行くぞ甲子園


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26 June 2010

古高激闘の記録(1) 古川vs磐城 昭和46年 6/25/10

*昭和46年(これは私の生まれた年ですが)、古川ー磐城の熱戦が掲載されているHPがあります。 




























http://www4.ocn.ne.jp/~haru28/biwaki1971toppa.html


どなたが作っているのか不明ですが、かなり玄人好みの読み応えのあるページです。
みなさん、是非のぞいてみてください。 


昭和46年8月2日 
■第53回全国高等学校野球選手権東北大会 
<最終日>【宮城球場】 ▽代表決定戦 決勝 
磐城 2 0 0 0 1 0 4 0 0 |7
古川 0 0 0 0 0 0 0 0 1 |1 
(磐)田村-野村  (古)沼倉、板垣-中鉢正  ▽二塁打=田村(磐) ▽盗塁=磐城3 古川2 ▽失策=磐城0 古川3 


磐城は敵失を足場にソツない攻めで圧勝した。古川の先発沼倉はスピード十分な直球を主体に力投したが、内野陣の拙守からつぶれた。磐城は初回敵失と四死球でチャンスを迎え、二死後田村が中前適時打して一点、さらに阿部も三ゴロ失をさそい二点を先攻、五回には舟木の内野安打の後、再び田村が左前打する勝負強さを発揮して加点、七回には二本の内野安打と松崎、田村の連打で沼倉を攻略、ここで救援した板垣からも安打と敵失で決定的な四点をあげた。磐城打線はいづれも二死から得点するしぶとさは見事だった。守っては田村がカーブ、シュートのコンビネーションで両サイドをゆさぶり、六回まで古川打線を完全に押さえる好投をみせれば、内野陣も早い動きでこの田村を盛り立てた。古川は最終回、疲れの出た田村から中鉢が三遊間を破り一矢をむくいたが、後続が倒れた。守備力の差がそのままスコアに表れた一戦だった。投攻守、すべて磐城が上回っていたが、それがゲームの流れにはっきりあらわれたことは、他のチームに倍する厳しい試練に耐え、鍛え抜かれた強さが磐城あったからだろう。 
【地元紙より】 

【磐城】 打 安 点 振 球 
⑥先崎 5 0 0 0 0 
④舟木 4 2 0 0 1 
⑨松崎 4 1 0 1 1 
①田村 5 4 3 0 0 
⑤阿部 5 0 0 0 0 
⑧宗像 4 1 2 1 1 
⑦若尾 4 1 0 2 1 
②野村 3 0 0 0 1 
③岡田 3 1 0 0 0 
チーム 37 10 5 4 5 

【古川】 打 安 点 振 球 
⑥秋保 4 0 0 0 0 
②中鉢正 4 1 1 0 0 
⑦菊地 4 1 0 1 0 
③金野 3 0 0 0 0 
①9沼倉 3 0 0 1 0 
⑤佐々木治 3 0 0 1 0 
④佐々木徳 3 0 0 0 0 
⑨本田 2 0 0 0 0 
1板垣 1 0 0 0 0 
⑧中鉢豊 2 0 0 1 0 
H斎藤 0 0 0 0 1 
チーム 29 2 1 4 1   
  
写真 【磐城対古川戦】1回表、磐城重盗に成功2点目。 



福島県大会前における磐城の評価は、あとからみれば意外と低かった。そうした予想を覆し福島代表を勝ち取り、決勝戦では宮城県の進学校古川と対戦した。福島県屈指の進学校でもある磐城にとっては絶対に負けられない相手でもあった。下馬評では磐城優位と報じられ、宮城県関係者にとっては期待した大型チームの東北が敗れ、あきらめムードが漂ようのも無理はなかったのかも知れない。強豪東北に圧勝した磐城はチームの戦力、知力において完全に古川を上回っていた。こうして甲子園へ向けての前哨戦とみられた東北大会で磐城は東北、古川に完勝した。二年連続して東北大会の王座に輝いた磐城は、普通の高校生に秘められた潜在能力が夏のひのき舞台で爆発、鍛え抜かれた体力と技が見事に開花し甲子園への花道へと進むのである。




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