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07 August 2025

古高激闘の記録 (23) 古川対塩釜 (2014春季県大会) および 投稿「OBの声」4 日野悠人さん(2016卒) 8/7/25

 

古高時代の日野選手(写真 本人提供)

*今回は、2026年卒業の日野悠人さんにいただいた資料を元に、「2014年春季県大会 古川ー塩釜の2試合にわたる延長の大熱戦」を振り返るとともに、日野さんに当時の状況、OBから見た声をいろいろ聞いていきたいと思います。


古高野球部OBで2016年卒の日野悠人(Yuto Hino)と申します。

私も古高野球部に所属し、佐々木監督、中鉢監督のもと3年間汗を流しました。チームとしても古豪復活を掲げ、3年春は古川学園、夏には第2シードの柴田高校に勝利するなど思い出に残る試合をすることができました。今でも同期の仲間とは当時の思い出話で盛り上がっています。

その後も青山学院大学にて体育会軟式野球部に所属しました。
現在は保険会社に所属し、今年7月から会社の制度を使ってアメリカのミシガン州アナーバーの大学、研究所に派遣されております。

Q 日野選手、はじめまして。あの年の古高ですか、よく覚えております。鈴木優作投手で春準優勝の柴田を撃破した年ですよね。記憶に新しいです。現在は、ということは、ミシガン大学かなにかに来ているということでしょうか?

現在はミシガン大学のロスビジネススクールに Researcherという立場で派遣されております。弊社から2年周期で1人出向し、大学の授業を聴講できるシステムです。やっと左ハンドルの車が馴染んできた頃です。

Q なるほど。繰り返しになって申し訳ないのですが、ご自身の出身、現在のお仕事等について今一度、簡単に紹介してください。

古川高校野球部OB、平成28年卒の日野悠人です。宮城県大崎市岩出山出身。現在はアメリカ・ミシガン州アナーバーに在住し、弊社制度を活用してミシガン大学ビジネススクールにて経営学・経済学を学んでいます。大学卒業後は日本国内の保険会社に入社し、国際部門を中心にキャリアを積んできました。

Q ありがとうございます。当時の古高野球部について教えてください。

私の代は9名、全体で30名ほどが所属していました。人数は決して多くはありませんでしたが、中学時代に県準優勝チームや全国大会出場経験のあるメンバーがいました。練習中は厳しい言葉をかけあいながらも、ひとりひとりが真剣に野球に向き合う、熱いチームでした。

Q 2014年春季県大会一回戦、古川 vs 塩釜、延長再試合になる大熱戦でした。この時のチーム事情はどうでしたか。

この年の春の地区大会は以下のとおりです。

1回戦:vs利府 ●0-10
敗者復活1回戦:vs岩出山 〇8-0
敗者復活2回戦:vs迫桜 〇7-1
敗者復活3回戦:vs築館 〇4-1

2014年春は関西遠征に行きました。1日目は甲子園にて桐生第一vs広島新庄を観戦しました。両校とも守備がよいチームで、かなり勉強になりました。
2日目に和歌山県の箕島高校と2試合やりました。当時の箕島は名将尾藤公監督の息子さんである尾藤強さんのもと、前年に夏の甲子園へ出場しておりました。この試合は今でも印象に残っています。箕島高校の強力打線が放つ強烈な打球に古高野手陣は全く反応できず2試合で合計40点くらい取られたと記憶しております。これが全国レベルか、、と思い知らされました。試合後に尾藤監督から「強豪校とは終盤勝負、ロースコアでいかに相手を焦らせるかが重要だ」というアドバイスをいただきました。実はこの練習試合は、前年の秋季大会で古学に敗戦した後に古高の佐々木監督が尾藤監督へ練習試合をしてほしいということを手紙にて依頼していたとのことでした。佐々木監督のおかげで貴重な経験をさせていただけたのだと思います。

春季県大会一回戦 (2014.5.20)
古川|100 000 000 000 000|1
塩釜|000 100 000 000 000|1
(延長十五回引き分け)

▽再試合(仙台市民 2014.5.21)
古川|003 010 000 000 0  |4
塩釜|000 010 021 000 1x|5
(延長十三回)


2014 春季県大会 古川 vs 塩釜 (動画 本人提供)



Q この塩釜戦はよく覚えています。確認なのですが、塩釜と延長15回決着つかず、引き分け再試合となった試合は確か、古高に中條投手という本格派の好投手がいたと記憶していますが、その時日野選手は2年だったということですか?その再試合で投げた投手は誰でしょうか?
また、その夏の大会は期待した中條投手が肩を壊していて仙台商に大差で敗戦だったと思います。その仙台商に投げたのは誰ですか?

2014年春の塩釜戦の1試合目は中條さんが15イニング投げました。140キロにせまる直球が武器の好投手でしたね。その後故障で登板することはできなくなりましたが、中條さんに頼りっぱなしのチームにも責任がありますね。私は2年生で2番サードで出ていました。

再試合は鈴木健太郎さんという3年生の2番手投手が先発しました。オーソドックスな右腕で安定感がありました。終盤は2年生の高橋がリリーフをしました。彼は私の同期でアンダースロー投手でした。終盤サヨナラタイムリーを打たれて敗戦しました。当時佐々木監督が「全員アンダースローで投げてみろ」との指示でキャッチボールをした結果、高橋が一番良い球を投げていたため、下手投げに変えたという経緯があります。

