16 December 2018

ぐるっと東北・母校をたずねる 宮城県古川高/2 

*手前味噌になりますが、当ブログが毎日新聞に引用されています。大変光栄なことです(ヤッホー \(^〇^)/ )。「ぐるっと東北・母校をたずねる」は有料記事ですが、ワンデープラン一日100円で24時間読み放題になる便利なコースがあります(今回だけ一応転載を許していただけるでしょう)。次回ぐるっと東北・母校をたずねる 宮城県古川高/3はムネさん(さとう宗幸 先輩)です。

また、伊藤先輩、鈴木先輩については、合わせてこちらもご覧ください。





戦後体験、コメ改良の道に 元県古川農業試験場長・佐々木武彦さん /宮城 毎日新聞2018年12月14日 地方版

佐々木武彦さん=1954年度卒


 宮城県古川農業試験場の元場長、佐々木武彦さん(82)=1954年度卒=は銘柄米「ひとめぼれ」などの生みの親です。米の多くは、宮城県古川高のある大崎市から東北各地に広まったのです。佐々木さんが古高(ふるこう)で学んだ時代は「戦後」が色濃く残っていました。【山田研】
     古高に入ると、まだ軍服で教壇に立つ先生がいました。戦後間もない時代です。名物先生もいっぱいいました。十何年も二十何年もいる先生が多く、漢文の桜田(鴻英=42~57年在勤)先生をはじめ、それぞれの考え方をもって世の中の見方を教えてくれました。中学までは教科書の字面ばかり追うような勉強でしたが、高校ではいろいろなことを考える機会を与えられたと思います。
     部活は「生物班」にちょっと首を突っ込んだだけでした。スポーツは苦手でしたが、同級生にはいろいろ活躍する選手がいて、野球では投手の伊藤(春男)君が卒業してプロに入りました。クラスでも体格がずばぬけていて、背が高く、投げる球もかなりスピードがありました。宮城球場(現・楽天生命パーク宮城、仙台市)にも応援に行き、(野球部が)甲子園に行けたらな、という思いでした。
     卒業後は東北大農学部に進学しました。のんびりした時代で、受験を意識したのは3年も夏休みを過ぎてからじゃないですかねえ。何をやろうかという時、農家で育った体験が決定的でした。米作りの農家でありながら、ご飯をまともに食べられなかったという強烈な体験です。
     記憶では46年5月のことです。農家は何人家族でも米1斗(15キロ)を残して後は全部、国に強制的に供出させられました。6月に麦やジャガイモが収穫でき、農家はなんとか生きながらえたのです。我々は粗末なものでも小学校に弁当を持っていって食べられましたが、東京あたりから疎開してきた子どものほとんどが弁当を持って来なかった。教室の中でじーっと座っている子の前で弁当を食べるのは子どもながらも嫌な感じというか申し訳ないっていう気持ちになりました。
     中学1、2年のころ、農家の人たちと一緒に大喜びしたことがあります。当時「おいしい米は反収が少ない」が常識でした。供出の時代、作付けした大半は当時最も多収な「福坊主」で、1反当たり6俵(10アール当たり360キロ)から6俵半くらい取れました。でも、自宅用のおいしい品種は4俵半どまりです。それが、「54号」という品種を植えたら7俵から7俵半ぐらい取れ、味もずばぬけて良かったのです。「54号」の正体は、今の県古川農業試験場で育成された「東北54号」です。後に「ササシグレ」の名で登録され、東北一の大品種になりました。そういう体験がなかったら、品種改良の道に進むことはなかったと思います。
     今も中学、高校の仲間と年に1回は集まっては、わいわいやっています。

    県内優勝もある野球部

     古川高野球部の創設は1921(大正10)年。「甲子園」出場こそないものの、県内での優勝経験もある古豪だ。
     県高校野球連盟の40年史「汗と土と涙と」(88年)や個人ブログ「古川高校野球部を甲子園へ」によると、51年に夏の宮城大会で優勝。当時は南東北3県から1校が甲子園の土を踏める時代で、東北大会で惜敗した。53年夏は県4強入りで東北大会に進出したが敗退。同年秋の県大会も優勝したが、やはり東北大会で敗れた。夏秋の投手、伊藤春男さん=54年度卒=は「毎日オリオンズ」、内野手の鈴木徹さん=同=は「大洋ホエールズ」へプロ入りし、鈴木さんは後に審判に転じた。
     県代表決定戦でサヨナラ勝ちした71年夏は、福島県代表との決勝となり、甲子園で準優勝する磐城高に敗れた。「あと1勝」まで迫ったナインを「個性豊かな集団が一丸となって戦った」と野球部OB会長の沢口康久さん(61)=74年度卒=は振り返る。そして、古高野球部を「押しつけられて練習をやることは、全くなかった。校訓通りの自主自律です」と語る。

    卒業生「私の思い出」募集

     古川高卒業生のみなさんの「私の思い出」を募集します。300字程度で、学校生活や恩師、友人との思い出、またその後の人生に与えた影響などをお書きください。卒業年度、氏名、年齢、職業、住所、電話番号、あればメールアドレスを明記のうえ、〒100-8051、毎日新聞地方部首都圏版「母校」係(住所不要)へ。メールの場合はshuto@mainichi.co.jpへ。いただいた「思い出」は、紙面や毎日新聞ニュースサイトで紹介することがあります。

     ■人物略歴

    ささき・たけひこ

     1936年、旧田尻町(現大崎市)生まれ。東北大農学部卒。農林省(現農林水産省)入省。県農業試験場古川分場(現県古川農業試験場)に移り、品種改良に従事。寒さに強い品種研究用の「検定ほ場」を考案し、「ひとめぼれ」(育成年91年)、「まなむすめ」(同97年)などを世に出す。同試験場長、宮城経済連(現全農みやぎ)米穀部技術主管、NPO法人環境保全米ネットワーク副理事長などを歴任。

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