*春季北部地区予選の組み合わせが発表された。古高は、4/25 古川工業と、4/29に小牛田農林と対戦する。連勝なら県大会出場、連敗なら敗退、1勝1敗ならば決定戦に回る。古高にはぜひ頑張っていただきたい。今年はバーチャル高校野球が速報をやるようなので、試合経過についてはそちらを参照されたい。
こうしてみると北部地区も随分数が減ったなという印象だが、大谷などの活躍で日本の野球人気はむしろ上がっているようにも感じるし、実際に、2025年時点の中学生の軟式野球人口は13万9千人で、2年連続で増加傾向にある(2023年:13.4万人→2025年:13.9万人)。これは実に驚くような嬉しいニュースで、要は、受け入れ側(高校)もいかに魅力的に映るかを絶えず努力していくことが求められているはずである。
野球離れに歯止め? 中学軟式人口が“増加傾向”…34%が未経験者、「練習短い」の声も(Full-Count)
「勝利至上主義を捨てた監督」甲子園に出場した“野球エリート”の挫折…「先生、甲子園出たんでしょ?」女子生徒3人が野球部を創設“まるでマンガ”の実話 (Number Web)
「先生、甲子園出たんでしょ? 野球部つくっちゃおうよ! ウチらマネやるからさ!」 職員室の前で待ち伏せしていた女子生徒3人が、新任の教師にそう言い放った。まるでマンガのワンシーンのような出来事が、茨城県の公立高校に新しい風を吹き込むことになる。
水戸第三高校・硬式野球部監督の柴田優太(41歳)は、輝かしい経歴の持ち主だ。2002年春に水戸短大付属(現・水戸啓明)の主将として春の甲子園に出場し、卒業後は東都大学1部リーグの名門・駒澤大でもプレーした。しかし指導者として現場に立つと、その看板はたちまち重責へと変わった。
「あれ、なんか違うなと思ったのが下妻二の監督時代ですね。試合をやるたびにあれ?あれ?こんなはずじゃない、と思い知った」 勝てない日々が続いた。かつてカリスマ監督たちの言う通りに動いて勝ってきた柴田は、自分自身が組織を導く術を持っていなかったことに気づく。「『勝たせてもらっていた』だけだったんです」
勝利至上主義より成長至上主義
そんな自己否定の日々を経て、2023年に赴任したのが水戸三だった。9割以上が女子という「ほぼ女子校」で、野球部はなかった。テニス部顧問を任された柴田は「もう二度と、野球部の指揮を執ることはないだろう」と覚悟した。 ところが赴任1年目の春、当時高校2年生の笹嶋ほのかさん、大越夢叶さん、延島心美さんの3人が職員室前で柴田を待ち伏せし、冒頭の言葉を口にした。
「自分のための野球じゃない。生徒がやりたいと言っている」
この事実が、勝利へのエゴだけで空回りしてきた柴田の呪縛を解いた。こうして2024年春、女子マネージャー3人・選手0人という状態から水戸三野球部の歴史が始まった。 部員募集のチラシには「最初の1ページを共に作りませんか?」と書き、「初心者大歓迎」「兼部OK」を掲げた。4月中旬、初心者2人を含む6人が入部。初練習では硬式球もバットもなく、柴田の私物を使ってスタートした。
掲げたキャッチフレーズは「勝利至上主義より、成長至上主義!」。柴田は指導論を180度転換し、生徒の個性を潰さない「余白」を大切にした。主将がサッカー審判員の活動で部活を休むことも、マネージャーが3つの部活を掛け持ちすることも認めた。
公式戦は未勝利だ。それでも今春に部員は21人の大所帯となり、学校の志願倍率は1.38倍と県内公立校普通科で3位まで上昇した。 柴田の挫折や、創設3年で部員が21人になるまでのウラ側、柴田がたどり着いた「成長至上主義」の真意は、本編でさらに深く語られている。
<つづく> (以下はNumber webで)
【高校野球】仙台工・小室尚翔 大敗も「楽しかった」1度退部も 新入生加え単独チームで試合(日刊スポーツ)
<春季宮城高校野球中部大会:仙台育英23-0仙台工>◇19日◇松島運動公園野球場
宮城工が今大会から導入のDH制を使用し、泉に10-2で7回コールド勝ちした。先発投手がDHを兼務できる「大谷ルール」を適用したエース藤沢陸投手(2年)が7回2失点(自責1)。打っては長打含む3安打3打点と期待に応えた。仙台工は0-23の5回コールドで仙台育英に大敗も、24年夏以来の単独チームで戦った。仙台一は宮城広瀬を15-5の5回コールドで退けた。
仙台工は24年夏以来、単独チームとして久しぶりの公式戦を迎えた。スタメン9人中6人が1年生。入学からわずか2週間も、昨夏王者の仙台育英に立ち向かった。結果は大敗だったが、選手らの表情はすがすがしかった。唯一の3年生で主将の小室尚生外野手は「仙台育英さんとも9回まで戦えるように、夏までにしっかりと力をつけたいです」と反省する一方で、「試合ができて本当に楽しかったです」と言葉をかみしめた。
仙台工は部員不足により、24年秋から連合チームとして大会に出場していた。当時1年だった小室は、理想と現実とのギャップを感じ、同年冬に野球部を離れた。だが、1年たっても捨てきれない思いがあった。「やっぱり野球をやりたい」。顧問の先生にも声をかけてもらい、2年冬に野球部に戻った。人数不足に悩む現状は変わっていなかった。それでも「もう迷いはありませんでした」と決意は固かった。
そこには、先輩の存在もあった。1学年上で主将を務めた日野正太朗さんは、2年冬にチームメートがいなくなり、けがにも苦しんだ。それでも、たった1人の野球部員として伝統を守り抜き、昨夏引退した。「今、仙台工業があるのは先輩たちのおかげだと思っているので、本当に感謝しています」と小室。どんなことがあっても、バトンをつなぐと決めた。
春になり、新入生が13人入部。「すごくうれしかったです。でも今度はしっかりまとめられるかが心配で」と、現在はうれしい悩みに向き合っている最中だ。「悔いが残らないように、最後の最後まで全力でやりきりたいです」。これから先も仙台工の歴史は紡がれていく。【木村有優】
*「強い市工」の復活を期待しています!
















































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