行くぞ甲子園


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16 June 2016

「幸福のかたち:3・11後の選択」1 71年・甲子園 磐城高「小さな大投手」


*東北大会で福島県 磐城高校は久里学園に敗れたが、これで2年連続で春季福島県代表として進出してきた。しかも今年は準決勝で、7連覇を目指す王者聖光学院を破っての出場だけに、古豪の面目躍如といったところだろう。

昭和46年、我が古川高校は東北大会の決勝で磐城高校に敗れ、あと一歩で甲子園を逃している。「小さな大投手」田村隆寿投手が大きく古高の前に立ちはだかったのである。

先日、古高OBで元毎日新聞にお勤めであった栗原先輩より、2012年度の毎日新聞に以下の記事が掲載されたということを教えられた。それをここに転載させていただこうと思う。


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 幸福かたち:3・11後選択」1 71年・甲子園 磐城高「小さな大投手」
 ◇白球に託す再生 転落、逃避…故郷再訪「被災者励ましたい」
毎日新聞 201211日 東京朝刊

 故郷を逃れ、20年歳月が流れた。過去を明かさず、北関東にあるコンビニエンスストアで働く。勤務を終えると、寄り道せずに真っすぐ家に帰る。繰り返し日常に自らをうずめていた。
 昨年3月11日東日本大震災。レジに立っていると、たばこ箱がバタバタと床に落ち、ワイン瓶が粉々に散った。ニュースが、福島県内最大震度を6強と伝えた。封印していた故郷へ思いが、せきを切ってあふれ出した。


    ◇    ◇
 高校時代は165センチ体にエースナンバーを背負い、地元期待を一身に集めた。71年夏甲子園。福島県立磐城高エースだった田村隆寿さん(59)は、打者膝元に曲がりながら落ちるシンカーを武器に準決勝まで3試合を完封した。決勝で1点を失い惜敗したが、故郷ではオープンカーでパレードが用意され、約1万通ファンレターが届いた。
 最盛期に2万人を超す労働者がいた地元いわき市炭鉱は、春に閉山。衰退一途をたどる町市民は、田村さんに再興へ希望を見いだした。翌年に連載が始まった人気野球漫画「ドカベン」小柄なエースとも重なり「小さな大投手」は伝説となった。25歳で安積商(現・帝京安積)監督に就任、母校と聖光学院でも指揮を執り、甲子園に計3回導いた。
 プロ誘いはなかった。頂点はあ夏なに、周囲はいつまでもヒーローであることを求めた。本当自分と隔たりにいら立ち、歯車が狂った。グラウンドを離れるとたがが外れ、酒やマージャン、競馬に興じる。負けると、同級生や教え子に5万円、10万円と無心を重ねた。高利業者にも手を出し、借金は1億円を超えた。
 92年1月。JR福島駅高架下に車を乗り捨て、電車に飛び乗った。甲子園土も、教え子も、すべて置き去りにした。母親がバブル期に保険外交で蓄えた5000万円を返済に充てたが、焼け石に水だった。4950万円借金を残して自己破産し、野球も仲間も失った。妻と長女、長男一家で身を隠すように暮らした。「まま消えてしまいたい」。何度も思った。
    ◇    ◇
 原発事故が故郷に追い打ちをかけた。何かできないか。でも、受け入れてもらえる自信はない。ふがいない姿もさらせない。
 放射線影響は野球にも影を落とす。練習不足まま夏甲子園に出た聖光学院は、2回戦で敗れた。かつて自分がデザインしたユニホームを着た選手たちがテレビで泣いていた。
 「俺悩みなんてちっこいこと」。そう思った時、磐城高野球部準優勝メンバーで県高校野球連盟理事長宗像治さん(58)顔が浮かんだ。
 故郷野球を忘れた日はなかった。「おさむ、頑張ってくれよ」。ひたむきなプレーが、苦境に立つ人たちを勇気づける。ことを、身をもって知っている。宗像さんに会いたいと思った。
    ◇    ◇
 毎年、母命日9月5日だけ、実家に戻り、誰にも会わずに帰る。「田村名前を口にするな」。裏切られた地元失望は今も大きい。それでも、今を逃せば一生後悔する。
 意を決してハンドルを握り、3時間半りを福島市に向かった。昨年12月20日。懐かしい町に近づくにつれ、山並みが白く変わり始めた。緊張をほぐすかように、大きく息をついた。
 「たくさん人に迷惑をかけた」。20年ぶりに宗像さんと向き合った。福島駅を出て東京・新宿にたどり着いたこと。新聞配達や健康食品販売をしながら東京や千葉で暮らしていたこと。空白日々を初めて語った。
 甲子園記憶がよみがえる。あ夏、センター守備に立つ「おさむ」に見守られ、炎天下で406球を投げた。一球たりとも気を抜かなかった。
 「俺はピッチャーだから」。ボールには魂が宿ると、今も信じる。球児を、観戦する人を、被災者を励ましたい。そ思いを、真新しい白球に託す。「俺が贈るボールを試合で使ってほしい」。こう伝えると、宗像さんが言葉を返した。「故郷を思う田村気持ちがうれしい」
40年前に福島大会優勝を決めた信夫ケ丘(しぶがおか)球場に立ち寄った。福島高校野球界に戻ることはできないと分かっている。それでも、逃げ続ける自分と決別するきっかけを求めていた。「自分を呼び覚ます何かをもう一度持ちたい。小さな子にボール投げ方を教えるだけでもいい」
 マウンドに立ち、土感触を確かめた。高揚が全身を包む。生き直すことができると思えた。

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