行くぞ甲子園


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06 December 2018

ベースボールマガジン増刊 昭和30年3月

ベースボールマガジン昭和30年増刊を入手。「プロ野球14球団全選手写真名鑑」。状態がいい。期待が持てる。


古高OBの伊藤先輩がいた。伊藤春男先輩は投手だったはずだが、外野手とある。毎日入団後に打者に転向したのだろうか。(4)出身 岩手県とあるのは、「宮城」の間違いと見るのが普通だろう。伊藤先輩は現在の加美町出身であった。私が伊藤先輩のことを調べ始めた時は、Wikipediaに彼の記載はなかった。その後誰かがupしたのだろうが、「大崎市出身」と誤った記述がある。Wikipediaを全面的に信頼してはダメだということだ。


もう一人の鈴木徹先輩だが、残念ながらこの号では他の新人選手同様写真掲載がなかった。ちなみに、鈴木先輩も現在の加美町出身で、加美町はあの小ささながらこの年2人も古高からプロに送り出したことになる。もちろんその当時はまだ加美町として合併してなかったわけだが。

伊藤先輩の毎日オリオンズの同期に天才打者の榎本喜八がいる。かつて、沢木耕太郎の「さらば宝石」という短編のエッセイを読んだことがあるが、Eという大打者(最後にそれが榎本と明かされる)が引退後も現役の頃と変わらずに猛烈な鍛錬を続けているという内容だった。それが周囲には奇行として映ると。イチローが今季ほぼ引退しかけてもまだ普通に練習を続けているニュースを見て、このEを思い出し、一流打者に共通した何かがあるのだろうと思った。
さすが王と同じ荒川門下だけあって、真剣の切れ味のようなスィングの鋭さ。通算2314安打


盗塁王5回、広瀬叔功
一年上の南海・野村克也もまだ写真掲載の段階に至ってない

西鉄 仰木彬

毎日 荒川博 「そうだ、思い切ってこい思い切って。ホームラン50本打つんだろう?そうだ」王も凄いが正面でずっとボールの役目をした荒川コーチも尋常ではない。王の手が滑ってバットや真剣が飛んで来たら大けがだ。

毎日 荒巻淳 戦時下で文科省主催の甲子園(幻の甲子園)に出場(1942)


巨人 ジャイアント馬場
言うまでもなくプロレスの方が有名だ。大洋にトレード予定でその宿舎の風呂で転んで血まみれになって野球を諦めたのを漫画「プロレススーパースター列伝」を読んだおかげで知っているのは私だけではあるまい。

巨人 不死身の別所

毎日監督 別当薫

巨人 広岡「管理野球」が代名詞

西鉄 大下弘。 三原監督曰く、日本で打者5人あげるとすれば大下、中西、川上、長嶋、王、3人と言われたら大下、中西、長嶋、1人と言われたら大下。

この方を知ってるだろうか?阪神の岡田功。のち審判。日本シリーズ巨人-阪急、土井正三の本盗の際のセーフの判定で有名。本人は捕手の阪急岡村に殴られたわけだが。


ヤクルトの温厚な監督、解説者のイメージが強い関根潤三

ご存知、国鉄 金田正一 川上哲治は若い時の金田が一番速かったのではないかと言っている。

38歳で急死した南海の蔭山

南海 鶴岡監督。息子の鶴岡泰はPL学園夏初優勝時の監督

白石高校の大沼清。東北大会で古高を破った米沢西の皆川投手に投げ勝って甲子園。

阪神 小山正明 天覧試合では長嶋、王、それに浪商出身の坂崎に一発を献上している

巨人 森 昌彦。森昌 彦ではない。

ベーブルースにも投げた早稲田の伊達正男。選手としてプロ経験はないがコーチとして招聘される

西鉄 三原監督

南海 皆川睦男

巨人 水原監督

南海 宅和本司 実質プロ入り2年で燃え尽きた凄い野球人生(1年目、2年目いずれも最多勝)

西鉄 怪童中西太 

大洋 ジャジャ馬・青田

西武、ダイエーのGMとして手腕を発揮した根本

巨人 千葉茂 長嶋入団前なので背番号3

東北の3若生の一人、若生忠男。

国鉄 佐藤孝夫 この時代宮城は愚か東北出身はほとんどいない中でバリバリのレギュラーは凄い

巨人 川上哲治 背番号16

物干し竿 藤村

毎日 山内和弘

西鉄 豊田泰光

巨人 Wally 与那嶺

阪神の牛若丸 吉田

毎日 西本幸雄

続いて六大学
なにせまだ長嶋さんが立教の学生だ

同期の南海のエースだった杉浦投手

慶応の佐々木信也 プロ野球ニュースの、です

藤田元司 元巨人軍監督

古高に指導に来た松岡雅俊二塁手

同じく荒井投手

こうやって画質のいい写真を見ると、時代を感じない。みんな若い野球が好きな青年だったのだなと思う。






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