沼倉先生語録3(沼倉元監督による語録)

3. 名前負けすねえように。(しないように)

私たちの代の秋の新人戦は、前年に引き続き仙台商業と当たった。あの頃の仙台商業と言えば、荻原投手を擁して夏の甲子園に出てまださほど時間の経ってない時期である。県内で言えば、東北、仙台育英、東陵、仙台商業くらいが四天王だった頃だ。

 私たちは、秋は旧大崎リーグぎりぎりの第四代表。近年に無い悪い成績だった。古高は当時、秋は負けても第二代表、春はほぼ第一代表で県大会に進んでいた。校舎の階段をすれ違った時に、当時の教員2人がこの第四代表の話題をしていて、「第四代表?古高の野球部も弱くなったな」と呟いたのを聞いて傷ついたのを覚えている。

 その前年の秋の県大会初戦も東北福祉大球場に置いて、対仙台商業。5-7で競り負けた。
 

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夏に向けて燃えろ 蛍雪健児


Youtube 「さくらしんちゃん」さんの動画より

参照:  https://furuko-baseball.blogspot.com/2018/09/h30923-71_26.html


*一県一校制となってからの宮城代表校
(参考:BASEBALL DATA https://toshisuzuki.com/baseball/miyagi-rekidai-koushien/)

 1975 仙台育英(4) 1回戦敗退
1976 東北(9) ベスト8
1977 仙台育英(5) 1回戦敗退
1978 仙台育英(6) 3回戦敗退
1979 東北(10) 1回戦敗退
1980 東北(11) 3回戦敗退
1981 仙台育英(7) 1回戦敗退
1982 東北(12) 1回戦敗退
1983 仙台商(3) 3回戦敗退
1984 東北(13) 3回戦敗退
1985 東北(14) ベスト8
1986 仙台育英(8) 2回戦敗退
1987 東北(15) 2回戦敗退
1988 東陵(初) 1回戦敗退
1989 仙台育英(9) 準優勝
1990 仙台育英(10) 3回戦敗退
1991 東北(16) 1回戦敗退
1992 仙台育英(11) 1回戦敗退
1993 東北(17) 1回戦敗退
1994 仙台育英(12) ベスト8
1995 仙台育英(13) 1回戦敗退
1996 仙台育英(14) 3回戦敗退
1997 仙台育英(15) 2回戦敗退
1998 仙台(初) 1回戦敗退
1999 仙台育英(16) 2回戦敗退
2000 仙台育英(17) 2回戦敗退
2001 仙台育英(18) 1回戦敗退
2002 仙台西(初) 1回戦敗退
2003 東北(18) 準優勝
2004 東北(19) 3回戦敗退
2005 東北(20) ベスト8
2006 仙台育英(19) 2回戦敗退
2007 仙台育英(20) 2回戦敗退
2008 仙台育英(21) 3回戦敗退
2009 東北(21) 3回戦敗退
2010 仙台育英(22) 3回戦敗退
2011 古川工(初) 1回戦敗退
2012 仙台育英(23) 3回戦敗退
2013 仙台育英(24) 2回戦敗退
2014 利府(初) 2回戦敗退
2015 仙台育英(25) 準優勝
2016 東北(22) 1回戦敗退
2017 仙台育英(26) ベスト8
2018 仙台育英(27) 2回戦敗退


こうやって見ると、44年間のうち、東北、仙台育英以外が甲子園へ出たのはわずか6回。仙台育英24回、東北14回。近年は仙台育英の優勢が目立つ。宮城県の歴代代表は、9割以上、仙台育英か東北で占められて来た。誰もが勝って甲子園に行きたいと思ってこの野球名門の2校に挑んできたが、ほとんどがそのぶ厚い壁に退けられた。

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Trick play



イチローもたまに見せるトリックプレーであるが、
個人競技と違って、対戦相手のあるBaseballの場合、相手を動きでだますことが可能である。騙すというと聞こえは悪いが、立派な戦術のうちである。

これは、以前紹介したS63の宮城県大会準決勝、仙台育英vs東陵の強豪対決の映像であるが、東陵の捕手に注目してもらいたい。

通常、ランナーは、後ろを振り返ってボールが今どこまで来ているかを見ている暇はないので、サードランナーコーチや周りの声を頼りにするとともに、

実は無意識に判断材料としているのが相手選手の動きだ。

セカンドランナーがワンヒットでホームに返る場合、キャッチャーが捕球態勢に入れば、ボールは帰ってきており、タイミングはギリギリだと判断する。

ところが、キャッチャーが捕球態勢に入らず、ベースを空けるようなかたちで一、二歩前に出たら、返球は来ておらず、下手するとスライディングなしで悠々帰れると判断してしまう。場合によっては、体力温存のためにスピードを緩めてしまうかもしれない。

