行くぞ甲子園


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28 January 2011

大館鳳鳴、初出場おめでとう

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雪の中で届いた初の朗報 21世紀枠・大館鳳鳴(秋田) asahi.com


大館鳳鳴は1899年の創部以来、春夏を通じて初めての出場となる。午後3時半、選手たちは雪の舞う中、校舎の正面玄関前で高橋校長から朗報を聞いた。その後、円陣を組み、「鳳鳴! 鳳鳴!」と喜びの声を上げた。 例年、冬場は基礎体力づくりに力を入れるが、今冬は12月中旬に21世紀枠の推薦校に選ばれたため、選抜大会への出場を視野に実戦練習もしてきた。斉藤監督は「ほかの出場校の投手の速球や、選手たちのスイングの速さは自分たち以上だと思う。しかし、相手に合わせたり、物おじしたりせず、一戦一戦を大事にしたい」と語った。小貫主将は「うれしい気持ち半分、信じられない気持ち半分。大観衆にのまれることなく、自分たちのできるプレーを、一つずつ積み重ねていきたい」と話した。


大館鳳鳴高校おめでとうございます。念願の甲子園初出場を果たしました。秋季秋田県大会優勝ですから立派なものです。また、徳島の伝統校・城南高校も初出場を果たしました。古川高校も同じような甲子園未経験の伝統校ですから、いい刺激になったことと思います。いつか雪の中で「古高!古高!」と叫んでみたいですね!いやそのうち絶対来ますよ。がんばれ古高!

大館鳳鳴高校 明治31年(1898)の創立、明治32年(1899)創部。 2011年甲子園初出場。
徳島城南高校 明治 8年(1875)の創立 明治31年(1898)創部。 2011年甲子園初出場。
古川高校    明治30年(1897)の創立、大正10年(1921)創部。 甲子園出場経験無し。


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16 January 2011

投稿「OBの声」1

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補足:


昭和56年は、準々決勝まで進出しました。東北高校相手に、相手打線がスクイズでしか攻められないまでに善戦、また、相手の3投手を引き出しましたが、惜しくも敗退しました。

氏家投手のがんばりと、伊藤主将の妥協してこなかったの言葉が、すべてです。

S58年卒業、野球部OBです。
今は、北海道で、野球をやっています。ファイターズの応援をしています。北海道在住20年。

白河の関を越えて、津軽海峡を渡るすべてを体感しています。
野球発祥の地のひとつとされるこの地を実感しています。

「妥協しない」と目標と楽しむことが、甲子園への道だと思います。
冬にも、野球するのが、回答だと思います。

ここ、北海道では、冬に野球するために工夫しています。
長い目でみたら、冬の筋トレもいいですが、どうやって、年中野球できるか、がすべてです。

そこが東北と北海道の違いだとおもいます。




金原 雅樹(昭和57年度(昭和58年3月)卒 野球部OB)


春季東北大会のメダル

春季県大会準優勝のトロフィー


*管理人より

金原先輩、投稿ありがとうございました。昭和56年夏のベスト8の結果が抜けている旨のご指摘をいただき、訂正させていただきました。その後こちらより無理を言って、当時のメダルとトロフィーを見せていただきました。これは大変貴重なものです。現役生も、このようなものを目標に是非頑張って古高旋風を巻き起こし甲子園出場を果たして欲しいと思います。

全国のOBの皆様、匿名でも構いませんので、ふるって当時の思い出や、後輩への期待を「OBの声」としてお寄せください。また、当時使用したユニフォームや新聞記事など、さまざまな資料の提供を呼びかけます。

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05 January 2011

古高グラウンドに行ってみた

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昨年末、古高グラウンドを訪ねました。だいぶ整備されたグラウンドに変貌していて驚きました。 

この上の外野の写真ですが、私が現役当時は、草で覆われていました。それでたまに草刈をするのですが、今度は刈った草を集めて捨てなければならずそれが物凄い大変でした。ひどい時は、深夜11時にようやく終えて帰ったこともあります。 



また、ブルペンもあります。





























三塁側にもベンチがあります。当時はこのどちらもありませんでした。
































それに、この照明ですが、我々の時は工事現場で使用するライト一基のみがあり、それをグランドに照らして練習後のグラウンド整備をしました。
 



当時の思い出ですが、練習終了後も1年生はグラウンド整備と用具の手入れ、及び自宅に戻ってのボールの修繕が残っていました。それで、翌日の練習でイレギュラーや用具に不備があると、恐怖の「センターダッシュ」という罰則があるわけです。 

これは、センターの最も奥(センターのネットのさらに奥のフェンス)にタッチして、ホームベースまで戻ってくる1年生だけの徒競走で、1位から抜けていくことができます。 

当時我々の同期は7人しかいませんでしたが(最終的に3年まで残ったのは5人)、私は足の早いほうでは無かったので、5~7本くらい走ることがほとんどでした。片道140mくらいある訳ですから、これがどのくらいの運動量になるか想像してみてください。 

それではじめの一本目から全力を出しても足の速い奴には勝てないので、若干手抜き気味に走るとまたそれを先輩に見抜かれ、無条件にダッシュの本数を増やされるというまさに鬼のシゴキでありました。 



それにしてもこの古高グラウンドの空を仰いで、汗を流し、声を出したものです。


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