21 February 2019

1927(昭和2年)東北中等学校野球大会記(古中古高百年史より)


before
after



*昭和2年は第13回大会。古中は通算3回目の参加である。初参加は東北中に17-0、2回目の参加は東北学院に17-8で共に大敗した。

以前紹介したこの自動カラー化の技術であるが、このカラーリングの精度は非常に高いとされており、古中古高百年史に掲載されている白黒写真をもちいて試したところ、この時代は一過性のものかなにか、古中はエンジの早稲田カラーを使用していた可能性が高い。東京六大学野球が最も人気の頃だから、これはありうる話であろう。この早稲田スタイルのユニフォームは、現在、宮城県では仙台二高、白石高校などが継続して用いている。

 さてこの大会参加記であるが、前二回の惨敗にも関わらず、甲子園を狙う古中の意気や高し、現在に至る古高野球部の気質の原型を見るようで、なかなか興味深いものである。その相手は福師(福島師範)。結果その他はこのページに以前に掲載。
https://furuko-baseball.blogspot.com/p/and_2.html



高校野球がここまで人気を博したのはその根底に郷土愛、母校愛があったからで、公立校はこういう原点に帰ってみる必要があるかと思う。地元の選手で形成したチームは、過度に選手集めをしている強豪私立よりも断然郷土の応援を得られる、この利点を生かすべきである。地元の高校で野球をやりたいと思うチームになることだ。選手も応援される方がやりがいがある。

文章中「匍」とは「匍球(ほきゅう)」ゴロのこと。



七月二十九日 東北中等學校野球大會参加

 前二回共惨敗の憂目を見た朝日新聞社主催の東北野球大會に三たび参加することになった。
五年の選手七名を有つ今年度の我部こそ千載一遇の好機であらねばならぬ。この機を失はゞ未來永久に榮あるあの優勝旗を得て、甲子園頭に駒を進める時なからんこそ意氣や理凄い。
 学期試験終るや否や東北球界の権威宮越、熊谷兩氏を聘し炎天下猛烈なる練習を開始した。
練習期間旬日に満たざる短時間なるも親切なるコーチ熱心なる研究は相俟って各方面の進進歩を促し、黙々の中に互いに期する所あるものの如くだった。

 七月廿九日
愈々晴の日は到來した。しかも大會劈頭本校は福島縣中等球界の覇者を以て自ら任じ他人も許せる福師と相見た。勝つも負けるも兵家の常と観れば、武運天に在り只死力を盡せば足るのみ。されど郷土の誇母校の名誉を思へば自ら若き血汐は逆寄せ勝たでやはの氣漲り心の誓い益々固くなるを覺えた。
福師!!相手に不足はない我等は勇躍出陣した。午前九時廿分プレー!!片田正審の聲一度静寂を破れば風雲急を告げて戦機熟す

  試合経過
第一回 古中先攻紺野以下凡飛に退く▽福師石坂四球を利し二盗に成功し遊撃手よりの返球投手ファンブルする間に三壘を望んで刺さる齋藤遊飛目黒三邪飛。

第二回 (古)佐藤左飛に猛烈なライナーを送りしも左翼の美技に終り二死時澁谷二匍失に生き藤本の投手の右を抜く内野安打に送られしも名取ピーゴロ▽(福)四番打者土尾以下三者三振。

第三回 (古)永澤三匍暴投に一擧二進せしも後援續かず▽(福)長澤四球古川(弟)捕手の打者妨害に出て富岡のバントはかえって長澤を封殺せしも古川富岡の冒險的重壘成り石阪の三振後齋藤の三壘上すれすれに抜く安打(三壘手ファールと思って手を出さず)に二者生還目黒左翼に二壘打して齋藤を還せば次壘者土屋又第一球を左中間に三壘打して目黒を還し、中堅より返球走者に當りて点々する間に生還して五點を先占して意氣上る。

第四回 (古)二死後澁谷中堅右に安打し藤本の中飛失に走者二壘に據りしも名取二飛にしてものにならず。▽(福)古川(兄)遊匍失に出て長澤三振後古川(弟)投匍野手逸する間に三進富岡の内野安打に還り猶續々と見えしも石阪のバント打飛となり古川(弟)を重殺して止む。

第五回(古)紺野四球を得たるのみ▽(福)一死目黒土屋各遊撃左翼に安打し佐久間の中飛後古川(兄)四球を得て満壘となり長澤の遊匍に目黒還りしも土屋三壘をオバーランして刺さる。

第六回(古)佐藤遊匍失に出て大本の投匍に封殺澁谷の三匍に大本も封殺藤本三振▽(福)一死後富岡右前に安打し野手失する間に二進三盗せしも石阪とのスクイズ成らず三本間に挟殺さる石阪四球を得しも後援なし。

第七回 (古)二死後紺野内野安打に出てピンチヒッター須和部四球金原死球を得て満壘の好機を迎へしが佐藤一邪飛に空し▽(福)二死後古川(兄)遊匍一壘失に出長澤の三遊間安打に二進せしも古川(弟)遊飛に事なし。

第八回 (古)三者凡退▽(福)二者遊飛二死後齋藤目黒四球を得齋藤野手失に三壘を得しも土屋遊匍。

第九回(古)最後の攻撃も空しく三者凡飛に退き七對零にて敗る閉戦十一時五十分。

◎短評

實力の差と云へばそれまでだが、安打三本(内二本は内野安打)三振十一はあまりに味方の打力不振を物語って居る。終始得点のチャンスがなかったと言ってもよいほどだ。それに引代へ福師は一二回を除けば殆ど毎回チャンスに惠まれた。第三回二死後名取大飛球を惜しい所でファンブルして二壘打となしそれが禍して五點を與へたはともかく金原、紺野等好守して七点に食止めたはいささか賞するに足る。(スコアブックよりH生)

ちなみに応援団の右前列2人、顧問の先生と生徒か、野球部の写真にも
映っている。




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