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新入生への部活紹介の思い出・Hさんの謎

before
beforeafter

高校入試だったらしいが、できれば全員受かってほしいものである。新入生にとって、どの部活に入るかは一つの楽しみでもある。新入生が体育館に集められて、各部の紹介をみる機会があった様に思う。正式な名前は忘れた。一年生はまだ学生服に坊主。この写真は「古中古高百年史」から借用したもので、生徒大会のものである様だが、一年生だけ集まるとこの様な雰囲気に近かった。私が新入生だった時の野球部の紹介は以下の様なものであった。(一部記憶違いの可能性有)



野球部の部活紹介。

(学生服に坊主頭のどこからどう見ても野球部3人、確か、”カリオカ”をしながら壇上に上がる。カリオカとは、ウォーミングアップの時に、体を左右にひねりながら横に走るやつ)

1年生なので、カリオカに対し「ピシー」はまだ使用不可。
あのピシーの始まりはどういうものダッタノダロウカ。

https://www.youtube.com/watch?v=vKP-7opuF30

(カリオカ↑)

登場人物:当時3年生、3人。
A---キャプテン、O---副キャプテン、H---3年生部員。

 (壇上から、応援団ばりに腕組みをして、大声で1年生に向かって)

A 「俺がサヨナラエラーしたAだ」
O「俺が牽制でタッチアウトになったOだ」
H「俺が補欠だったHだ!

(やや笑い起こる。例のサヨナラ負けした東北戦のことを言っているのである。しかもHさんは異様に声が甲高いので、なお笑いを堪えられなくなる。続いて、)

A「ちなみに俺がキャプテンだ」
O「ちなみに俺が副キャプテンだ」
H「ちなみに俺は今でも補欠だ!

(かなり笑い起こる)

同じリフレインで、A, Bである程度笑いの布石を打っておいて、Cで一気に畳み掛ける。ドリフの学級コントに通じるものがある。仲本、加藤で盛り上げといて、志村。コントの基本ができている。
私の記憶では、野球部の紹介はこの様なものであった。
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Hさんは普段ほとんど喋らないが、面白い先輩であった。練習中、球拾いの私が、新しいボールを取りに行くか何かの用事で、グラウンドの3年生の方の部室に走って行った。鉄製の赤いドアが閉まっていたので、なぜだろうと思って開けて中に入ると、暗闇の中でなんと来てないはずの沼倉先生が椅子に座って足を投げ出してイヤホンでラジオを聞いているではないか。しかしよく見るとそれは沼倉先生でなかった。Hさんであった。練習中になぜサボってラジオを聞いていたのか皆目見当がつかない。

その後、学生の時に、東京世田谷の南烏山の駅前で、偶然歩いているHさんに会ったことがある。こんな大東京で古高の野球部の先輩に偶然会うとは。「Hさんじゃないすか!」と言うと、「あ?ああ」と言っただけで、ニコニコして振り返り振り返り去っていった。

Hさんに対する私の印象の謎は深まるばかりだったのである。








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沼倉先生語録2(沼倉元監督による語録)

投手ポイントは、「タイプ違う複数投手を養成し、試合では継投で使う」

昭和46年、古川高校は東北大会の決勝まで進出したが、甲子園準優勝の小さな大投手田村隆寿投手擁する福島の雄、磐城高校に敗れ、悲願の甲子園出場にあと一歩届かなかった。この時の古高の投手は、2年生の右の本格派、沼倉二郎投手、3年生の右のアンダースローの板垣吉則投手の二枚看板であった。

 あれは確か高1か高2の雨の日であったと思うが、沼倉先生が部員にこの昭和46年の8ミリフィルムの様なもの、確か県の仙台育英戦だったか(9−2で古高の勝利)を見せてくれたことがある。板垣投手は、まるで桐蔭学園の大塚投手ばりの、綺麗なアンダースローの投手だった様な記憶がある。私の関わった年代の古高では、1年上の寺崎投手も一度アンダースローへの転向を模索した時期がある(最後は結局上手投げに戻した)。平成3年度は、アンダーハンドの星投手を擁し2回勝ってベスト16まで行ったが、シード校の白石工業に惜しくも敗れた。敗れはしたが、この白石工業戦の星投手のカーブ、シンカーの切れも見事なもので、バッタバッタと三振の山を築いた。




参照:
https://furuko-baseball.blogspot.com/2019/01/blog-post_30.html

https://furuko-baseball.blogspot.com/2010/06/hp-http-www4.html





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