Youtube 「さくらしんちゃん」さんの動画より
参照: https://furuko-baseball.blogspot.com/2018/09/h30923-71_26.html
*一県一校制となってからの宮城代表校
(参考:BASEBALL DATA https://toshisuzuki.com/baseball/miyagi-rekidai-koushien/)
1975 | 仙台育英(4) | 1回戦敗退 |
1976 | 東北(9) | ベスト8 |
1977 | 仙台育英(5) | 1回戦敗退 |
1978 | 仙台育英(6) | 3回戦敗退 |
1979 | 東北(10) | 1回戦敗退 |
1980 | 東北(11) | 3回戦敗退 |
1981 | 仙台育英(7) | 1回戦敗退 |
1982 | 東北(12) | 1回戦敗退 |
1983 | 仙台商(3) | 3回戦敗退 |
1984 | 東北(13) | 3回戦敗退 |
1985 | 東北(14) | ベスト8 |
1986 | 仙台育英(8) | 2回戦敗退 |
1987 | 東北(15) | 2回戦敗退 |
1988 | 東陵(初) | 1回戦敗退 |
1989 | 仙台育英(9) | 準優勝 |
1990 | 仙台育英(10) | 3回戦敗退 |
1991 | 東北(16) | 1回戦敗退 |
1992 | 仙台育英(11) | 1回戦敗退 |
1993 | 東北(17) | 1回戦敗退 |
1994 | 仙台育英(12) | ベスト8 |
1995 | 仙台育英(13) | 1回戦敗退 |
1996 | 仙台育英(14) | 3回戦敗退 |
1997 | 仙台育英(15) | 2回戦敗退 |
1998 | 仙台(初) | 1回戦敗退 |
1999 | 仙台育英(16) | 2回戦敗退 |
2000 | 仙台育英(17) | 2回戦敗退 |
2001 | 仙台育英(18) | 1回戦敗退 |
2002 | 仙台西(初) | 1回戦敗退 |
2003 | 東北(18) | 準優勝 |
2004 | 東北(19) | 3回戦敗退 |
2005 | 東北(20) | ベスト8 |
2006 | 仙台育英(19) | 2回戦敗退 |
2007 | 仙台育英(20) | 2回戦敗退 |
2008 | 仙台育英(21) | 3回戦敗退 |
2009 | 東北(21) | 3回戦敗退 |
2010 | 仙台育英(22) | 3回戦敗退 |
2011 | 古川工(初) | 1回戦敗退 |
2012 | 仙台育英(23) | 3回戦敗退 |
2013 | 仙台育英(24) | 2回戦敗退 |
2014 | 利府(初) | 2回戦敗退 |
2015 | 仙台育英(25) | 準優勝 |
2016 | 東北(22) | 1回戦敗退 |
2017 | 仙台育英(26) | ベスト8 |
2018 | 仙台育英(27) | 2回戦敗退 |
こうやって見ると、44年間のうち、東北、仙台育英以外が甲子園へ出たのはわずか6回。仙台育英24回、東北14回。近年は仙台育英の優勢が目立つ。宮城県の歴代代表は、9割以上、仙台育英か東北で占められて来た。誰もが勝って甲子園に行きたいと思ってこの野球名門の2校に挑んできたが、ほとんどがそのぶ厚い壁に退けられた。
この上記の仙台育英と東北の独占状態を見るにつけ、私も含め、宮城県の公立校は何とかできなかったのか?の感が残る。こんなに長い間、この2校に甲子園を独占させて来たのは果たして良かったのか?本当になんの策もなかったのか。
同じ高校生だ、と口で簡単に言うが、この結果は、同じ高校生でも歴然と力の差があることを物語っている。
私は、今の現役部員が事あるごとに、「先輩や地元の期待に応えたかった」とインタビューに応えている記事を見るにつけて、大変申し訳ないような気持ちになる。このブログをやり始めた時にも一人のOBとしての気持ちを書いたが、古高が甲子園へ行っていないのは、私を始めOBが単に力不足だったからである。
