星合愛人著作集6、「心の影」昭和5年 台北文明堂書店 刊行。
これは総ページ数40弱の小さい詩集であるが、後半は前書きにある通りに俳句や漢詩が収められている。星合愛人氏が台湾総督府職員になって内地を離れたのは当ブログ「古川高校の歴史」に書いたのでそちらを参照されたい。
https://furuko-baseball.blogspot.com/p/blog-page_13.html
前書きをそのまま掲載する。それによれば青少年時の大方の習作は破棄してしまって、今はないものの幾つか残存せるものの中から出色のもののみ抜粋して詩集を編むと。萩畔子というのは星合氏の雅号である。別の本では星合萩畔(しゅうはん)と名乗っており、どのような使い分けをしていたのかは知ることもできない。東門というのは台北の中心地の地名。台湾に移住してから萩畔子と名乗るようになった可能性もある。(おそらくではあるが、孔子、老子、荘子、などを真似てか、その地で尊敬を受けて渡台したのち萩畔子と名乗るようになったのではないか。孔子などの"子"には他からの尊敬の意味が込められている)
その巻頭の詩が、「山上に立ちて」。この詩集は作製年順に詩が並んでおり、年月日も記載
https://furuko-baseball.blogspot.com/p/blog-page_13.html
前書きをそのまま掲載する。それによれば青少年時の大方の習作は破棄してしまって、今はないものの幾つか残存せるものの中から出色のもののみ抜粋して詩集を編むと。萩畔子というのは星合氏の雅号である。別の本では星合萩畔(しゅうはん)と名乗っており、どのような使い分けをしていたのかは知ることもできない。東門というのは台北の中心地の地名。台湾に移住してから萩畔子と名乗るようになった可能性もある。(おそらくではあるが、孔子、老子、荘子、などを真似てか、その地で尊敬を受けて渡台したのち萩畔子と名乗るようになったのではないか。孔子などの"子"には他からの尊敬の意味が込められている)
奥付において、確かにこれが星合愛人氏の作品であると確認される。出版は台湾文明堂書店である。
その巻頭の詩が、「山上に立ちて」。この詩集は作製年順に詩が並んでおり、年月日も記載