行くぞ甲子園


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02 December 2010

古高激闘の記録(3) 古川ー東北(昭和61年)12/2/10

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(動画 )古川1回の表、2アウトから鮮やかな先制


昭和61年、第68回全国高校野球選手権宮城大会4回戦 
古川4ー5x東北。


古川 102 000 001   |4
東北 100 000 004x |5

この夏、古高は2回戦亘理戦を12-3、3回戦気仙沼西戦を8-1とともにコールドで撃破。3番千坂選手(中新田)、4番千葉選手(古川西)、5番鈴木選手(高清水)と強力なクリーンナップを誇り、4回戦、因縁の東北戦を迎えた。
その前年の秋季大会県大会で、古高は東北にサヨナラ勝ちし、東北高校の選抜出場を阻止した経緯があって”因縁の対決”。初回、2アウトから秋に2本塁打、サヨナラヒットを放った千坂選手、さらに7打席連続ヒット中の4番千葉選手を迎える。

*この試合当時、私は中学3年生であった。家のテレビでこの中継を見ていた。思い出深い一戦である。古高を受験することは決めていたが、古高の野球がどの程度のレベルなのかは知らなかった。この試合を見て、古高でもやり方さえうまくすれば、甲子園に行けるレベルにあるのではないかと思った。いや、積極的に古高野球部で野球をやってみたいと憧れたのである。
その当時は、一回戦からいろいろな放送をKHB(東日本放送)は精力的に行なっていた。このように、テレビの影響で高校野球をやりたいと憧れる少年は多いはずである。野球不人気が騒がれる中、テレビ中継が及ぼす影響というものをもう一度今の宮城県放送関係者は考えて欲しいと思う。他県の問題ではない、宮城はまだ大優勝旗がないのだ。県内の高校野球を全国トップレベルにするには、地味なテレビ中継の影響以上に大きいものは考えられない。

楽天が本拠地となって、星野監督の就任、岩村・松井メジャーリーガーの加入と、今年はさらに杜の都の野球は盛り上がりそうだ。高校野球人気との相乗効果を願ってやまない。

(動画3:06付近、東北高校ベンチ、監督の後ろで座っているのは二年生の斉藤隆(東北福祉大ー横浜ードジャースーレッドソックスーブレーブス)。東北高校時代は一塁手)


古川ー東北 その2は

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24 November 2010

重要情報 古川高校出身のプロ野球選手は2人である。

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★★重要情報★★ 

前回お知らせした伊藤春男投手ですが、間違いなく古川高校の先輩です。昭和29年に鈴木徹先輩とともに卒業、伊藤投手は毎日オリオンズに進んでいます。古高では2年からエース(写真上)、秋季大会で古高初優勝のエースでした。 

どういう理由か、選手登録はこの昭和30年の一年きりのようです。背番号は50。しかしながら、これは古高OBのプロ野球選手が2人であるという確証となりました。あわせてそれらの資料もご覧ください(中:定本・プロ野球40年、報知新聞社; 下、日本プロ野球50年史、ベースボールマガジン) 












(2018.12.6 加筆 参照ベースボールマガジン選手名鑑 伊藤春男)

https://furuko-baseball.blogspot.com/2018/12/blog-post.html

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14 November 2010

新・重要情報  伊藤春男 投手について

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新・重要情報 



昭和29年卒業のメンバーで、
鈴木徹先輩がプロ野球大洋に進んだことは以前にも書いた。 
しかしながら、この年のエースの
「伊藤春男」投手が、大毎オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に進んでいた可能性が浮上。調査します。これが本当であれば、古高出身のプロ野球選手は「2人」ということになります。 

また、幅広く情報を募集します。 

古川高 昭和29年度
部長 佐藤 亨 
監督 日野定雄 
LF 鈴木茂雄(3) 
SS 佐々木巌(3) 
P 伊藤春男(3) 
1B 鈴木 徹(3) 

2B 都築 侔(3) 
RF 大本利器(3) 
CF 今野誠勇(3) 
3B 椿本 修(2) 
C  早坂 豊(3) 
補 斎藤完弥(2) 
補 鈴木啓之(2) 
補 金沢武司郎(2) 


参考ページ↓昭和30年の背番号50が伊藤投手、卒業年が昭和29年であり、合致する。 

http://page.freett.com/tmworks/CLM55-59.htm 


(2018.12.6 加筆 参照ベースボールマガジン選手名鑑 伊藤春男)
https://furuko-baseball.blogspot.com/2018/12/blog-post.html
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23 October 2010

