行くぞ甲子園


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17 October 2019

超野球学 落合博満


私が、つくづく野球というのは、常識を疑って、自分の頭で考えていくスポーツだと思い始めたのは、実は40を過ぎてからである。もちろん現役時分には、与えられた練習を一通りこなしていただけに過ぎないように思う。ランニングをやり、キャッチボール、トスをやり、フリーバッティング、シートノック、余った時間にティーバッティングをやる、ということを、小中高と何の疑いもなく繰り返していた。

ところがこの本は、いきなり「なぜセンター返しが基本なのか」説明できるだろうか?という問いかけから始まり、「ティーバッティングを辞めよう」など、プロでも超一流だった選手が、実体験に基づいて解説してくれている。

私は実に彼の野球理論に驚いてしまった。こんなことを自分が高校時代に考える頭があったらなと思わずにいられなかったが遅すぎた。決してエリートコースでないアマ時代から、ドラフト3位でロッテに入団し、三冠王3回などの輝かしい実績を残した落合だけに妙に説得力がある。俗にいう「俺流」というのは、「自分なりに考え抜く」ことを示しているのであり、そのような個性的な思考は、大集団の中で厳しい練習を強いられる野球学校で花開くことはなかなか難しいだろうと思われる。実際落合は、高校大学と、甲子園に無縁などころか、根性野球の厳しい体育会系の部活に馴染めず、退部を繰り返していた。常に自分で考えた理屈の方が正しいと思っていたからで、実力がすべてのプロの世界で、俺流としてようやく花開いたのである。

その点、弱小の公立高校では、野球の考え方をもう一度自分でよく考え直していく訓練をすれば、俺流の才能が次々に開花する可能性がある。これを毎日やる。冬でも春でも練習の意味を考え抜く。からだの仕組みを考える。最後の夏にはそうした高校が勝っていくだろう。

彼に言わせれば、下の写真1,2のように、ノックをするときに、サードから始まってファーストまで、ノッカーは時計回りに左肩をノックする相手に正対するように回していくだろうと。これはこのような打ち方が一番いいように人間のからだの仕組みがなっているからであって、ではピッチャーから来たボールを肩が正対するように打ち返す場所はというと、ピッチャー、センターなのである。のみならず、野球の球場がなぜセンター方向が一番深いように作られているかと言えば、この理屈からセンター方向が一番ボールが飛んだのではないかと推察を加えている。また、上記の理由から、積極的に選手はノッカーを務めることの利点を説いている。

私はこの本を、中古でたった$2で買った。高校生は時間があったら読んでみると良いと思う。続編もあるので、いろいろ彼の深い思考で参考になる部分が多いだろう。

余談:
昔の話だが、古川駅前にニチイという総合スーパーがあった。鳩かなにか小鳥の赤いマークの、あの当時はまだ古川駅前も活気があったと思うが、とりあえずそのニチイにロッテから中日に移籍したばかりの落合博満がなぜか来たのである。当時高校球児だった私は、学ランに学帽をかぶって、その落合を見に行った。司会進行が「落合さん今年は三冠王はどうしましょう?」かなにか言ったら、相変わらずのあの調子で「あ、今年も取りますよ」と言ってのけた。当時このような日本人は皆無であったので、いったいどういう自信が彼をそう言わしめるのか興味があった。

この本を読んで分かったことがある。落合は三冠王に値する深く考え抜く野球をしていたということである。天賦の才ではなく、からだのメカニクスを彼ほど考え抜いた選手は当時おそらくいなかっただろうと思う。今にして思うと、落合の俺流の物言いは、三冠王を取るに値する野球頭脳に裏付けされた自信であったのだろう。三冠王は、落合の考え抜かれた野球メカニクスの上に築かれた勲章である。人一倍「考え抜いた」努力の賜物なのである。

サインを数千円で購入して即席サイン会で握手してもらった。その分厚い手にまた驚いたことを今も覚えている。




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