行くぞ甲子園


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10 March 2026

東日本大震災15年 MBSラジオ~遺族が取り組む『企業防災』」/野球部OB鹿野氏 大崎市長選に出馬 3/10/26

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 03月08日(日




*早いもので東日本大震災から15年か。。。息子の健太選手を失った田村さんが、MBSラジオに出演しています。その時の放送内容は以下のリンクから聴くことができます。
https://open.spotify.com/episode/38oONWzXaFNyidknbamyo9



第1536回「東日本大震災15年【3】~遺族が取り組む『企業防災』」
ゲスト:一般社団法人「健太いのちの教室」田村孝行さん

田村孝行さん(65歳)は、東日本大震災で長男の健太さん(当時25歳)を亡くしました。健太さんは宮城県女川町の七十七銀行女川支店に勤務していました。地震発生直後、大津波警報が発表され、町の防災無線でも「高台への避難」が繰り返し呼びかけられていましたが、銀行の支店長は、走って1分のところにある高台ではなく、銀行の屋上への避難を指示。行員たちは津波に襲われ、健太さんを含む12人が犠牲になりました。
銀行側は、「宮城県が想定していた津波の高さは最大5.9mであり、高さ10mの屋上でも大丈夫と判断した」と説明。銀行の防災計画には、屋上に避難するプランもあったと言います。しかし、女川町を襲った津波は高さ20mにもなりました。高台に避難した住民600人は無事でしたが、屋上にいた健太さんらは津波に飲まれてしまったのです。
なぜ高台に避難しなかったのか、納得のいかない父・孝行さんは、息子の命を無駄にしたくないと、「健太いのちの教室」という団体を立ち上げました。人命を第一に考え、従業員の声をきちんと受け止める「企業防災」の重要性を訴え続ける田村孝行さんに話を聞きます。
 
健太いのちの教室
https://kenta-inochiclass.com/

(番組内容は予告なく変更する場合があります)



*動画はTBC東北放送公式Youtubeチャンネルより






産経新聞より

田村さんがラジオで言及している静岡銀行の改革を報じる産経新聞 3月15日




*また、平成8年卒 4番ファースト鹿野良太選手(元大崎市議、OB会副会長)が、大崎市長選に立候補したとのこと。ぜひ田村さんの訴えを具現化するような、防災、災害対策を強力に推進する市政を目指してくださいませ。詳細は以下より。





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03 March 2025

お知らせ 田村夫妻 NHK「クローズアップ現代」「おはよう日本」に出演予定 3/2/2025

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 *田村健太選手のご両親の活動が、日本時間3月10日(月)午後7時半、NHK「クローズアップ現代」にて放送される予定とのことです。

また、翌3月11日(火)、朝7時台のNHK「おはよう日本」に生出演するとのこと。

皆様ぜひ視聴くださいませ。

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04 May 2024

応援旗と絵本寄贈「健太の魂受け取って」ー大崎タイムズ 5/4/24

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https://www.osakitimes.com/2024/05/02/2024-5-3/


東日本大震災の津波で長男健太さん(当時25歳)を亡くした大崎市松山の田村孝行さん(63)、弘美さん(61)夫妻は4月30日、健太さんの母校古川高に自作絵本「ふしぎな光のしずく~けんたとの約束~」3冊と、野球部応援旗を寄贈した。健太さんは震災当時、七十七銀行女川支店に勤務。大津波警報が発令される中、支店長の指示で2階建ての屋上に避難したが、行員12人が犠牲になった。健太さんは半年後に見つかったものの、現在も8人が行方不明になっている。

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13 March 2024

東日本大震災13年 田村健太選手を偲ぶ 3/12/24

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大崎市松山石雲寺にある田村健太選手の墓誌 (石堂様提供)

*あの大震災から13年が過ぎた。本校野球部OBの田村健太選手は、あの巨大津波の犠牲となった。今もその両親は、いのちの大切さを訴える活動をしている。その拠点が「健太いのちの教室」である。

