毎日新聞 2013年07月15日
東日本大震災で亡くなった元高校球児の田村健太さん(当時25歳)の父、孝行さん(52)は14日、健太さんの婚約者だった女性(28)とともに、仙台市民球場のスタンドから第95回全国高校野球選手権記念宮城大会を見つめた。健太さんの母校・宮城県立古川高校と女性の母校・県立佐沼高校の対決。孝行さんと女性は、甲子園を目指す球児たちの姿に「大切な人」を重ねた。
「男の子が生まれたら野球をやらせたい」との孝行さんの期待に応え、健太さんは小学生で野球を始めた。中学2年の夏、親子で甲子園に行き「高校生になったら絶対ここに来る」と語り合う。健太さんは孝行さんの母校の古川高に進み、正捕手となった3年生の夏、県大会で22年ぶりの8強入りを果たした。
大学卒業後に七十七銀行に就職したが、2011年3月、同行女川支店で勤務中、約10メートルの津波に襲われた。健太さんは翌週、婚約者を両親に紹介するつもりだったという。
「健太も見たいだろうな」。婚約者だった女性は11年夏、2人でよく行った県大会を見に行った。スタンドに座った瞬間、涙があふれた。「ちょっと無理したかな」。それでも球場に足を運び続けた。
一方、孝行さんは震災後、野球を見ることができなくなった。選手たちが健太さんの姿と重なるからだ。だが先月末、母校対決を前に女性から届いたメールが孝行さんの心を動かした。「健太の後輩の応援に行きます。でも(お父さんは)無理しないでください」。直前まで悩んだ末、観戦を決めた。
孝行さんは昨夏、健太さんの野球帽に手書きされていた「ONE FOR ALL」の言葉を横断幕にし、古川高に寄贈した。同校の佐々木貴芳監督(41)は「彼の残した『一人はみんなのために』という思いは、長く部員たちに伝えていきたい」と話す。
健太さんの思いを込める横断幕が掲げられたスタンドで、女性が「健太はいつも腕組みして『今の(プレー)はああだ、こうだ』と話して、楽しそうだった」と振り返った。孝行さんは「なんかわかるな。健太が言いそうだ」と返した。
この日は古川高が負けた。孝行さんは「今年来られたから来年も」と野球帽を握りしめた。女性は「いつか甲子園に行きたいですね」とほほ笑んだ。【近藤綾加】