行くぞ甲子園


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03 July 2019

古高激闘の記録(16) 「昭和61年度 選手権宮城大会 総集編」7/3/19








*この前年、大魔神佐々木主浩投手を擁して甲子園ベスト8の東北・竹田利秋監督の勇退が発表されていたが、間を置かずに予想外にもライバル校仙台育英に移籍。仙台育英は前年、部員のカンパ事件が発覚し、夏を出場辞退。竹田氏が仙台育英に移籍したことで、県内の有望な中学生はこれまでの東北高校一辺倒の進学から仙台育英への進学に大きく転換した年だったといえる。それとともに、仙台育英はこれまでの白を基調とした"IKUEI GHS”ロゴのユニフォームから、慶應義塾大学を真似たようなグレーのユニフォームに変更してきた。



 前仙台育英監督の金沢規夫氏は気仙沼の新設東陵高校に移り、早くもシード校になるような実力をつけ始め、県内は群雄割拠、特にこの年はこのドタバタの中で実力が伯仲していると思われたが、最終的には竹田マジックが炸裂し、仙台育英が5年ぶりの優勝。鮮やかなスカイブルーのユニフォームの仙台工業は(筆者はこのユニフォームが好きだった)、好投手追木選手を中心に、シード東陵をコールドで破るなどして、決勝に進出、決勝でもほぼ優勝を手中にしたかに思われたが、最後の最後で「野球は怖いですね」という仙台育英・竹田氏のインタビューそのままに悪夢のような敗戦、初の甲子園を逃した (その竹田監督だが、この後2年間、優勝候補と目されながら甲子園を逃し、本当の野球の怖さをあらためて知ることになる)。

 また、この年は仙台一高が春優勝の第一シード、強打の長浜屋率いる仙台商に準々決勝で大方の予想を覆して勝利。ベスト4入りを果たした。
古川勢の健闘も目立ち、古川工業、古川商(現古川学園)とも準々決勝に進出した。我が古高も東北を最後まで追い込んだが無念の敗戦。しかし大いに観客を沸かせた一戦としてこの特集で取り上げられている。

夏の大会は、実力が同じくらいでも試合の流れでコールドゲームになりやすい感がある。これは最後の大会であるとか、負けたら終わりだとか、点差をあけられた時点で焦りが生じるなどの、たぶんに精神的な面での影響があるためであろう。あまり深く考えず、思いつめず、試合は9回まであるのだから、最後には勝つと思ってじっくりと普段通りに試合をしていくのが重要だろうと思われる。

以前も取り上げたが懐かしい草茫々の第二グラウンドの古高、浅野主将以下の新チームも最後に登場する(26:30頃)。


参照:古川 vs 東北(S61)
https://furuko-baseball.blogspot.com/2010/12/blog-post.html

https://furuko-baseball.blogspot.com/2019/01/261.html



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