
それと一言、
選手諸君、君らは結構いろんな人に見られている。
古高の野球部員ならば、常に紳士たれ。
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漠然と、外野から「古川高校野球部」を応援しているだけである。が、
それでも選手には地元に愛されるチームを目指して欲しいと思う。
ちばあきおの漫画「プレイボール」でもある、「墨高がんばれよ〜!」、あの感じである。
それと一言、
選手諸君、君らは結構いろんな人に見られている。
古高の野球部員ならば、常に紳士たれ。
17 May 2012
さらば南校舎
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古高の南校舎が取り壊しになる(なった?)らしい。
あの古い古高の象徴の建物である。私は「南校舎」と聞いてどこのことかすぐにピンと来なかったが、何の事は無い、授業を受けたまさにあの校舎である。
野球部にとっては、雨の日と冬は校舎の廊下が主たる練習場になった。邪魔に思った生徒も多かった事だろう。とにかく走った。
その送別会で上映されたビデオが見れるページを発見↓
http://www.youtube.com/watch?v=GIzemGCDqoI
私にとって、この校舎はいつも「薄暗い」印象があった。快晴の日も薄暗かった。それは、当時教職員も含めほぼ男ばかりがこの狭い校舎に集っていたということもあるだろうが、十代の多感な時期に感じた一抹の不安感を反映した色合いと言っていいのだと思う。漠然とした将来への不安である。何かになれそうな気がする。しかしその何かが分からない。その言いようの無い不安をただがむしゃらにぶつけられる時間、それがユニフォームを着ている時間帯だった。その不安は誰もが経験するものではあるだろうが、その時期を野球に賭けたという思いが私は強い。この古い校舎を見るたびに、私はその時感じた不安感を思いだすのであった。
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あの古い古高の象徴の建物である。私は「南校舎」と聞いてどこのことかすぐにピンと来なかったが、何の事は無い、授業を受けたまさにあの校舎である。
野球部にとっては、雨の日と冬は校舎の廊下が主たる練習場になった。邪魔に思った生徒も多かった事だろう。とにかく走った。
その送別会で上映されたビデオが見れるページを発見↓
http://www.youtube.com/watch?v=GIzemGCDqoI
私にとって、この校舎はいつも「薄暗い」印象があった。快晴の日も薄暗かった。それは、当時教職員も含めほぼ男ばかりがこの狭い校舎に集っていたということもあるだろうが、十代の多感な時期に感じた一抹の不安感を反映した色合いと言っていいのだと思う。漠然とした将来への不安である。何かになれそうな気がする。しかしその何かが分からない。その言いようの無い不安をただがむしゃらにぶつけられる時間、それがユニフォームを着ている時間帯だった。その不安は誰もが経験するものではあるだろうが、その時期を野球に賭けたという思いが私は強い。この古い校舎を見るたびに、私はその時感じた不安感を思いだすのであった。
19 February 2012
高校時代の相沢投手のフォーム
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今年の古高野球部はなんかやりそうな予感。。。
私は授業にまじめに出席して怒られた経験が生涯に一度だけある。
古高が秋季県大会で仙台育英を破りベスト4に進出した日の翌日、つまり東北大会出場をかけた準決勝の対東陵高校戦当日、宮城球場まで応援に行かずに授業に出て、英語の時間に鬼の松井先生に怒られたのである。いわく、
「古高が東北・仙台育英を倒して甲子園を狙えるチャンスは10年に一度周期である。そんな絶好のチャンス到来のこの日、まして正月の3日くらいしか休まず一緒に厳しい練習をしてきた後輩の応援に行かずにのこのこ古高に来るとは何ごとか。」
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私は授業にまじめに出席して怒られた経験が生涯に一度だけある。