「姿かたちは見えなくなったけれど、健太はわたしたちといつも一緒に活動している。悲しいだけじゃない。この本の中にも健太は生きている。いつも中心にいて見守ってくれている」とこの度絵本を出版することになった両親は言う(下記参照)。

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23 January 2024

古高激闘の記録(21) 古川 対 一迫商 vol.2 2003年(平成15年)1/22/24

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*古高激闘の記録その21は、平成15年古川対一迫商のその2をお送りする。前回もお伝えした通り、この年古高は中鉢投手を擁して久しぶりのベスト8に進出、この一迫商業高校戦を迎えた。3回に古高が連打で3点を先制すれば、その裏一迫商業も古高守備陣のもたつく間に3点を返し、同点で4回の攻防を迎える。

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16 September 2023

古高激闘の記録(19) 古川 対 一迫商 vol.1 2003年(平成15年) 9/15/23

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*この「古高激闘の記録」シリーズ、今回は、平成15年(2003年)の対一迫商業戦 (vol.1)をお届けする。一迫商業といえば、元々は野球の盛んな高校では無かったが、1995年に熊谷貞男監督の就任により強豪校に変貌を遂げた学校であり、2005年の選抜甲子園大会にも21世紀枠で

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11 March 2023

【なぜ息子は命を失ったのか】津波に流され亡くなる・・・命を守る大切さを伝え続ける両親の思い【東日本大震災から12年】 3/10/23

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*本校野球部OBで2011年の東日本大震災で夭逝した田村健太選手の御両親が訴え続けている活動が大阪ABCテレビニュース番組内で紹介された。田村選手は平成15年古高久しぶりのベスト8進出を捕手で支えた立役者だ。
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18 January 2021

健太いのちの教室 ほか 1/17/21

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https://kenta-inochiclass.com/?id=top-recruit








*先の大震災で犠牲になった本校野球部OBの田村健太選手の御両親、田村孝行さんと弘美さんが、この新型コロナウイルスの拡大で薄れゆく震災の記憶を風化させないようにと「健太いのちの教室」を設立、インターネットを使用して全国に企業防災の大切さを訴える語り部活動を行っている。そのHPと、その活動を伝える新聞その他のメディアの情報、および近々開催されるシンポジウムのお知らせ、をここに共有する。



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12 March 2020

屋上へ避難した息子は津波に 両親が語り継ぐ企業防災 (朝日新聞)

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https://www.asahi.com/articles/ASN395607N39UQIP01G.html

*あれから9年。古高野球部OBだった田村君のご両親は今も企業防災の意識改善を訴える活動を続けている。



■東日本大震災9年、復興のバトン

 「職場で災害が起きたとき、何を優先して行動すべきか」。冷たい雪が吹きすさぶ宮城県女川町で、田村孝行さん(59)は学生10人に語りかけた。「まずは人命が第一。次に共助を考えてほしい」


9年前、震災で七十七銀行女川支店の銀行員だった長男の健太さん(当時25)を失った。支店長の指示で同僚らと高さ約10メートルの支店屋上へ避難したが、20メートル近い津波に襲われた。

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21 December 2019

聖火がつなぐ命の重み 大崎の田村さん、リレー走者に 震災で長男犠牲、企業防災を訴え(毎日新聞)

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聖火がつなぐ命の重み 大崎の田村さん、リレー走者に 震災で長男犠牲、企業防災を訴え(毎日新聞)

 「復興五輪」を掲げる来年の東京五輪。東日本大震災の津波で女川町の銀行に勤務中だった長男健太さん(当時25歳)を亡くした田村孝行さん(59)=大崎市=も県内を巡る聖火リレー走者に選ばれた。「息子の命を社会に生かす」と企業防災の大切さを訴える田村さんは「命のバトンと思って聖火をつなげたい」と意気込む。
 七十七銀行女川支店の行員だった健太さんは、上司の指示で同僚と支店屋上に避難した。だが、津波は屋上にも到達し、健太さんら4人が死亡、8人の行方は今も分からない。田村さんはその後、健太さんの母校・専修大など全国で、「働く人の命が守られる安全な社会に」と訴え続けてきた。
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02 March 2019

