Jan 18, 2013

懐かしの古高写真集


田村様提供。
まずは我らが血と汗のグラウンドだ。すぐ隣りを陸羽東線が走っている。


これはバックネット裏だろうが、少なくとも我々の時代はこのような小屋は無かった。


部室?何となく面影はある。リアカーはまだあるか?

Jan 4, 2013

田村選手の記事、朝日新聞全国版に載る。

*このブログでもたびたびお伝えして来た野球部OBの田村健太選手とそのご両親の記事が昨年末の朝日新聞の全国版に掲載されたのでここにお伝えする。


朝日新聞2012年12月29日 朝刊
http://www.asahi.com/national/intro/TKY201212280848.html


年の瀬に2012 被災地から 上

健太は生きる ミットとともに

男の子が生まれたら野球をやらせたい。それが父、田村孝行さん(52)の夢だった。
長男、健太さんが野球を始めたのは小学校の頃だ。守備位置は捕手。父の母校、宮城県立古川高校へ入学し、そこの野球部でも捕手だった。
同級生には頼もしい存在だった。足腰を痛めて退部を考えた友に「来たらいいべや」と強く明るく言うこともあった。友はマネージャーとして復帰した。
だが、当時、自分も腰を痛めていた。2年生の年の瀬、実業団や大学の選手も通うという整体師を頼った。「失敗すれば野球ができなくなる」と父が諭しても聞かず、荒療治に臨んだ。
翌日、立てなくなった息子を見て、父は「もう野球はできない」と思った。だが、「あきらめる」とは言わず、黙って歩く練習を始めた。年が明け、考えぬいたように父に言った。これまでより高級なミットがほしいと。審判員の資格をもち野球に通じた父は、最後の夏にかける息子の覚悟を理解した。仙台市の店へ一緒に買いに行った。
そのミットを手に挑んだ3年の夏の宮城大会。古川高は8強入りを果たした。
息子が繰り返したガッツポーズが父の脳裏に焼き付いている。野球を始めてから4個目のミット。それが最後のミットになった。