24 September 2018

銚子商業の「打倒・江川」に向けた大作戦

第55回大会、作新学院の江川卓投手は銚子商戦で延長12回押し出しのフォアボールでゲームセット=73年
http://koshien.mainichi.jp/graph/koshien/meitousyu/004.html

*大敗直後だが、今年の古高野球部の目標は決まっただろう。「打倒仙台育英」である。育英打線の流れをどう食い止めるか、育英の好投手をどう打ち崩すか、どう点を取るか。どう守るか。

しかし期待が持てるのは仙台育英相手に11安打していることである。守備を鍛えればこれからもっと強いチームに生まれ変わるだろう。
昔、打倒江川にかけた銚子商のテレビ番組があって、感銘を受けたので、探したが見つけられない。代わりに以下の法政大学野球部のHPを発見したので、抜粋して引用させていただきたい。下を向いてる必要はない、がんばれ古高、最後に仙台育英に勝つぞ。



https://ameblo.jp/hoseiyakyuubukenkyuu/entry-11563665816.html

怪物・江川卓の野球人生(その3) ~江川VS銚子商業、雨中の死闘~そして法政へ~



<銚子商業の「打倒・江川」に向けた大作戦>

作新の2回戦の対戦相手は、1回戦を延長12回の末、岡山東商を1-0で破った銚子商業に決まった。
銚子商業のエースは、背番号10を付けた、二年生の土屋正勝である。

ところで、この銚子商業は、斉藤一之監督以下、全選手が一丸となって「打倒・江川」を目指し、ありとあらゆる手を尽くしていた。

話は1972年秋の関東大会に遡るのだが、同大会の準決勝で、銚子商業は作新と対戦し、江川に20奪三振を喫し、屈辱的な敗北を喫していた
おまけに、その関東大会で上位に進出したという事で、出場していた1973年春の選抜では、銚子商業は報徳学園に0-16と惨敗してしまった。



屈辱にまみれた銚子商業は、江川を倒さなければ、この屈辱は晴らせない」とばかりに、徹底した江川対策を研究し、「打倒・江川」だけを目指して、猛練習を続けた。

まず、銚子商業は、江川が投げる試合に必ず偵察要員を派遣し、江川のフォームを研究し尽くした。
その結果、江川のフォームには、ストレートの時とカーブの時とでは、微妙に異なる癖が有る事を発見した。

次に、その癖を見抜くと、斉藤監督は、打者に江川のカーブを全て捨てさせた。
江川のストレートの威力は凄まじいのは言うまでもないが、カーブもまた超一級品であった。
打者の頭部付近に来た、と思われた球が、打者の外角へ鋭く曲がり落ちて、空振りを誘う。

江川の球種は、ストレートとカーブだけだったのだが、そのどちらともが超一級品だったため、打者としては打てる筈が無かった。
そこで、斉藤監督は、カーブが来るとわかれば、打者にそのカーブがストライクだろうとボールだろうと、全て無視させ、ストレートだけを狙わせた。

そして、銚子商業の各打者はヘルメットを目深に被り、ヘルメットの庇から上に来た球は、全て見逃す、という作戦を取る事とした。
江川の高目のストレートは、ボールだとわかっていても、打者がその威力につられて振ってしまう、という事が多かったのだが、 その高目の球を全部捨てる、という事である。

更に、バッティング練習の際には、打撃投手にマウンドのかなり前の方から投げさせて、打者を速い球に慣れさせる、という練習も行った。

そして、銚子商業は作新に二度も練習試合を申し込んだ。
その練習試合は、銚子商業は二度とも作新に敗れたのだが、1973年4月の対戦では13三振、1973年5月の対戦では9三振と、前年秋の関東大会での20三振の時から比べると、格段の進歩がみられた。
つまり、銚子商業の打者達は、徐々に江川の球に目が慣れて行ったのであった。

もう一つ、銚子商業は「江川は晴天で暑い試合だとバテる」「江川は雨の試合に弱い」というデータも掴んだ。

とにかく、江川を倒すために、銚子商業は、考えられる限り、ありとあらゆる手段を使っていた。
当時、日本で一番、「打倒・江川」への執念を燃やしていたのは、間違いなく、この銚子商業であった。

その銚子商業は、いよいよ江川を倒すべく、1973年夏の甲子園の2回戦で、江川の作新学院に挑む事となった。

<作新学院VS銚子商業の死闘>

こうして始まった作新と銚子商業の試合は、江川と土屋の投げ合いとなり、0-0のまま進んで行った。

銚子商業は、作戦通り、カーブを捨てて、外角のストレート一本に絞っていた。
銚子商業は、江川を倒すために、あらゆる手を尽くしてきている。
そして、江川も、決して本調子ではない。

しかし、それでもなかなか打てないのが江川であった。
銚子商業は江川をなかなか捉える事が出来ず、凡打の山を築いて行った。

だが、江川は、この日の銚子商業は、今までとは全く違い、非常に強くなっている、という印象を抱いていたという。
江川としても、銚子商業に対し、非常に嫌な気持ちを抱いたまま、投球を続けていた。

江川は、走者として出塁した際に、銚子商業の一塁手・岩井に対し、
「何か、今日の銚子はいつもと違うな。俺、今日は負けるかもな」
という言葉を漏らしていたという。

そして、7回裏、銚子商業は木川と青野の連打が飛び出し、1死2、3塁のチャンスを掴んだ。
ここで迎える打者は7番の磯村だったが、銚子商業はスクイズではなく、強攻策を取った。