女川で伝え続ける東日本大震災(朝日新聞)3/2/19

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*田村健太選手とその死を伝え続ける両親の写真が掲載されています。
https://www.asahi.com/gallery/photo/national/shinsai-onagawade/20190302/

古高野球部同志として、今一度田村選手に哀悼の意を捧げます。




*このブログでは、「少なくとも後輩が甲子園に出場するまで、古川高校野球部に引退はない」という独自の思想より、田村健太「選手」という敬称を利用しています。

自分らが叶えられなかった夢を、ぜひ現役部員には達成してほしいと思います。

まだ夏があるぞ。








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16 November 2018

「自分の命は自分で守って」子どもたちに震災語り続ける (朝日新聞)11/15/18

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この横断幕は、田村さんが野球部に寄贈したものである。内容は健太選手が帽子のツバに書いていたものだ。



*もう何年前になるだろうか。海外に住んでいる私は一時帰国した際に田村さんの家を初めて訪ねた。健太君の御墓参りをするためだ。同じ野球部の後輩として、津波で亡くなられたという痛ましい報告を、当時の佐々木監督より受け取った。半年後に見つかった彼の亡骸はあの野球部グラウンドを一周したのち、荼毘に付されたという。田村健太君は平成15年、ベスト8に入った時の捕手で、大事にしていたミットを生き写した彫刻のある真新しいお墓だった。

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12 July 2015

宮城大会 津波で亡くなった長男の母校を応援 (産経ニュース)7/11/15

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http://www.sankei.com/region/news/150712/rgn1507120009-n1.html

 女川町の七十七銀行女川支店に勤務していた田村健太さん=当時(25)=が東日本大震災の犠牲になって4年4カ月の月命日の11日、父親の孝行さん(54)が高校球児だった息子の母校に贈った横断幕が仙台市の市民球場に登場した。
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09 September 2013

田村選手 続報 河北新報 9/9/13

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9・8の河北新報に田村選手のご両親の記事が掲載された。

 東日本大震災の発生から11日で2年半となる。津波で命を落とした七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の元行員田村健太さん=当時(25)=の父孝行さん(52)と母弘美さん(51)=宮城県大崎市松山千石=は、複雑な思いでその日を迎える。銀行側の安全配慮義務違反だとして提訴し、ちょうど1年。両親は「息子は銀行を誇りにしていた。再発防止のためにも行員の死に誠実に向き合ってほしい」と訴え続ける。

 田村さん夫妻は8月24日、健太さんの墓参りに訪れた。昨年12月に建てた墓の脇に、野球のキャッチャーミットをかたどった白御影石の彫刻をしつらえた。
 小学生時代から野球に打ち込んだ息子を喜ばせると同時に「かつてのチームメートが集まり、思い出話をしてくれるように」(孝行さん)との願いを込めた。

