29 December 2018

星合愛人と古高校歌 1

1989年(平成元年度 古川高校生徒手帳より)

古高校歌は明治43年(1910年)制定とされる。作詞は星合愛人教諭、作曲は田村虎蔵教授。この田村虎蔵教授に関してはずいぶん調べられている。金太郎や花坂爺の歌など、日本の代表的な唱歌の作曲者としてつとに有名だ。

ところが、作詞者の星合愛人とは誰なのか。古高のHPでさえこの作詞者かつ古高教諭についての説明を加えてない。もちろん、筆者が在学時にも、校歌の由来等を教えられたことはなかったと思う。

どのページを見ても、田村虎蔵については同じような調子の説明がある。星合愛人に関しては、国語英語の教諭だったという情報以外の説明を知らぬ。筆者はむしろこの「星合愛人」という作詞者、その名前にも言い知れぬ魅力を感じているのである。いったい、この「星合愛人」という名は本名だろうか。ほしあいなんと読むのだろう?まなとか、あいとか。当時星合先生の授業を受けた生徒、、、さすがにもうご存命ではないだろう。

数回に渡って、この古高校歌と作詞者星合愛人氏についての考察を加える。まずこの校歌の歌詞の意味を自分なりに吟味してみようと思う。ただし意味を取り違えている場合もあるかもしれない。その場合はご指摘いただければ幸いである。

まず校歌の4番までの歌詞だが、



校歌

作詞 星合愛人 作曲 田村虎蔵
一、
心の琴の絃も張る 春は万朶の花の雲
胸の思いも澄みわたる 秋は黄金の稲の波
つきぬ眺望の大崎に 基礎を置ける教の舎

二、

嵐をやどす栗駒や 雲井に晴るる船ヶ岳
晴に曇にゆるぎなく 空を凌ぎて立つを見よ
高きを慕ふわが胸の 理想の影とよそふべく

三、

緑を染めて溶々と はしる荒雄や鳴瀬川
『学の道にすすむ身の 鑑は我』と囁くか
日夜に行てたゆみなく 果ははてなき大海に

四、

其水長く山高き 我が東北の大原野
気の秀麗を身に受けて 健児空しくやむべきか
青春今を盛にて 我が胸躍り我が血湧く



甲子園では、否、県予選でもそうであるが、通常校歌の1番のみを歌う。ところがこの古高校歌1番は一見、勝利後の凱歌としては勇壮な歌詞に欠け、やや不向きの歌であるように感じられる。その理由は、これは四連からなる詩なのであり、歌詞一番はその出だしの一連にすぎぬからである。その初めの一連は、大崎平野の自然の美しさを述べたものであるから、本来これだけでは不十分なのである。

しかしながら、この歌詞を一つの詩として読んでいく場合には、その風景描写を如実に描いた作者の眼差しがありありと感じられて、筆者には感動的な情感が沸き起こってくる。本来この時代の校歌には、たとえば "くにの為、ふるさとのためにつとめよう" なぞという安直な歌詞が挿入されがちであるが、この古高校歌は如実にそれを拒否している(追記:この点については注意を要する。下コメント欄参照)。これは作者の星合氏の人柄によるものでありそうだ。古高生とその卒業生は大いに自慢して良い素晴らしい校歌だと筆者には感じられる。


解題 校歌の意訳

1、心の琴線の弦が触れて美しい音色が出るような感動的な美しさ、春になれば、見渡す限りの百花繚乱の雲、胸の思いも澄み渡るような美しさだ、秋になれば、黄金の稲穂が一面にそよいでいる。こんな尽きない眺めの大崎平野に、我々の校舎はある。

2、嵐をどよもす栗駒山、晴天にそびえ立つ舟形山、見よ、晴れだろうが曇りだろうが、この山々は揺るぐことがなく、空に向かってすっくと立っている。これらは高い志を慕う私の胸の内で、理想の姿としての装いを見せてくれているようだ。