しかし、磯村は江川の剛速球に押され、サードフライに倒れた。
これで2アウト、ランナーはなおも2塁、3塁。

続く打者は、銚子商業のエース・土屋だったが、江川は土屋をストレートで空振に仕留め、このピンチを脱した。
ピンチになればなるほど、エンジンを全開にするのが、江川の持ち味であったが、この場面でも、江川はその持ち味を遺憾なく発揮したのであった。

一方、土屋もまた、江川を相手にして一歩も引かず、作新に対して得点を許さなかった。
土屋は「江川さんに勝つには、こっちも作新を0点に抑え続けるしかない」と、覚悟を決め、延長18回まで投げ続けるという、悲壮な決意をしていたのだった。

こうして、江川と土屋の互角の投げ合いは続き、試合は0-0のまま、延長戦へと突入した。

この試合は、途中から雨が降り出していたのだが、延長戦へと入る頃、その雨はますます、激しさを増していた。
銚子商業は、この雨を「恵みの雨」と捉えていた。
あの「江川は雨の試合に弱い」というデータが、銚子商業の選手達の頭の中には、しっかりと入っていたからである。

一方、江川は初戦の柳川商戦に続いての延長戦突入という事に加え、この雨に対して、やはり非常に嫌な気持ちを持っていた。
「ここで試合が打ち切りになったら、また明日(再試合で)投げなきゃいけないのか」というような、ウンザリした気持ちにまでなっていたという。

江川と銚子商業の、試合に対するモチベーションの差は明らかであった。
そして、試合の形勢は徐々に銚子商業へと傾いて行った。


<江川、雨の甲子園に散る>

延長10回裏、銚子商業は先頭の磯村が三塁打を放った。
これで無死3塁と、一打サヨナラという場面が訪れた。

しかし、江川は続く土屋を三振に打ち取り、1アウト。
続く多部田を四球で歩かせ、場面は1死1、3塁と変わったが、江川は次打者・宮内のスクイズを見抜き、スクイズを阻止して、3塁ランナーをタッチアウトに仕留めた。
これで、2アウト。

江川は、宮内を四球で歩かせ、2死1、2塁。
ここで、打者・長谷川が一、二塁間を破るライト前ヒットを放った。
その瞬間、江川は敗戦を覚悟したというが、ライトがこの打球を掴むと、本塁へ矢のような球を返した。

二塁ランナー・多部田は三塁を回り、ホームへと突っ込むが、ライトの返球を受けた捕手・小倉のブロックに阻まれ、タッチアウト!
作新は、すんでの所でサヨナラ負けのピンチを逃れた。
しかし、この時、捕手の小倉は三塁走者のホーム突入を邪魔するような位置に居た。

走塁妨害を取られてもおかしくないような場面だったが、判定はアウトのままであった。
しかし、このブロックが後に問題になり、「捕手の過度のブロックは禁止する」というルールが出来るキッカケになったという。

こうして、江川は延長10回裏の大ピンチを凌いだが、試合はなおも0-0のまま進んで行った。
そして、延長12回裏、銚子商業の攻撃。

雨が激しく降り続く中、銚子商業は1死満塁という、絶好のサヨナラの場面を迎えていた。
そして、打者・長谷川のカウントは2ストライク3ボールとなった。

この絶体絶命の場面で、江川はタイムを取り、ファースト・鈴木、セカンド・菊池をはじめ、内野の全選手をマウンドに集めた。
江川は、「次の球、俺の好きな球を投げていいか?」と、彼らに聞いたという。
江川は、次の球は、ストライクかボールかというよりも「高校三年間で、一番速い球を投げてやろう」と、心に決めていたそうである。

この場面で、江川は半ば、負けを覚悟していた。
そして、最後は悔いのない球を投げてやろうと思っていたのであった。

江川にそう聞かれ、特に江川と反目していたファーストの鈴木が、
「お前の好きな球を投げろよ。俺達がここまで来れたのも、お前のお陰だから。何も文句はねえよ」
と答えたという。
捕手の小倉によると、小倉はこの場面で初めて、作新の選手達の心が一つになったと、感じていたらしい。

ちなみに、江川はこの場面は、「2アウト満塁、カウント2-3」だと勘違いしていた。
つまり、次が本当に最後の一球だと思っていた。
しかし、実際は「1アウト満塁、カウント2-3」だった。
普段は冷静沈着な江川もまた、それだけ感情が高まっていたという事だろう。

一方、銚子商業の斉藤監督は、マウンドに作新の選手達が集まっている間、打者の長谷川を呼び寄せた。
斉藤監督は、この場面、長谷川に強攻策を指示していたが、
「スクイズやるぞ」
と、作戦の変更を指示した。

そして、運命の一球、江川が全ての思いの丈をぶつけ、思いっきり投げた球は、高目を大きく外れるボールになった。
長谷川は、スクイズをやりかけていたバットを引き、この球を見逃した。

江川の最後の球は、押し出しの四球になった。

こうして、銚子商業は延長12回の死闘の末、江川を1-0で破り、見事に「打倒・江川」の宿願を果たしたのである。

「江川を倒す」という執念が最後の最後についに結実し、強大な敵を倒す事に成功した銚子商業の戦いは、全く見事の一言であった。

一方、江川は雨中の激闘に敗れ、甲子園を去る事になったが、悔いはなかったに違いない。

この大会で、銚子商業は作新を倒した後、準々決勝で静岡高校(※ご指摘を受け、訂正しました)に敗れたが(1973年夏の甲子園は、広島商が優勝した)、
土屋が三年生となり、絶対的エースとして君臨した翌1974年夏、銚子商業は悲願の全国制覇を達成した。

その土屋は、江川と対決し、その江川を破った1973年夏のあの試合こそが、自分の生涯最高のピッチングだったと語っている。

こうして、作新学院と銚子商業の死闘、そして江川の高校野球生活は幕を閉じた。



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