*私はかつて、古川高校校歌の作詞者である星合愛人教諭について個人的に調べていた。過去の投稿を参照していただきたい。
https://furuko-baseball.blogspot.com/search/label/%E6%98%9F%E5%90%88%E6%84%9B%E4%BA%BA
その過程で、星愛氏が古高を去ったあと、台湾に渡ったこと、州立台北第二高等女学校、台湾私立静修高等女学校の教諭として勤務したことを知ったが、私立静修中学に関してネットにこういう記事がある。
75年越しの卒業証書、90代の日本人女性へ
台湾北部・台北市にある私立静修中学は1916年、台湾で初めてカトリック教会によって設立された中高一貫校。当初は女子校だったが、少子化への対応と男女平等の考えから、2007年より中等部で男子の受入れを開始。今年1月に名称を静修女子中学から静修中学に改めた。その静修中学で13日、日本人の川瀬富子さん(91歳)に卒業証書が授与された。
川瀬さんは台湾人の父親と日本人の母親を持つ。1929年に日本の広島県呉市で生まれ、6歳のときに台湾へ渡った。当時台北市内にあった寿小学校(現・西門国小)で学び、卒業後は静修女子中学に進学した。もともと頼トミコと名乗っていたが、戦時中に改姓名して川瀬富子と名乗るようになった。1945年3月、卒業式の最中に空襲があり、全校生徒が防空壕に逃げ込んだため、卒業証書を受け取ることが出来なかった。戦後、川瀬さんは日本に帰ることに。結婚後は夫の仕事の都合でマカオに長く住み、10年前に台湾に移り住んだ。
静修中学の卒業生である蔡亜璇さんと、国立政治大学で学ぶ日本人留学生の権田猛資さんの仲介により、静修中学は川瀬さんが卒業証書を受け取っておらず、それをいまも残念に思っていることを知り、川瀬さんに対して特別に卒業証書を発行することを決めた。卒業証書は当時と同じ形式で、当時の校長だった鈴木譲三郎氏の名を入れた。妹も夫の母も同校の卒業生で、同校には深い思い入れがあるという川瀬さん。いまでも当時の学費がいくらだったかはっきりと覚えているという。
Taiwan Today:2020年7月14日
写真提供:私立静修中学提供、中央社
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**上述したようにここに出てくる私立静修中学は、星合愛人氏が教壇に立っていた学校である。さらにここで登場する「鈴木譲三郎」校長だが、星合氏とともに、明治時代の古川中学の教諭だったことが当時の職員録で確認できる。
作詞 星合愛人
作曲 田村虎蔵
心の琴のも張る春は万朶の花の雲
胸の思いも澄みわたる秋は黄金の稲の波
つきぬ眺望の大崎に 基礎を置ける教の舎
嵐をやどす栗駒や雲井に晴るる船ヶ岳
晴に曇にゆるぎなく空を凌ぎて立つを見よ
高きを慕ふわが胸の理想の影とよそふべく
緑を染そめて溶々とはしる荒雄や鳴瀬川
『学の道にすすむ身の 鑑は我』と囁くか
日夜に行ゆきてたゆみなく果ははてなき大海に
其水長く山高き我が東北の大原野
気の秀麗を身に受けて 健児空しくやむべきか
青春今を盛にて 我が胸躍り我が血湧く
明治43年(1910年)制定






















































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