仙商戦も鈴木さん、高橋の2人が投げましたが強打の仙商打線を止められず敗戦しました。


Q ありがとうございます。高校時代最も印象に残っている試合の思い出等聞かせてください。
今でも鮮明に覚えているのが、3年生夏の大会2回戦、柴田高校との一戦です。相手は春季大会準優勝の強豪校。序盤から先制を許す展開でしたが、古高打線が粘り強くつながり、9得点を挙げて勝利することができました。
2年生左腕・鈴木優作が最後まで力投し、9-7の接戦を制した瞬間、スタンドは歓喜に包まれました。新聞には「まるで優勝したかのような騒ぎ」と書かれたほどです。
私自身は大会前に調子を落とし、打順を下げられたりタイムリーエラーをしたりと悔しいこともありましたが、この試合では4安打2打点と、自分にとって大きな自信となる活躍ができました。この勝利は、今でも仲間との語り草です。
Q 今年の夏は3年連続で柴田髙に敗退。当時、現在のようにバーチャル高校野球の無料ライブは無かったので、高野連のHPでスコアのみによる速報をチェックして、このブログで中継しておりました。今でいう「X」昔の「Twitter」で検索していたら、ある観戦者が「古川の2番手の左腕、かなりいいな」とつぶやいていたので、これは逃げ切れるのではないかと予想していました。
柴田に勝った後、古川工業ともいい試合でした(延長10回)。結果的に勝った古川工業がそのまま決勝まで行ったと記憶していますが、古高が工業に勝っていれば決勝まで行けた可能性もあると思っています。日野さんが考えるに、あと一歩足りない古高に欠けているにはどう言った点だと思われますか?支援体制等含めて、どんな点が強豪校に劣るか列挙していただくと参考になると思います。

2015年夏の古川工業戦は勝っていれば決勝まで行けたかもねという話はいつも同期との集まりで話題になります。工業のエース佐藤は私の宮城大崎シニア時代のチームメイトで、特にピンチになるとギアを上げなかなか手の付けられない球を投げる好投手でした。

古高に足りなかった部分は以下の点かなと思います。同期とも試合を振り返りながら考えてみました。

(1)得点力
スクイズを失敗する場面や、エンドランといったサインプレーがうまく使えませんでした。打力は強くないチームでしたので少ない安打数でもエンドラン・スクイズといった戦法を絡めて効率よく点数を取ることができれば勝利に近づいたのではないかと思います。

(2)強豪校撃破後の切り替え
柴田に勝ったことで、少々浮かれてしまった部分もあったかと思います。よく甲子園でも劇的な試合後にコロッと敗戦するケースも散見されます。高校生にとって気持ちの切り替えはハードルが高い部分ですが、「一戦必勝」という気持ちで臨むことができればよかったのかなと思います。

(3)投手の調子
アンダースローの高橋(3年)、左本格派の鈴木優作(2年)の2枚看板でしたが、高橋が春の大会の登板過多で夏には調子を落としていました。その中で鈴木が夏に台頭したという経緯もあります。高橋も県内では珍しいアンダースローで打者のタイミングを外す技巧派好投手でした。

Q 関連して、だいぶ社会に出ていろんな経験を重ねて、高校野球を見る目が当時とは随分違って来ていると思いますが、もし今から高校時代に戻れれば、チームとしてどう言った練習をすればもっと強くなると思うでしょうか?

当時に戻れるなら以下のポイントを強化していると思います。
サインプレー
 上記でも挙げたとおり、攻守ともにサインプレー等の約束事などの徹底に時間を費やしたいと思います。長打は出なくてもバント、エンドランを絡め効率よく点数を取れる野球スタイルが古高には合っていると思います
他にも上げればきりがないですが、練習時間や設備の制約がある中でと考えるとサインプレーにはもっと時間を割けると思います。

Q なるほど。現役部員にも参考になる貴重な意見と思います。卒業後も野球を続けられていたとのことですが。
青山学院大学経済学部に進学し、体育会の軟式野球部に所属しました。学業やアルバイトと両立できる環境の中、野球を続けることができ、3年秋のリーグ戦では外野手としてベストナインに選ばれました。
大学では海外に興味を持つようになり、バックパッカーとして東南アジアを旅するなど多くの経験を積みました。現在も長期休暇を利用して、旅を続けています(昨年はサウジアラビアやラオスなどを訪れました)。この広い世界との出会いが、現在の仕事にもつながっています。
Q 「深夜特急」(沢木耕太郎)のようですね。後輩の古高野球部員へ送る言葉をお願いします。

古高は、他校のような長時間の練習はできないかもしれません。それでも限られた時間の中で何を考え、どう取り組むか次第で、結果は変わると私は信じています。
私たちは「古豪復活」を合言葉に甲子園を目指していました。伝統ある古高野球部には、応援してくれるOBの方々がたくさんいます。それは、他校にない大きな強みです。
「我に竜虎の知勇あり」の精神を胸に、古高らしい粘り強い野球で新たな一歩を踏み出してください。
目指せ甲子園!海の向こうから、心より応援しています!
Q 今年も感じたのですが、敗戦でもテレビや新聞で取り上げられる回数が古高は他校に比べて実に多いですよね。これはそれだけ県内で伝統校であると認知されてる証拠でもあり、勿論、これまで数多くの古川高校卒業生が様々な方面で地道に活躍されて来たお陰だと感じています。その分、勝ったらさらに大々的に報道されるはずなので、現役部員には是非とも頑張ってほしいと思います。
日野選手どうもありがとうございました。




選手権宮城大会 対柴田高校における写真

築館高校定期戦にて

選手権宮城大会開会式 コボスタ宮城(当時)にて


古川vs石巻(2014秋県大会)の記事

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