行くぞ甲子園


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14 February 2019

沼倉先生語録3(沼倉元監督による語録)

3. 名前負けすねえように。(しないように)

私たちの代の秋の新人戦は、前年に引き続き仙台商業と当たった。あの頃の仙台商業と言えば、荻原投手を擁して夏の甲子園に出てまださほど時間の経ってない時期である。県内で言えば、東北、仙台育英、東陵、仙台商業くらいが四天王だった頃だ。

 私たちは、秋は旧大崎リーグぎりぎりの第四代表。近年に無い悪い成績だった。古高は当時、秋は負けても第二代表、春はほぼ第一代表で県大会に進んでいた。校舎の階段をすれ違った時に、当時の教員2人がこの第四代表の話題をしていて、「第四代表?古高の野球部も弱くなったな」と呟いたのを聞いて傷ついたのを覚えている。

 その前年の秋の県大会初戦も東北福祉大球場に置いて、対仙台商業。5-7で競り負けた。
 

二年連続の秋初戦仙台商となり、向こうは新チームであるというのに、あの胸の「S」の赤いユニフォームを着てベンチに入れない選手がわんさかいる。筆者は荻原投手の甲子園の活躍と、あの仙台商独特の応援のマーチ、名まえは分からないが、それを耳で覚えている世代である。メガホンの応援も試合前から盛り上がっている。こちらはほとんどがベンチ入り。古高は当時メガホンなど持ってない。第一、ベンチ外に溢れるほど部員がいるチームではなかった。

試合前のノックが終わって、沼倉先生は、ユニフォームのFURUKAWA のネームをなぞりながら、真深くかぶった帽子の下から鋭く眼を光らせ、「名前負けすねえように。そんなに力変わんねえがら」と言ってこの写真のように手をノーノーと言うように振って、ニヤリと笑った。

これは今考えれば、長い間、県内で勝ったり負けたりのしのぎを削ってきた沼倉先生の経験による自負でもあったろう。昭和44年は、甲子園に出場した仙台商相手に県代表決定戦で惜しくも0-1で敗れているが、互角の試合だった。昭和57年春の県大会は、準決勝で仙台商に2-1で勝って東北大会出場を決めている。

試合は、エースの石ケ森もよく踏ん張り、1-1のまま延長戦に入った。延長10回表に、痛恨の3点本塁打を喫して敗れはしたが、確かに力の差は感じなかった(ノーヒットの私に安打が出てれば勝てた試合だった)。

「名前負けしないように」というのは大変重要なことである。ベンチに入れない選手の数や、メガホン応援で試合をするのではない。また、筆者が前から気になっているのは、試合前のシートノックのボール回しの際の声出しでビビる必要は一切ない。世界中を見ても内野のボール回しであんなに異様な声出しをするのは日本の高校野球だけであろう。正確にその日のコントロールを確認すればそれで良いと思われる。

もし宮城県内で東北、仙台育英に勝つことを相撲の「金星」というならば、古高野球部はこれまで非常に金星の多い野球部のはずである。安芸乃島みたいなもんである。これは伝統校ならではで、野球の力だけではなく、県内で2番目に古いという歴史、伝統を担っているという自負、愛校心から来ることにもよるだろう。「仙台がなんだ、こっちは大崎の雄、古高だぞ」と。(相手は何とも思ってないかもしれないが、)自分らにその意識が大きくあるかどうかが大事なのである。自信過剰は問題だが、言ってみれば、試合前のボクサーの心境と一緒だ。自己暗示、セルフコントロールなのである。相手を騙す前に自分を騙す。かなり力が劣っていても、「一切関係ない」。一発当たれば相手は沈むだろうと思っておけばよい。

筆者が入学したときは、今と違って、練習が長い野球部ということで知られていた。地元の中学までその噂が鳴り響いていたくらいである。「練習が長くても勝てない野球部」と。実際長かった上にまず休みがなかった。古高野球部に入部してくるのはだいたいが中学時代無名の普通の選手なので、猛練習でもしなければ強豪に伍して行けないという背景もあっただろう。いや、猛練習をしたということが自信にもなっていた。暗くなって、「もうボールが見えません」と言ったら、「心眼で捕れ」と言われたこともある。それこそ工事現場で使用するような小さな赤いライト(投光器)一基しかなく、蛍雪の功を地で行くようにそのわずかの灯りで「野球の勉強」をしていた。

甲子園に行くために強豪校に進んだのとは違って、自分の地元の歴史ある高校を初めて甲子園に連れて行くんだと強い決意を持って入部して来た大崎地方の真の勇者たる現役部員、光り輝く蛍雪章を胸に、なんとか頑張って欲しい。愛校心と言う意味では、古高の多くの卒業生はとんでもないレベルに高いものがある。全く「名前負けしていない」。古高が一番だと思っている。古高が負けるわけがないとさえ思っている。これはこれで困ったものである。

この個人ブログにメッセージを寄せてくれる卒業生のほとんどが「野球部ではない」卒業生である。しかも、野球部以上に、異様に野球に詳しい。スポーツ紙片手に球場でスコアつけてそうな人たちが多い。

まあ現役のうちはそういうのも面倒に感じることもあろうが、いざ卒業して長い年月経過すると、大変ありがたいものである。

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