古高が秋季県大会で仙台育英を破りベスト4に進出した日の翌日、つまり東北大会出場をかけた準決勝の対東陵高校戦当日、宮城球場まで応援に行かずに授業に出て、英語の時間に鬼の松井先生に怒られたのである。いわく、
「古高が東北・仙台育英を倒して甲子園を狙えるチャンスは10年に一度周期である。そんな絶好のチャンス到来のこの日、まして正月の3日くらいしか休まず一緒に厳しい練習をしてきた後輩の応援に行かずにのこのこ古高に来るとは何ごとか。」
30 January 2012
訃報 1/29/12
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本校野球部のOBで、県予選ベスト8まで進んだ平成15年の捕手をつとめていた
田村健太選手が、このたびの大震災で帰らぬ人となったと関係筋から情報提供された。
田村選手は七十七銀行の女川支店に配属されていたが、このたびの震災で津波の被害にあったという。
女川支店の行員は15名中13名が亡くなる大惨事であったようである。
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田村健太選手が、このたびの大震災で帰らぬ人となったと関係筋から情報提供された。
田村選手は七十七銀行の女川支店に配属されていたが、このたびの震災で津波の被害にあったという。
女川支店の行員は15名中13名が亡くなる大惨事であったようである。
28 January 2012
被災地から石巻工業、悲願の甲子園初出場
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まずは石巻工業高校の甲子園初出場を心より祝福します。
石巻工業は郡部では伝統的に非常に野球の強い学校でしたが、甲子園にはもう一つというところで敗退していました。
昭和44年 ベスト8
昭和57年 ベスト8
昭和58年 ベスト8
昭和59年 ベスト4
昭和60年 ベスト8
昭和62年 ベスト8
平成15年 ベスト8
平成17年 準優勝
昭和61年も4回戦で惜しくも敗退しているので、昭和57年から昭和62年にかけて、5,6年間ほぼ毎年ベスト8以上に食い込んでいたという強豪です。石巻勢では、昭和23年夏の石巻高校に続いての出場。
それにしても昨夏の古川工に引き続き石巻工の選抜出場、県下工業高校勢の活躍目を瞠るものがあります。
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石巻工業は郡部では伝統的に非常に野球の強い学校でしたが、甲子園にはもう一つというところで敗退していました。
昭和44年 ベスト8
昭和57年 ベスト8
昭和58年 ベスト8
昭和59年 ベスト4
昭和60年 ベスト8
昭和62年 ベスト8
平成15年 ベスト8
平成17年 準優勝
昭和61年も4回戦で惜しくも敗退しているので、昭和57年から昭和62年にかけて、5,6年間ほぼ毎年ベスト8以上に食い込んでいたという強豪です。石巻勢では、昭和23年夏の石巻高校に続いての出場。
それにしても昨夏の古川工に引き続き石巻工の選抜出場、県下工業高校勢の活躍目を瞠るものがあります。
20 December 2011
古高激闘の記録(6) 昭和56年県予選ベスト8の記事 12/19/11
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*昭和56年は、古川高校が10年ぶりに夏の大会ベスト8入りを果たしました。その当時の新聞記事です。
仙台二、古川に惜敗
後半のチャンス生かせず
昭和56年7月21日 河北新報
球児の夏は全開。第六十三回全国高校野球選手権宮城大会三日目の二十日は、午前八時から宮城、評定河原両球場と東北高グラウンド、それに泉市の東北学院泉球場の四会場で1回戦の10試合を行った。
この日仙台地方は朝から真夏の太陽がじりじり照りつけて気温も急上昇、グラウンドでは汗と砂にまみれての熱戦を繰り広げた。
宮城球場の第1試合、仙台二ー古川は一進一退の好ゲームとなったが、3-3で迎えた八回裏、古川がバントから敵失を誘い逃げ切った。
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仙台二、古川に惜敗
後半のチャンス生かせず
