*昭和63年、筆者が古高野球部2年生だったこの年は、2回戦で当時強豪の仙台工業を佐々木靖選手の長打などで僅差で破り、3回戦で宮城工業をエース寺崎投手が1−0で完封 (https://furuko-baseball.blogspot.com/2010/10/blog-post.html)、いずれの試合も、味方打線はチャンスらしいチャンスはほとんどなく、相手は山のようにチャンスがある胃がキリキリ痛むよ
うな試合展開をギリギリで耐え凌ぎ、ほとんど「たった一回」の得点チャンスをきっちりものにして勝利、いよいよ、当時待望の東北戦へと2年ぶりに駒を進めたのである。この辺の因縁に関しては、過去の「激闘の記録」を参照されたい。強豪と試合をやる場合は、初回が全てだと思うぐらいの意識を徹底しておく必要がある。初回の攻防で勝負が決まるくらいに思う必要がある。そのため、ジャンケンで勝ったならば、絶対に先行をとった方が良い。これは、味方投手の緊張を考慮した場合にどうしてもその結論に達するのである。先行をとって、なんとしても初回、一球一球ボールに喰らいついて、粘って相手投手に球数を投げさせる。その間、投手は最後のブルペンでの細かい確認ができるのだ。極端に言えば、ヒットは打たなくても良い。出来れば四球で出塁する。二番打者も同じである。もちろん、簡単に犠牲バントはしない。バントの構えをしたりバスターをしたりと、盗塁、エンドランへの警戒を与え続ける。この細かい動きの蓄積が後々、相手投手の疲労を誘うことになる。
どんな形でもいいので、先取点を取って、常にリードしていく展開を作る。まさにこの二年前の対東北戦が、サヨナラ負けはしたが最大のお手本のような試合だったと言える。とにかく先行で先制攻撃を仕掛けることだ。一度でも打席に立つと、その試合が違って見えてくることは野球を本格的にやったことのある人ならば誰でも経験していることだろう。まして、最初の打席にクリーンヒットなどを打とうものなら、それまで緊張のために直線的な視野でしか見えていなかったグラウンドが広く一望できるようになり、緊張が一転いい意味での自信に変化し、その後の守備も緊張せずに、相手を「飲んで」かかれるものなのである。
この初回の立ち上がり、四球で貯めたランナーを東北の5番相沢選手にセンター前に持っていかれ、2点を簡単に許す展開、まだ続くピンチに6番南谷選手の鋭い打球を、サード小出主将が好捕、きっちりゲッツーを取ってピンチを凌ぐとともに、この嫌な流れを断ち切ったように、古高はこの年も守備は猛練習で徹底的に鍛えた自信があり、取り合えず相手打線を必要以上に恐れず、軽く打たせて取ることにしておけばまた試合展開も変わったかもしれない。
東北の打線は当たりは鋭いものの、決してこの初回のように警戒するあまりにコースを狙い過ぎて四球を許す必要のある打線ではなかった。かえすがえすもこの初回の戦い方が惜しまれるのである。長い守備時間によって、ペースも完全に東北に与えてしまい、古高も4長打で反撃したが、以後ペースが古高側に傾くことは無かった。
試合後、小出主将をはじめ、皆、宮城球場の裏で号泣した青春の一ページが昨日の事のように思い出される。敗れはしたが、惜しい試合だった。今となっては、勝手なことは言えるが、当時の17、18の少年には力を振り絞った必死の戦いだったこともまた間違いない。
ただし、野球の考え方を17、18から徹底していれば、勝てた可能性がある試合でもあったと思うのである。現役選手は、この野球の考え方を普段の生活から深く追求していくべきである。古高に伝統的に足りないのは技術以上にこの点だ。筆者が思うに、弱小校が強豪校を食った番狂せに当てはまる共通点として、教科書通りにセオリーに従って正々堂々と戦った上に勝ったケースというのは稀であると思う。なぜなら普通にやったならば、圧倒的に力は向こうが上なのが強豪たる所以だからだ。バレーボールで例えるならば、向こうが強烈なジャンピングサーブで来るなら、こちらは向こうが対処もしてなかった天井サーブを連発して撹乱するとか、相撲に例えるならば、舞の海のように体勢低く相手の足に絡みついてその巨漢のバランスを崩して倒すとか、何かしらの奇襲とは言わないまでも、作戦上の「意外性」が潜んでいなくてはならぬと思う。それがなんなのかを常に考えること、これが野球脳の訓練である。
(追記) これもまた余談だが、この映像でもみられるように、当時は二塁ランナーのコース指示は当然のように行われていた。これが突然、「サイン盗み」になってきた日本の高校野球の背景はよく分からないが、「余計な動きするな」と怒鳴る審判もいるとかで、それはいくらなんでも無理があるだろうと私は考えている。この理論がもし正論ならば、ベンチから、サードコーチから、投手から、捕手から、はたまた二遊間の守備選手が相手に見えるようにサインを送っている間にも、相手側は一切動くな、余計な動きするな、ということになってしまう。
常にサインで意思を伝達する必要がある競技の性格上、2塁ランナーが自分で打者にサインを送りたい場面も当然ある訳で、一切動くなというのはこの野球の理に反していることはプロ野球OBの江本孟紀氏も指摘している(https://www.youtube.com/watch?v=EydG3MPIVy8&t=37s)。正論である。2塁にランナーをおくことがそのような危険があることは承知の上で当時のバッテリーは相手ランナーを欺くようなサインを出していたはずであり、アメリカでは「ゲームズマンシップ」の範疇、スポーツマンシップに反しているとは捉えられていないことを過去にこのブログでも指摘した(https://furuko-baseball.blogspot.com/2019/12/gamesmanship.html)。こちらも参照されたい。
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