古高激闘の記録(2) 古川ー宮城工 10/22/10

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昭和63年度、第70回記念大会、三回戦 古川ー宮城工

この年、古川は二回戦強豪仙台工業を一番佐々木遊撃手の長打などで3-1で撃破、三回戦 宮城工業戦を迎える。この対戦は、奇しくも昭和28年度宮城県大会決勝戦のカードであり、その昭和28年は宮城工業に勝った古川が初優勝を遂げた。

古川はエース寺崎投手の粘り強い投球と堅い守備で得点を許さず、0-0のまま8回に突入。両チームに重苦しい空気が流れる。

この均衡を破ったのは主将の3番小出選手だった。小出選手は2アウト2塁の先制のチャンスから、宮城工の先発加藤投手の甘く入ってきた直球を逆わらずに右中間へライナーのヒット。宮城工業のセンターは強肩であったが、2アウトということから2走佐々木選手は迷わず三塁を回りホームへ。センターからノーバウンドのストライクの好返球が来たが、クロスプレーながら間一髪セーフ。結局この1点を寺崎投手気迫の投球で守りきり見事完封勝利。再三のピンチを好守でしのぎ、ただ一度のチャンスを確実にものにした古川に軍配が上がった。

直後の試合は東北ー気仙沼水産(現・気仙沼向洋)。米谷工業の渡辺投手を1-0で撃破し波に乗る気仙沼水産だったが、東北の鋭い打撃が一枚上手だった。5-0で東北の勝ち。
古高は、いよいよ2年前の雪辱を期すべく4回戦で東北と激突することが決定した。

*私が20代後半の時に体調を崩して田舎に帰省している時に、寺崎先輩に偶然古川の古本屋で出会った。しばらく立ち話をして別れの挨拶をし、私は自分の興味ある本探しをしていたわけだが、彼は、去り際にもう一度戻ってきて、私に一言「頑張れよ」とポンと体を叩いて去っていった。私は都会の生活に少々疲れ、言ってみれば負け犬の体で田舎に戻って来ていたのであるが、この先輩との10年ぶりの瞬時の再会が、私にあの第二グラウンドで培った負けん気を思い出させてくれたのである。私ははっきりとそれを忘れていたのであり、以後忘れることは無くなり、その結果として、何かを投げ出して田舎に帰ってくるようなことも無くなったのである。

先輩はいくつになっても頼もしく、またありがたいものである。

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27 September 2010

大館鳳鳴が横手城南破り優勝 秋季高校野球

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【大館鳳鳴―横手城南】横手城南を完封し、チームを優勝に導いた大館鳳鳴・齊藤=こまちスタジアム
 第62回秋季東北地区高校野球県大会(県高野連主催)最終日は26日、秋田市のこまちスタジアムで決勝と東北大会出場を懸けた第3代表決定戦を行った。
 決勝は、終盤に突き放した大館鳳鳴が、創部3年目で初めて決勝に進んだ横手城南を4―0で下し、19年ぶり2度目の優勝を飾った。
 横手―大曲工の第3代表決定戦は、大曲工が7―3で快勝した。
 来春のセンバツの参考資料となる東北大会は10月8~12日、山形市の蔵王タカミヤホテルズスタジアムなどで行われ、本県から大館鳳鳴、横手城南、大曲工の3校が出場する。
【こまちスタジアム】
 ▽第3代表決定戦
横  手 100 001 100|3
工 102 300 01×|7
 ▽決勝
大館鳳鳴 000 001 012|4
横手城南 000 000 000|0 


カメラ【大館鳳鳴―横手城南】横手城南を完封し、チームを優勝に導いた大館鳳鳴・齊藤=こまちスタジアム 

*古高と同様な伝統校で甲子園出場ない大館鳳鳴が優勝しました! 


参考URLはこちら。古川高校の記事もあります!!↓ 
http://www.tomboworks.co.jp/homei/ura/index.html

甲子園出場校について/小棚木 政之(鳳鳴38期)
毎年この時期になると話題になる話ですが、群馬県のnomotoさんから以下のようなメールを頂きました。良かったような、悲しいような…。nomotoさん、メールありがとうございました。両校が一日も早く出場できるよう願っております。
私は群馬県立太田高等学校の昭和61年度応援団長だったものです。  大館鳳鳴高校も旧制中学から続く伝統ある進学校と存じております。 
さて、このホームページの中に「創立100年でいまだ甲子園に出場していないのは、鳳鳴高校だけ」という趣旨の文章がありましたが、そんなことは全くありません。
私の母校、太田高校は明治30年(1897)に学校創立、明治33年(1900)に野球部創部と大変歴史のある学校ですが、旧制太田中学・太田高校を含め未だ甲子園に出場していません。群馬県内でも同時に学校を創立した富岡高校(旧制富岡中学)・藤岡高校(旧制藤岡中学)・沼田高校(旧制沼田中学)も未だ出場していません。このように旧制中学時代から100年近く経過した甲子園未出場は全国に50校以上あるはずです。(東北地方でも福島高校や安積高校・古川高校・角田高校も甲子園に出場していません) 
今年の大館鳳鳴高校野球部は秋田県内でも力があるようですので、ぜひ悲願の甲子園出場を目指してがんばってください。太田高校もがんばります。