昭和56年7月21日 河北新報
球児の夏は全開。第六十三回全国高校野球選手権宮城大会三日目の二十日は、午前八時から宮城、評定河原両球場と東北高グラウンド、それに泉市の東北学院泉球場の四会場で1回戦の10試合を行った。
この日仙台地方は朝から真夏の太陽がじりじり照りつけて気温も急上昇、グラウンドでは汗と砂にまみれての熱戦を繰り広げた。
宮城球場の第1試合、仙台二ー古川は一進一退の好ゲームとなったが、3-3で迎えた八回裏、古川がバントから敵失を誘い逃げ切った。
22 October 2011
古高激闘の記録(5) 昭和26年 古川高校初優勝を伝える河北新報 10/22/11
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久しぶりに更新します。
古川工業の初優勝に沸いた今季の甲子園予選でした。甲子園では残念でしたが、大崎地方から初の甲子園、県下工業高校を見ても初の甲子園となりました(それにしても、強豪の仙台工業もいまだ甲子園に出場していないというのはちょっと驚きです)。
歴史を紐解けば、古豪・古川高校も過去に県下「優勝」の実績があるわけで、これは後世に伝えていくべきことでしょう。その昭和26年7月27日(金曜日)の河北新報の記事です。
初優勝に輝く古川高
ー高校野球決勝 宮工の打棒を完封
真夏の太陽のもと連日真摯なプレーに高校球児の熱と意気を示してきた全国高校野球宮城県予選は二十六日最終日を迎え宮城球場で宮城工ー古川高の間に決勝戦が行われた、十数年ぶりに県下のペナントをねらう宮工、三十余年の野球部史上に花を咲かせようとする古川高の両校のナインは必勝のまなざしもするどく、午後二時七分宮工の先攻で決戦の火ぶたが切られた古川高は一回先取点をあげて快調なスタートを切りその波にのって着々点を重ね一方五日連投の佐藤投手はこの日も宮工の打線を五安打に封じ八回野手の凡ヘッドに2点は失したがその裏4点をだめ押し堂々の優勝をとげ仙北の地に始めて優勝旗を持ち帰った
古川高8A-0(ママ)宮工高(*8-2の誤植)
宮工高000 000 020|2
古川高100 102 04A|8
◇五日間連投の古川佐藤投手は緩投でベースワークよく宮工打者のタイミングをたくみにそらした投球ぶりで気負い立つ宮工ナインを軽くいなして快勝した、宮工は一回から七回まで散発の三安打に封じられてチャンスなく、ややあせり気味になって打ち気がに出たが佐藤の緩球を打ち込めず八回二安打、一四球で2点差にちぢめたが後援つづかずやぶれた、古川はへき頭から果敢に攻め宮工佐伯投手の直球をよくミートして二安打一失に1点を先制、四回には後藤の三塁打と佐藤義の中前安打に加点、六回には二安打、二四球、二失に2点で勝敗をはっきりしたその後八回佐伯に代った庄司から四安打、二四球、一失で4点と決勝戦にふさわしからぬ大差をつけてしまった、敗れた宮工は主戦の佐伯をあまりに頼りすぎまた佐藤投手をあまく評価したのではなかろうか、前日の打線の冴えは影をひそめ内野守備もこれまでになくお粗末であった、とにかく県大会で優勝した古川佐藤投手の健闘は賞賛されてよい、また福島の東北大会には古川、宮工とも大いに活躍するよう期待する
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古川工業の初優勝に沸いた今季の甲子園予選でした。甲子園では残念でしたが、大崎地方から初の甲子園、県下工業高校を見ても初の甲子園となりました(それにしても、強豪の仙台工業もいまだ甲子園に出場していないというのはちょっと驚きです)。
歴史を紐解けば、古豪・古川高校も過去に県下「優勝」の実績があるわけで、これは後世に伝えていくべきことでしょう。その昭和26年7月27日(金曜日)の河北新報の記事です。
初優勝に輝く古川高
ー高校野球決勝 宮工の打棒を完封
真夏の太陽のもと連日真摯なプレーに高校球児の熱と意気を示してきた全国高校野球宮城県予選は二十六日最終日を迎え宮城球場で宮城工ー古川高の間に決勝戦が行われた、十数年ぶりに県下のペナントをねらう宮工、三十余年の野球部史上に花を咲かせようとする古川高の両校のナインは必勝のまなざしもするどく、午後二時七分宮工の先攻で決戦の火ぶたが切られた古川高は一回先取点をあげて快調なスタートを切りその波にのって着々点を重ね一方五日連投の佐藤投手はこの日も宮工の打線を五安打に封じ八回野手の凡ヘッドに2点は失したがその裏4点をだめ押し堂々の優勝をとげ仙北の地に始めて優勝旗を持ち帰った
