01 February 2019

沼倉先生語録2(沼倉元監督による語録)

投手ポイントは、「タイプ違う複数投手を養成し、試合では継投で使う」

昭和46年、古川高校は東北大会の決勝まで進出したが、甲子園準優勝の小さな大投手田村隆寿投手擁する福島の雄、磐城高校に敗れ、悲願の甲子園出場にあと一歩届かなかった。この時の古高の投手は、2年生の右の本格派、沼倉二郎投手、3年生の右のアンダースローの板垣吉則投手の二枚看板であった。

 あれは確か高1か高2の雨の日であったと思うが、沼倉先生が部員にこの昭和46年の8ミリフィルムの様なもの、確か県の仙台育英戦だったか(9−2で古高の勝利)を見せてく
れたことがある。板垣投手は、まるで桐蔭学園の大塚投手ばりの、綺麗なアンダースローの投手だった様な記憶がある。私の関わった年代の古高では、1年上の寺崎投手も一度アンダースローへの転向を模索した時期がある(最後は結局上手投げに戻した)。平成3年度は、アンダーハンドの星投手を擁し2回勝ってベスト16まで行ったが、シード校の白石工業に惜しくも敗れた。敗れはしたが、この白石工業戦の星投手のカーブ、シンカーの切れも見事なもので、バッタバッタと三振の山を築いた。




参照:
https://furuko-baseball.blogspot.com/2019/01/blog-post_30.html

https://furuko-baseball.blogspot.com/2010/06/hp-http-www4.html






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