行くぞ甲子園


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13 March 2024

東日本大震災13年 田村健太選手を偲ぶ 3/12/24

大崎市松山石雲寺にある田村健太選手の墓誌 (石堂様提供)

*あの大震災から13年が過ぎた。本校野球部OBの田村健太選手は、あの巨大津波の犠牲となった。今もその両親は、いのちの大切さを訴える活動をしている。その拠点が「健太いのちの教室」である。

「姿かたちは見えなくなったけれど、健太はわたしたちといつも一緒に活動している。悲しいだけじゃない。この本の中にも健太は生きている。いつも中心にいて見守ってくれている」とこの度絵本を出版することになった両親は言う(下記参照)。

私は、実は田村健太選手本人に会ったことはない。被災されたことも、当時の佐々木監督に教えられて初めて知ったぐらいである。

ただその後、その両親とお会いしているうちに、不思議な感覚を覚えた。それは、まるで会ったことのない本人と話しているような感覚である。それで健太選手がどういう人間だったかの一切を了解したような気分になった。

つまり、私が話している両親は、おそらく健太君そのものなのである。両親の言う「一緒に活動している」は真実である。このご両親に会うとそんな気持ちに本当になってしまう。私は健太君と話している。

時が経ち、その間にその後輩たちは、秋季東北大会の準決勝に進出し、21世紀枠の東北代表に選出され、ほとんどのOBに初の甲子園の夢を見させてくれた。惜しくもその夢は叶わなかったが、夏の堂々の宮城代表を目指してまた古高野球部は練習に練習を重ねている。先輩にあの大震災で被災したOBがいることなども知らない部員も増えてきているだろう。時の流れとして、それはどうしようもないことではあるのだが、伝えていくことは大人たちの使命でもある。

今年も球春の到来である。今一度田村選手を偲んで、今年の古高の活躍を期待したいものである。


健太いのちの教室紹介ビデオ
(ぜひ一度見ていただきたい)

健太いのちの教室

https://kenta-inochiclass.com/


ふしぎな光のしずく けんたとの約束

https://honto.jp/netstore/pd-book_33234442.html


田村夫妻が作成した絵本について(産経新聞)

https://www.sankei.com/article/20240309-QFKT543QGNN2RPETA7H4BFB6QE/

命の大切さ絵本に込めて「この中に生きている」 宮城・七十七銀行屋上で息子が犠牲の夫妻

次代へそして能登へ 東日本大震災から13年



東日本大震災から13年。その教訓や思いを次代へ、そして、必ず起きる未来の災害のためにつなごうとしている人がいる。その姿を追った。

元気な赤ちゃんの誕生を喜ぶ夫婦。成長した男の子は木に登ったり、野球に夢中になったり。大人になるとあこがれの会社に就職できた。何げない穏やかな日常の幸せにあふれていた明るい色合いのページが突然、暗転する。描かれるのは、「あの日」。激しい揺れ、鳴り響く防災無線…。巨大な黒い波が建物の屋上に避難した人たちをのみこんでいく。息子を捜す両親は暗闇をさまよっていた-。

「子供たちに読んでもらいたい。万が一、自分がこうなったらお父さんやお母さんはとてもさみしい思いをする。自分の命を守ることの大切さを感じてほしい」

絵本「ふしぎな光のしずく~けんたとの約束~」の原案を作った田村孝行さん(63)と弘美さん(61)夫妻。東日本大震災の津波で、七十七銀行女川支店(宮城県女川町)で勤務していた長男の健太さん=当時(25)=を亡くした。支店内にいた行員らは支店長の指示で2階建ての屋上に避難したが、津波にのまれ、4人が死亡、現在も8人が行方不明だ。支店に近い高台の山に逃げていれば救えたはずの命。海の近くにあった町内4つの金融機関の従業員は山に逃げるなどして全員無事だった。想定外の出来事を前に企業の下した判断が明暗を分けた。孝行さんは話す。

「もう誰にもつらい経験をしてほしくない。同じ悲劇を繰り返さないために、形に残るものを作りたかった」震災以降、毎週、女川町に通いつづけ、出会った人に震災のことを語るようになっていた田村さん夫妻。絵本の制作を協力したのも女川で出会った人たちだ。首都圏に住むミュージシャンの木村真紀さん、井戸雀琇さん、渡辺麻美さんとプロジェクトを立ち上げた。

全員が絵本の制作に携わるのは初めてだった。手探りの中で、宮城県大崎市に住む田村さん夫妻と横浜などをリモートでつなぎ、やり取りした。

やわらかい言葉で、短い文で。何度も推敲(すいこう)した。色使いなど細部にもこだわり、納得いくまで絵を書き直してもらったという。

とくに津波の恐ろしさは伝えたかった。

「津波の絵は怖いかもしれないが、波が迫ってくる様子は恐怖感が分かるようにしないと伝わらないと思った」

弘美さんは話す。

今年の元日には能登半島を地震が襲った。災害は時も場所も選ばない。救えたはずの命が失われないように。伝えたい。その思いは絵本という形で結実していった。

健太さんを失った悲しみから少しずつ立ち直ろうとする田村さん夫妻。絵本のページをめくっていくと、その歩みと気持ちの変化とともに色彩も明るさを帯びてゆく。

田村さん夫妻は同県松島町にある弘美さんの実家の畑を「健太いのちの農園」と名付けた。毎年、多くの人が訪れ、野菜を収穫したり、ともに食事をしたりする憩いの場になった。健太さんが小さいころにいつも登っていた月桂樹(げっけいじゅ)の木はいまも深緑の葉を揺らしている。

絵本の最後には、子供たちの前で話をする田村さん夫妻のこれまでの活動とそれを見守る健太さんがいる。その一つ一つが光のしずくに包まれている。命の大切さ、喜び、絶望、悲しみ、そして希望も。

「姿かたちは見えなくなったけれど、健太はわたしたちといつも一緒に活動している。悲しいだけじゃない。この本の中にも健太は生きている。いつも中心にいて見守ってくれている」

絵本は3月19日に完成する予定だ。(大渡美咲)

たむら・たかゆき、ひろみ 七十七銀行女川支店の行員だった息子の健太(けんた)さんが、同僚とともに支店屋上で津波の犠牲になった。企業防災の観点などから、伝承活動や講演を行っている。命の大切さを伝える一般社団法人「健太いのちの教室」を設立した。


2023.12.25読売新聞 福島


ルポ 8月12日御巣鷹の尾根










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