行くぞ甲子園


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16 November 2019

古高激闘の記録(17) 「1989 (平成元年)年 宮城県大会総集編」 11/15/19




*平成元年度は仙台育英が大越投手を擁して宮城県勢として初めて甲子園大会の決勝戦に進出した年である。筆者は同期だったのだが、春の県大会はベスト16でその仙台育英と対戦、10-3で完敗した。1番から9番まで打球の速さが普通の高校のレベルと違っていた。夏、我が古高は、二回戦、第4シードの佐沼高校と対戦、1点を先制したものの、結局1-2で惜しくも敗れ去った。その古高の結果も含め、平成元年度の懐かしい映像を見ていこう(2:57より古川浅野主将の敗戦の弁のインタビューがある。一部画像が極端に悪い。決勝戦の映像はないが、決勝でも仙台育英が13-0と一方的な試合で仙台三を下した。)。





伝統の東北高校と仙台商の対戦が早くも2回戦で行われ、東北がまさかのコールド負けを喫した。東北の2年生投手は、この大会後の秋季東北大会・明治神宮大会をも制し、横浜ベイスターズに進んだ加藤将斗である。その加藤にしてこの試合では、仙台商の積極的な盗塁と、コツコツと反対方向へ徹したミートをしてくる打線に捕まり、東北屈辱の敗戦。結局、初回のミスによる失点に象徴されるように、東北は自分らの抱える不安を払拭できないままずるずると回を重ねたような試合だった。これも一発勝負の高校野球の怖さである。高校野球は特に、「試合の流れ」というものがある。その流れを変える積極的な手(たとえば投手に余裕のある強豪校が、まだ若い回であるにもかかわらず、ランナーを許した局面で、思い切って早めに投手交代をしてくるなどのはそのいい例であろう)も時には必要なのである。

古高を破った佐沼は、秋・春県ベスト4のシード校の実力通りに無難に準決勝まで進出。王者仙台育英と対戦したが、好投手富士原は予想に反して完膚なきまでに打ち崩された。初回に9失点。仙台育英は準々決勝で東陵の2年生左腕赤間投手に苦戦、あやうく敗戦を喫するところだったが、この準決勝を18-0, 決勝13-0で優勝。この夏の育英は全国でも相当勝つのではないかと思わせるのに十分な戦いぶりだった。

ダークホース仙台三は、前評判は高くなかったが、一戦ずつ勝ち上がった。準決勝で仙台商を破り決勝に進出。現小牛田農林監督の相沢投手の力投が光った。

参照:古高激闘集3 古川ー佐沼(平成元年)
https://furuko-baseball.blogspot.com/2011/02/3.html

2 comments:

  1. 佐沼高校との試合の2回表に1点を先制のときのセカンドランナーがshigeTさんでしょうか?
    思い切りのよい見事な走塁が映し出されています。

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  2. commentありがとうございます。なるほど、いいところに目が行きますね。わたしは鈍足でしたので、果たして私だったかどうか記憶が曖昧でして、そうだったようなそうでないような、まあ多くのファン(?)のご想像に任せるということで、肯定も否定もしないでおこうと思います。

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