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25 September 2010

延長18回戦った箕島―星稜OB、甲子園で再戦

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*この話題は古高には直接関係ないが、個人的にこの試合が印象に残っているもんで敬意を表して投稿しておきます。

尾藤監督の野球、好きでした。早く元気になってほしいものです。

延長18回戦った箕島―星稜OB、甲子園で再戦 (asahi.com)



第61回全国高校野球選手権大会(1979年)で、延長18回の熱戦を繰り広げた星稜(石川)―箕島(和歌山)戦に出場した選手が23日、31年ぶりに兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で再戦した。当時監督の箕島・尾藤公さん(67)、星稜・山下智茂さん(65)がベンチで声援を送る中、雨で開始が約1時間遅れた試合は、星稜が17―13で雪辱した。星稜―箕島のOBによる再戦で、箕島元監督の尾藤公さん(前列右から4人目)を囲み、記念撮影がおこなわれた=23日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場、伊藤恵里奈撮影

両校は79年8月16日の3回戦で対戦。箕島が延長で2度のリードを許しながらも本塁打で追いつき、18回にサヨナラ勝ちした。過去2回再戦したが甲子園では初めて。延長18回を投げ抜いた箕島のエース石井毅さん(49)は「マウンドの雰囲気は昔と変わってない。あの時を思い出した」と話した。
がんと闘病中で車いすに乗った尾藤さんは「甲子園は心のふるさと。うれしくて楽しい気持ちになった」と何度も涙をぬぐい、山下さんは「早く元気になってもらい、甲子園で一緒に若手を育成したい」とエールを送った。両校は今後も交流は続けるが、試合は今回が最後という。

星稜―箕島のOBによる再戦で、箕島元監督の尾藤公さん(前列右から4人目)を囲み、記念撮影がおこなわれた=23日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場、伊藤恵里奈撮影


試合後、握手を交わす箕島高と星稜高の野球部のOBたち=23日午後、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場、伊藤恵里奈撮影
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24 September 2010

48回目の秋季県大会(修正後再投稿)

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今年の秋季大会は第63回目。その中で古川高校は東北高校(57)、仙台育英学園高校(50)に次ぐ、第三位の記録である48回目の出場である。夏に古高と2回試合をした塩釜高校の30年ぶりの出場が光る。

(宮城県高野連HPより)

地区
学校名

出場回数
南部地区
東北工業大学高等学校
第1代表
6回目〔2年連続〕
宮城県農業高等学校
第2代表
26回目〔3年連続〕
宮城県仙台西高等学校
7回目〔3年連続〕
宮城県角田高等学校
 
13回目〔3年ぶり〕
宮城県大河原商業高等学校
 
34回目〔2年ぶり〕
宮城県名取北高等学校
 
7回目〔2年ぶり〕
中部地区
仙台育英学園高等学校
第1代表
50回目〔7年連続〕
東北高等学校
第2代表
57回目〔2年連続〕
聖和学園高等学校
 
5回目〔2年連続〕
仙台市立仙台高等学校
 
8回目〔8年ぶり〕
宮城県仙台第三高等学校
 
23回目〔2年ぶり〕
宮城県塩釜高等学校
 
7回目〔30年ぶり〕
仙台市立仙台商業高等学校
41回目〔2年連続〕
東部地区
東陵高等学校
第1代表
25回目〔15年連続〕
宮城県石巻工業高等学校
第2代表
33回目〔3年連続〕
宮城県気仙沼高等学校
 
37回目〔2年連続〕
宮城県水産高等学校
 
20回目〔2年ぶり〕
宮城県気仙沼向洋高等学校
 
21回目〔7年連続〕
宮城県石巻西高等学校
 
7回目〔3年ぶり〕
北部地区
宮城県利府高等学校
第1代表
23回目〔4年連続〕
古川学園高等学校
第2代表
33回目〔6年連続〕
大崎中央高等学校
 
9回目〔7年連続〕
宮城県小牛田農林高等学校
 
23回目〔6年ぶり〕
宮城県古川工業高等学校
 
45回目〔2年ぶり〕
宮城県古川高等学校
 
48回目〔3年ぶり〕

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