盛岡大付(岩手)が今世紀初めて8強を逃し、センバツに続く連続出場も逃した。準々決勝に進めなかったのは00年以来19年ぶり。
苦手意識のある左腕に6安打に封じられ、関口清治監督(42)は「悔しいの一言です。今日は先に点を取られて焦りが出た」。大船渡・佐々木対策で最速170キロ超の打撃マシン「ロウキ君」で速球対策をしてきたが、120キロ前半の軟投派にかわされ、「最近は遅い球に苦手意識はなかったが、球を追いかけすぎた」と肩を落とした。



*秋季東北大会で古高と接戦を繰り広げた弘前東も敗れた。
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青森)東奥義塾と青森商、4強へ 高校野球青森大会

藤谷和広 

「最低のチーム」が「最高に」 弘前東・須藤滉生主将

 
打球がショート後方に飛ぶ。落ちろ、落ちろ。
 弘前東の次打者席で、主将の須藤滉生(こうき)(3年)は打球の行方を祈るような気持ちで見つめていた。「俺まで回してくれ」しかし、東奥義塾の小田桐裕也(2年)は後ろ向きのままで好捕。打席は回ってこないまま、7回コールドで試合は終わった。
主将として、チームをまとめる難しさを実感した1年だった。野球以外のことで注意されることも多く、葛西徳一監督からは「史上最低のチーム」とまで言われた。主将としての責任に押しつぶされそうになり、野球を離れたいと思うこともあった。でもそんなとき、チームを引退した先輩から「おまえがくさったらチームが壊れる」と言われ、気持ちを切り替えた。他の部員にも少しずつ、「弘前東」の名前を背負って甲子園をめざす責任感が生まれてきたと須藤は振り返る。
 そして迎えたこの日の準々決勝、須藤は東奥義塾のエース神樹(3年)を打ち込んだ。1打席目にライト前へ運び、2打席目は内野安打。3打席目もレフト前にはじき返した。対戦相手が東奥義塾に決まってから、左打者にとって逃げながら沈む神のボールに照準を合わせて練習してきた成果だった。だが、好機にたたみかける東奥義塾の打撃に、チームは劣勢に立たされた。七回、センターに飛んできた打球をホームに返球した須藤は、そのまま仰向けに倒れた。足がつり、治療のため試合は中断。だが15分後、笑顔で守備位置に戻った。この回打者一巡の猛攻を浴びて4点を失い、コールドゲームが成立する点差をつけられたが、それでも最後まで声を出し続けた。
 須藤は試合後、「最低のチームが最高のチームになった」と涙をぬぐった。「来年こそ、ベスト8の壁を越えてほしい」。思いを後輩に託した。(藤谷和広)