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19 July 2013

東日本大震災:震災死の元球児の父と婚約者 毎日新聞 7/18/13

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毎日新聞 2013年07月15日 


 東日本大震災で亡くなった元高校球児の田村健太さん(当時25歳)の父、孝行さん(52)は14日、健太さんの婚約者だった女性(28)とともに、仙台市民球場のスタンドから第95回全国高校野球選手権記念宮城大会を見つめた。健太さんの母校・宮城県立古川高校と女性の母校・県立佐沼高校の対決。孝行さんと女性は、甲子園を目指す球児たちの姿に「大切な人」を重ねた。
 「男の子が生まれたら野球をやらせたい」との孝行さんの期待に応え、健太さんは小学生で野球を始めた。中学2年の夏、親子で甲子園に行き「高校生になったら絶対ここに来る」と語り合う。健太さんは孝行さんの母校の古川高に進み、正捕手となった3年生の夏、県大会で22年ぶりの8強入りを果たした。
 大学卒業後に七十七銀行に就職したが、2011年3月、同行女川支店で勤務中、約10メートルの津波に襲われた。健太さんは翌週、婚約者を両親に紹介するつもりだったという。
 「健太も見たいだろうな」。婚約者だった女性は11年夏、2人でよく行った県大会を見に行った。スタンドに座った瞬間、涙があふれた。「ちょっと無理したかな」。それでも球場に足を運び続けた。

一方、孝行さんは震災後、野球を見ることができなくなった。選手たちが健太さんの姿と重なるからだ。だが先月末、母校対決を前に女性から届いたメールが孝行さんの心を動かした。「健太の後輩の応援に行きます。でも(お父さんは)無理しないでください」。直前まで悩んだ末、観戦を決めた。
 孝行さんは昨夏、健太さんの野球帽に手書きされていた「ONE FOR ALL」の言葉を横断幕にし、古川高に寄贈した。同校の佐々木貴芳監督(41)は「彼の残した『一人はみんなのために』という思いは、長く部員たちに伝えていきたい」と話す。
 健太さんの思いを込める横断幕が掲げられたスタンドで、女性が「健太はいつも腕組みして『今の(プレー)はああだ、こうだ』と話して、楽しそうだった」と振り返った。孝行さんは「なんかわかるな。健太が言いそうだ」と返した。
 この日は古川高が負けた。孝行さんは「今年来られたから来年も」と野球帽を握りしめた。女性は「いつか甲子園に行きたいですね」とほほ笑んだ。【近藤綾加】

田村健太さんの元婚約者の女性(右)と一緒に声援を送る田村さんの父、孝行さん。奥には、孝行さんが贈った横断幕が掲げられている=仙台市宮城野区で2013年7月14日午後1時55分、小川昌宏撮影









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16 June 2013

田村選手に関する続報

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なぜ、遺族は提訴したのか
日テレNEWS24


 2011年3月の東日本大震災で人口1万人のうち872人が死亡・行方不明となった宮城県女川町。女川町の七十七銀行女川支店では、震災時、13人の行員らが屋上に避難したが大津波に襲われ、12人が犠牲になった。
 行員らの遺族4人が銀行を相手に総額2億3000万円余りの損害賠償を求める裁判を起こしている。
 12日の『デイリープラネット』「プラネットVIEW」は、「なぜ、遺族は提訴したのか」をテーマに、ミヤギテレビ・橋本遼記者が解説する。(動画配信のみ)
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04 January 2013

田村選手の記事、朝日新聞全国版に載る。1/3/13

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*このブログでもたびたびお伝えして来た野球部OBの田村健太選手とそのご両親の記事が昨年末の朝日新聞の全国版に掲載されたのでここにお伝えする。


朝日新聞2012年12月29日 朝刊
http://www.asahi.com/national/intro/TKY201212280848.html


年の瀬に2012 被災地から 上

健太は生きる ミットとともに

男の子が生まれたら野球をやらせたい。それが父、田村孝行さん(52)の夢だった。
長男、健太さんが野球を始めたのは小学校の頃だ。守備位置は捕手。父の母校、宮城県立古川高校へ入学し、そこの野球部でも捕手だった。
同級生には頼もしい存在だった。足腰を痛めて退部を考えた友に「来たらいいべや」と強く明るく言うこともあった。友はマネージャーとして復帰した。
だが、当時、自分も腰を痛めていた。2年生の年の瀬、実業団や大学の選手も通うという整体師を頼った。「失敗すれば野球ができなくなる」と父が諭しても聞かず、荒療治に臨んだ。
翌日、立てなくなった息子を見て、父は「もう野球はできない」と思った。だが、「あきらめる」とは言わず、黙って歩く練習を始めた。年が明け、考えぬいたように父に言った。これまでより高級なミットがほしいと。審判員の資格をもち野球に通じた父は、最後の夏にかける息子の覚悟を理解した。仙台市の店へ一緒に買いに行った。
そのミットを手に挑んだ3年の夏の宮城大会。古川高は8強入りを果たした。
息子が繰り返したガッツポーズが父の脳裏に焼き付いている。野球を始めてから4個目のミット。それが最後のミットになった。