古川高8A-0(ママ)宮工高(*8-2の誤植)
宮工高000 000 020|2
古川高100 102 04A|8
◇五日間連投の古川佐藤投手は緩投でベースワークよく宮工打者のタイミングをたくみにそらした投球ぶりで気負い立つ宮工ナインを軽くいなして快勝した、宮工は一回から七回まで散発の三安打に封じられてチャンスなく、ややあせり気味になって打ち気がに出たが佐藤の緩球を打ち込めず八回二安打、一四球で2点差にちぢめたが後援つづかずやぶれた、古川はへき頭から果敢に攻め宮工佐伯投手の直球をよくミートして二安打一失に1点を先制、四回には後藤の三塁打と佐藤義の中前安打に加点、六回には二安打、二四球、二失に2点で勝敗をはっきりしたその後八回佐伯に代った庄司から四安打、二四球、一失で4点と決勝戦にふさわしからぬ大差をつけてしまった、敗れた宮工は主戦の佐伯をあまりに頼りすぎまた佐藤投手をあまく評価したのではなかろうか、前日の打線の冴えは影をひそめ内野守備もこれまでになくお粗末であった、とにかく県大会で優勝した古川佐藤投手の健闘は賞賛されてよい、また福島の東北大会には古川、宮工とも大いに活躍するよう期待する
16 August 2011
23年前の東陵初優勝
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古川工業の初優勝に沸いた今季の宮城大会であったが、何でも仙台市以外の高校が夏の甲子園に出場したのは23年ぶりだそうである。そうか、そんなに経つのか・・・。忘れもしない気仙沼の東陵高校が初優勝して以来だ。
その強打の東陵打線の印象はいまだに強烈で、のちにプロに進んだ井上純(横浜ー千葉ロッテ)を中心に、どこからでもホームランを打てる大型チームだった。その昭和最後の大会、昭和63年第70回記念大会の総集編のビデオを見ながら、当時を振り返ろう。
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その強打の東陵打線の印象はいまだに強烈で、のちにプロに進んだ井上純(横浜ー千葉ロッテ)を中心に、どこからでもホームランを打てる大型チームだった。その昭和最後の大会、昭和63年第70回記念大会の総集編のビデオを見ながら、当時を振り返ろう。
26 July 2011
決勝戦 速報 おめでとう、古川工業
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古川工業、初優勝、甲子園初出場決定!
大崎から初の甲子園!
古川工 000 001 110 | 3
利 府 000 001 000 | 1
*歴史的な宮城大会となりました。やり方次第で公立・私立の垣根は無いということを示した両校に拍手を送りたいと思います。古川工業の精神力には恐れ入りました。並大抵の努力ではこのような結果になっていないはずです。ただ努力するというのではだめで、野球はどうすれば勝てるかを、どのチームよりも必死に考えた結果であろうと思います。高校生同士の対決、どのチームにも甲子園のチャンスがあります。そのような時代に突入したと思いたい。いずれにしても、古川工業によって宮城県高校野球史に残る金字塔が達成されました。
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大崎から初の甲子園!
古川工 000 001 110 | 3
利 府 000 001 000 | 1
*歴史的な宮城大会となりました。やり方次第で公立・私立の垣根は無いということを示した両校に拍手を送りたいと思います。古川工業の精神力には恐れ入りました。並大抵の努力ではこのような結果になっていないはずです。ただ努力するというのではだめで、野球はどうすれば勝てるかを、どのチームよりも必死に考えた結果であろうと思います。高校生同士の対決、どのチームにも甲子園のチャンスがあります。そのような時代に突入したと思いたい。いずれにしても、古川工業によって宮城県高校野球史に残る金字塔が達成されました。
25 July 2011
速報・古川工業、初の決勝進出!!