歴史ある古高、卒業生も多い。かつ、日本のスポーツ界で最もポピュラーだと思われるイベント、「甲子園大会」に古高はまだ出場していない。現役部員の肩に周囲からかかる期待も相当なもので、当然そのような気持ちになるだろうが、この秋から春にかけては、卒業生は十分に楽しませてもらった気持ちが強い。こんなに力強く勝ち進む古高野球部を、私たちは見たかった。それを見せてもらった感じだ。
選手と監督に感謝申し上げたい。選考結果は残念ではあったが、夏は、ぜひ自分らの為に甲子園に行って欲しい。君たちが、古高の歴史をこじ開ける為に甲子園へ行って欲しい。何としても、だ。
この落選、悔しさは確実に選手を成長させる。船形おろしの吹雪吹きすさぶ大崎平野における冬の練習は、どこにも負けない厳しいものがある。その厳しさに打ち克つ時、選手は自分らの想像よりもはるかに成長していることに気づくはずだ。
これは夏、初出場への序章である。
プレッシャーをかけるのではなく、そう信じている。日増しにそういう思いが高まってきている。もっと言うと、初出場どころではなく、深紅の大優勝旗を持って帰って来て欲しいと思っている。馬鹿野郎と言われるかもしれないが、このブログを始めた2010年当初、古高が「甲子園へ」と言うタイトルに当初、違和感を抱きこそすれ、信じるものはいなかっただろうと思う。ところが今や、落選して周囲が肩を落とすまでに成長している。甲子園へあと一歩まで近づいた。
県優勝が目標と思っていると、その前でコケる。夏の深紅の大優勝旗を持ってくるんだと思えば、県優勝はもう一段下げた目標になる。
私の願いは、この秋から春にかけての周囲の盛り上がりが一過性のものではなくて、これを夏に向けてさらに上昇させることである。
さくらしんちゃんさんの古川対仙台育英の試合の動画を見て驚いたが、あの試合はほとんど古高応援の客だったのでは無いか。地域が、母校愛が、野球部を作っていく。私学強豪の壁を延々と破れなかった最大の原因はこの意識の希薄さではなかったろうか。
もう宮城の高校野球も変わるべきである。
一人本気の者がいれば、周囲は変えられる。十人いたら、一気に変わる。本気の者が増えれば、甲子園は近い。地域が、母校愛が、甲子園に出る高校を育てて行く。その力は、古高には、ある。
ソフトバンクの王会長が、日本記者クラブでの会見で、「野球はみんなが監督になって楽しめる」と言ったそうだが、弱小公立高校の強みはまさにこれである。私立の豪華な閉鎖された練習施設ではなく、街の中にオープンなグラウンドがある。街の野球部がある。技術を指導するのではなく、応援して行く。気にかけて行く。悪行があったら、「それでも古高の野球部か?」と街の人が注意する。
昔、このブログにも、野球部の新幹線内の態度が悪いと批判の声が寄せられたことがある。ブログを見たら、歴史ある高校なのに、残念な態度が目立ったと。筆者はこれは野球部の公式のHPでは無いが、大変ありがたいご指摘と思い、当時の佐々木監督に連絡を取り、その内容を伝えた。佐々木監督はすぐに職員会議で議題にしてくれたらしい。こういうのは街が野球部を作って行く格好の例であろうと思う。
倒されても倒されても立ち上がって行く。目標は常に大きく。古高野球部はまさに人生の縮図だ。派手に倒される。また立ち上がる。それでも常に強豪校に立ち向かっていく。常に”挑戦の蛍”がユニフォームの袖の部分で発光している。筆者の言う「甲子園へ」と言うのは、実は甲子園大会に出ることや、甲子園球場に行くことでは無い。「最も高い目標」を掲げて、敢然と立ち向かう姿、そのイメージ、代名詞が「甲子園」なのである。
そして実は、現役部員だけを鼓舞しているのでも無い。現役部員の活躍に仮託して、自分自身を鼓舞していると言ってもいいだろう。自分が監督であり、選手、それが可能なのが古高野球部だ。
古高野球部は、応援するみんなと一緒に甲子園を目指す存在であって欲しいと心から願う。
すべての戦いはこれから始まるのである。
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