健太さんは大学卒業後、地元の七十七銀行に就職した。
昨年3月11日は宮城県女川町の支店で勤務していた。地震後、支店長ら12人と共に2階建ての支店屋上に避難し、津波で流された。25歳。翌週、恋人を両親に紹介する予定だった。
父と母弘美さん(50)は浜を歩き、捜しつづけた。野球部の仲間も仕事の合間を縫い、捜索に加わった。海で見つかったのは9月26日だ。
「なぜ高台へ避難しなかったのか」「守ってあげられなくて、ごめんね、ごめんね」。
息子がいない現実を受け止められず、遺骨は今も同県大崎市の自宅の祭壇にある。
なぜ親が子どもの墓を、と繰り返し思う。
それでも、今年の夏、父は、親類が眠る近所の石雲寺に墓所を決めた。80歳の和尚が、息子の霊を慰め、両親も慰めるために作ってくれた七言絶句の漢詩を墓碑に刻むことにした。
お墓をさみしい場所にしたくない。みんなが集える場所にしたい。父はそう考え、思いついた。「健太にミットを持たせたい」

石材店が、山形県の川崎町に暮らす彫刻家、平泉正司さん(53)を紹介してくれた。
9月22日、両親は平泉さんを工房に訪ね、息子のミットとボールを預けた。
5日後、平泉さんからメールが届いた。「四国の庵治(あじ)石を使います。最高級の石です」。その後も経過報告と写真が来た。ほこりをかぶらないようガラスケースに入れられたミットの写真もあった。
11月17日、再び工房を訪ねた。母が声を上げた。「そのまんまだ・・・・・・」。
ボールをはさんだミット。縫い目まで再現された石の彫刻だ。「息子が一番喜びます」。笑いながら涙がほおを伝う。父は「休みの日はお墓へ掃除に行くようになると思います」と言いながら、石のミットをなでた。
10日後、完成品の写真が届いた。薄茶色に染められ内側には黒い色づけ。使い込んだ跡だ。「健太さんの歴史を刻むことができたら」と平泉さんはメールに書いた。
ミットは墓の右側に備えつける。「ミットと共に健太は生き続ける」。そう父は願う。
来年の三回忌。みんなが集まれる土曜日に納骨を行う。
野球部の仲間も集う。
(小野智美)

東日本大震災から2年目の年が暮れようとしている。失った家族をおもいながら、前を向く人たちの物語を3回にわたり伝える。


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20 December 2012

署名活動のお知らせ2

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田村選手に関して

次回署名活動のお知らせ

12月23日(天皇誕生日)10時から。
および 
1月14日(成人の日)。


田村選手のミットがほぼ完成したとのこと。
本物そっくりである。







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02 December 2012

いざ立てよ我らが野球部!

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今年7月8日に田村さん(写真右)が野球部の横断幕を渡しに行った際の写真です。朝日新聞から提供されたものだそうです。OBの皆さん、ユニフォームと坊主頭を見ると、いつの時代も古高野球部は変わらないですね!

キャプテン、メンバーも非常に良い顔をしてます。野球部は他の生徒が私服の中、異様に日焼けした顔に学ランですぐ見分けつくのが特徴でした。

貴重な青春時代をただ白球を追うことだけに懸ける。。。
頑張れ、古高野球部!いよいよ古豪復活だ!!


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