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準決勝 第一試合
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準決勝 第一試合
古川工業 100 100 010 | 3
東 北 000 001 000 | 1
古川工業:山田
東北:上村ー片貝
古川工業、初の決勝進出!! 第一シード東北
11 July 2011
仙台、古川に快勝 全国高校野球宮城大会(河北新報コルネット)
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仙台―古川 7回表仙台1死満塁、白井の死球で三走佐藤駿が生還し、2―1と勝ち越す=福祉大
第93回全国高校野球選手権宮城大会第3日は11日、仙台市の東北福祉大球場などで2回戦を行い、仙台は古川に6―1で快勝した。仙台二、小牛田農林、石巻北、佐沼も勝ち3回戦に進出した。
仙台は1―1の七回、1死満塁から白井秀啓の押し出し死球で勝ち越し、さらに中村修平の左前打など打者9人の猛攻で4点を挙げた。仙台二は二回に工藤健功の右前打で先制し、その後も着実に加点した。小牛田農林は7―0で涌谷にコールド勝ち。石巻北は4―1で仙台向山を下し、佐沼は7―0で仙台高専広瀬に快勝した。
第2日の10日は、仙台市のKスタ宮城など5球場で1回戦11試合を行い、石巻や志津川、古川黎明、東北学院、気仙沼向洋などが2回戦に進んだ。
▽2回戦
仙台 100000401=6
古川 001000000=1
*古高残念ながら仙台に敗北。7回までは互角の試合をしていただけに、終盤の戦いに課題が残る。選手はご苦労様でした。今年は大震災の影響でじゅうぶんに練習できなかったかもしれません。試合ができただけでも、これは感謝すべきことです。仙台高校には今後頑張って勝ち進んで欲しいと思います。
とはいえ残念ですが、この敗北をしっかりと胸に受け止め今後を歩んで欲しいと思います。特に2年生以下は、何故郡部の学校が仙台勢に弱いか、また仙台勢も中央に出ると何故勝てないかを考える必要があるかと思います。これは古高の伝統でもありますが、そろそろ打ち破ってもいい伝統です。というか、打ち破らなければ甲子園は遠い。実際の力の差はほとんどありません。毎年いい試合はする。試合は作るが、最後は負ける。恐らく、郡部の学校が東北・仙台育英を倒して甲子園に行くには、野球のスタイル・概念・練習方法をまったく変えてしまう必要があるのではないかと思います。高校生にそれをのぞむのは酷というものですが、甲子園に出るには一日一日の練習の質が東北仙台育英に匹敵する以上のものでなければならない。まずは、敵を良く知る、これから始まるということでしょう。
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仙台―古川 7回表仙台1死満塁、白井の死球で三走佐藤駿が生還し、2―1と勝ち越す=福祉大
第93回全国高校野球選手権宮城大会第3日は11日、仙台市の東北福祉大球場などで2回戦を行い、仙台は古川に6―1で快勝した。仙台二、小牛田農林、石巻北、佐沼も勝ち3回戦に進出した。
仙台は1―1の七回、1死満塁から白井秀啓の押し出し死球で勝ち越し、さらに中村修平の左前打など打者9人の猛攻で4点を挙げた。仙台二は二回に工藤健功の右前打で先制し、その後も着実に加点した。小牛田農林は7―0で涌谷にコールド勝ち。石巻北は4―1で仙台向山を下し、佐沼は7―0で仙台高専広瀬に快勝した。
第2日の10日は、仙台市のKスタ宮城など5球場で1回戦11試合を行い、石巻や志津川、古川黎明、東北学院、気仙沼向洋などが2回戦に進んだ。
▽2回戦
仙台 100000401=6
古川 001000000=1
*古高残念ながら仙台に敗北。7回までは互角の試合をしていただけに、終盤の戦いに課題が残る。選手はご苦労様でした。今年は大震災の影響でじゅうぶんに練習できなかったかもしれません。試合ができただけでも、これは感謝すべきことです。仙台高校には今後頑張って勝ち進んで欲しいと思います。
とはいえ残念ですが、この敗北をしっかりと胸に受け止め今後を歩んで欲しいと思います。特に2年生以下は、何故郡部の学校が仙台勢に弱いか、また仙台勢も中央に出ると何故勝てないかを考える必要があるかと思います。これは古高の伝統でもありますが、そろそろ打ち破ってもいい伝統です。というか、打ち破らなければ甲子園は遠い。実際の力の差はほとんどありません。毎年いい試合はする。試合は作るが、最後は負ける。恐らく、郡部の学校が東北・仙台育英を倒して甲子園に行くには、野球のスタイル・概念・練習方法をまったく変えてしまう必要があるのではないかと思います。高校生にそれをのぞむのは酷というものですが、甲子園に出るには一日一日の練習の質が東北仙台育英に匹敵する以上のものでなければならない。まずは、敵を良く知る、これから始まるということでしょう。
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