3、緑を染めるように豊かに、雄大な*鳴瀬川は流れる。「この川の流れは、学問の道を志す者の映し鏡だ」とでも川が囁いているように見える。日夜たゆまず流れ、精進し続け、いずれは果てしない大海を目指す若人の運命そのものである。(注意* 「荒雄」というのは江合川の上流を指しているか。その場合、江合川や鳴瀬川、となる)

4、その(江合川や)鳴瀬川の水が延々と流れ、四方の山は高い、この私たちの東北の大原野において、これほどの自然の美観(秀麗の気)を身に受けながら、ここで育つ健児は、ただ漫然とその歩みを止めたり、何かを空しく終えてしまうことができるだろうか(いや、できない)。青春は今が真っ盛りであり、(この地で学ぶ)私の胸は踊り、血は沸き立っている(のだから)。


歌詞1番は大崎平野の美しさを述べ、2番に置いては四方を囲む栗駒山と船形山の雄壮さを讃えている。3番にいたって、今度は鳴瀬川の雄大な流れに自己を写し、そして4番、これは1〜3の帰結の連である。こんな美しい場所で、健児の青春は真っ盛りであり、その歩みを止めることは不可能だ、と言うことだろう。

古文の成績も悪かった筆者にはやや自信のない箇所もあるのだが、
平易だが普遍性のある詩は決して古びない。こうして読んで見ると、4番まで歌ってはじめて感動が沸き上がる壮大な詩となっているのだ。ただ、上述のように1番しか歌えない。

しかしながら、この詩とその内容を吟味したうえで、「タン タ タン タ タン タ タン、タン タ タン タ タン、」の  明るいテンポの旋律をつけた田村虎蔵教授はさすがと言う外あるまい。「こころのことの いともはる」から始まるこの一編の詩が、他の校歌に類を見ないほど、感動で胸が躍っている様子を非常に良く表している。



この動画はYoutubeからお借りしました。



追記:細かいところだが妙なことがある。我々の時代(昭和62-平成元年)は3番の「日夜にゆきて」以後を「たゆみなき」と歌っていた。生徒手帳にもそう書いてある。また、応援歌集テープでもそう歌われている。参照:https://furuko-baseball.blogspot.com/p/blog-page_13.html
ところが現在の古高HPに行くと、これが「たゆみなく」と変わっている。いったいどういうことなのか?








4 comments:

万朶の花の雲 said...

すばらしいです!感動しました。
意訳ありがとうございました。
壮大で美しい歌ですね。
甲子園で古川高校の校歌が流れることを
祈っています。ShigeTさんいつもありがとうございます。
古高野球部を応援する者にとって、
ShigeTさんのブログはバイブルです。

Anonymous said...

shigeTさん、いつも素晴らしいBlogありがとうございます。

今年は球児たちが校歌を歌っている姿を生で3度見ることが出来ました。
テレビの生中継では、平成15年の夏の選手権宮城大会でベスト8に進出した時以来
校歌を歌っている姿を見ていません。
甲子園に出場するだけでなく、甲子園で校歌を歌っている姿を生で見たいですね。
そして、素晴らしい校歌を歌っている姿を全国に向けてテレビで放送してほしいものです。

ちなみに、
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=25131&id=32351118
によれば、校歌の歌詞は5番まであったそうです。
歌詞は以下のとおりです。

心を磨き身を鍛ふ 教 至尊の宣らすまま
健児ひとしく口ずさむ 歌は獨立自治の韻
祖國に盡す一念に 友よ無窮の道を追へ

shigeT said...

コメントまた過分なお褒めの言葉ありがとうございます。だいたい私の書くことは間違ってますので、話半分くらいにみていただけると幸いです。無聊のなぐさめくらいにはなるのではないかと。

shigeT said...

コメントありがとうございます。知りませんでした。。。やはり時代が時代ですから、そのような歌詞が実は存在していましたか。実際に周囲からの要望もあるでしょうし、校歌の意味がそういうものであったのでしょう。しかしこの5番だけ星合氏の歌詞と思えない旧びた堅苦しいものになっていますね。本人がほんとに書いたのか今後検証していきたいと思います。古中古高100年史はどうすれば入手できるでしょうか?