*(1より続く)この問い合わせを受けて、私は古中古高百年史を持っている人を探そうと思い、田村氏に試しにどのようにかして入手できないか聞いてみたが、5分と経たないうちに、すぐに実物のコピーが送られてきたので大変驚いた。それらを調べた上でその問い合わせへの返答を書いた。
「つい今しがた、 早くも冊子を持っている方と連絡を取ることができ、森慎一郎先生の記述箇所を見つけました。添付します。この古中古高百年史によりますと、肩書は「分校主任」 となっておりまして、「初代校長」は当時一中(現仙台一高) の下條校長が兼任するかたちになっていたのではないかと思います。また、 歴代校長が列挙されているページは無かったそうです。
森先生は、明治30年4月に分校主任に任命、 明治32年7月21日に石川県に転出、の記述があります。後任が小林満三郎氏、 これはいただいた資料の「歴代校長」欄と一致するところですが、当時の主任と校長の別がいかなるものであったかは分かりません。また、森先生は、倫理、漢文、歴史、 博物を担当していたようです。」
古中古高百年史より
1897(明治30)年4月1日 宮城県尋常中学校志田郡立分校 創立
1897(明治30)年4月15日 森慎一郎 分校主任に任命
1897(明治30)年5月3日 開校(開校記念日)
1898(明治31)年8月30日 現在地に校舎移転
1899(明治32)年4月1日 宮城県中学校志田郡立分校と改称
1899(明治32)年7月21日 森主任 石川県に転出
1900(明治33)年4月1日 宮城県第三中学校として独立、初代校長 小林満三郎
およそ2年3か月 森慎一郎氏が初代分校主任をつとめたことになる。後任は小林満三郎氏。さらに、森主任が受け持った科目まで書かれている。倫理、漢文、歴史、博物を担当したとのこと。古中黎明期の少なくない部分が、森主任の知識と経験によって形成されたのだと言って良いだろう。志田郡立分校は明治30年産声を上げた。その分校の舵取りをしたのが森慎一郎氏だったということになる。
分校時代はあくまで、正式な校長は尋常中学校校長下條氏が兼任、森氏が離任した後、明治33年「宮城県第三中学校」として独立、二代目分校主任であった小林満三郎氏が初の第三中学校校長に就任した。
「こんなに早く、ご丁寧に調べていただき、
坪内逍遥が「中学修身訓」
森先生については、これからもまだ調べる予定です。もし、
いただいた情報を整理し、森慎一郎氏のわかっている範囲での経歴を記すと以下のようになる。
1891(明治24) 年 ~ 宮城県尋常中学校(現宮城県仙台第一高校)教諭
1897(明治30)年4月15日 宮城県志田郡立分校(現宮城県古川高校) 主任に任命
1899(明治32)年6月28日 石川県師範学校(現金沢大学教育学部) 校長に任命
1900(明治34)年1月22日 東京府立第二中学校(現東京都立立川高校) 校長に任命
1908(明治41)年6月15日 富山県立富山中学校(現富山県立富山高校) 校長に任命
中等学校並に校長総覧 第一編(新聞事報社 昭和4年)
任免裁可書 富山県立富山中学校 明治41年 任免巻15
また、指摘があった通り、明治44年、森氏は「新撰漢文典」を出版しているが、その序を誌しているのが大槻文彦氏。
新選漢文典 序 大槻文彦 誌
新撰漢文典 森慎一郎著 六合館 明治44年
石川県師範学校校長時代の森氏 前から3列目右から6人目
(金沢大学デジタルアーカイブ 明治三十三年三月卒業写真より)

























































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