*これはおそらく、古高関係者でもあまり知らないのではないかと思われることなのだが、これまで古川高校 校歌の作詞者の星合愛人氏について個人的に情報を収集してきたが
(過去の動画を参照されたし --> https://furuko-baseball.blogspot.com/search/label/%E6%98%9F%E5%90%88%E6%84%9B%E4%BA%BA)、今回、ネット上で偶然にも台湾時代の星合氏の授業風景および肖像写真を手に入れたので、ここに紹介するものである。星合氏の肖像は、ほぼ「本邦初公開」と言ってもいいのではないか。「古中・古高百年史」においても、作曲家の著名な田村寅蔵氏については言及があったが、星合氏については無かったと記憶している。
これは、台湾の私立静修中学の卒業文集に収録されている授業風景のようだが、表題は「星合先生授業」。教壇に立っているのは我が伝統の古川高校校歌作詞者の星合愛人氏、その人である。
原典:校園生活記憶庫「靜修女學校星合老師課堂照片(星合先生授業)」https://school.nmth.gov.tw/search/detail/R-03-000014-998776
星合氏は宮城県古川中学(古高)の英語国語教師を務めたのちに、年代は不詳ながら、福島県安積市の小学校教員となり、安積第一小学校の校歌制定にも尽力している。
https://www2.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=0710044&frame=frm4c0467cdc777f
彼の著書「呼子鳥」によれば、彼が安積に居を構えたのは渡台するより前だ。その後日本の台湾統治に伴い、台湾総督府職員となり、内地を離れ渡台したようである。そこで台北私立第二女子校の教員となり、その校歌の作詞もつとめたことまでを突き詰めていた。が、この私立静修中学の教員も行っていたことは今回初めて知った。
https://furuko-baseball.blogspot.com/p/blog-page_13.html
この学校は現在も存続している。現在は、私立天主教静修中学校となっている。カトリック系の学校だ。そういえば星合氏の聖書への造詣の深さも彼の著作から垣間見えていたから、そのような関係からこの女子中学に赴任したのかも知れぬ。
「心の琴の」で始まる一種独特な古高校歌の作詞者は、荘厳な顔立ちをしていたようである。古中校歌の作製は明治43年、1910年である。第三中学から宮城県立古川中学と改称されたあとだ。
「安心立命」と板書し、その隣に横棒を引っ張っている。「安心立命とは、人力を尽くしてその身を天命に任せ、どんな場合にも動じないこと。信仰によって心を安らかに保ち (と言いつつ横棒を引っ張る)、どんなことにも心を乱されないこと、そのことが最重要です。よろしいですか。」そんな風な古高校歌作詞者の授業が、戦前の台湾の女子中学校で行われ、100年ほど経って、インターネット経由で入手したその台湾の女子高の卒業アルバムから彼の肖像が明らかになったのは実に感慨深い。
*高校野球の試合後勝利した側が歌う校歌についてであるが、全国的に見て、たとえば慶應義塾高校の塾歌などは、1番が相当長い。約1分35秒ある。それに比して、古高の一番はあっという間に終わる。ためしに測定したら、1、2番合わせると丁度1分35秒くらいであった。
高野連は公平を期すならば、せめて時間で調整して、詩句の短い校歌の場合、2番まで歌えるなどとしてくれないだろうか?その場合、古高校歌は1番と4番を歌うことをおすすめする。「青春今を盛にて 我が胸踊り我が血湧く」。こんな嬉々とした様子の校歌は滅多になく、素晴らしい凱歌になるように思う。
一、
心の琴(こと)の絃(いと)も張る 春は万朶(ばんだ)の花の雲
胸の思いも澄みわたる 秋は黄金(こがね)の稲の波
つきぬ眺望(ながめ)の大崎に 基礎(もとい)を置ける教(おしえ)の舎(や)
四、
其水(そのみず)長く山高き 我が東北の大原野(だいげんや)
気(き)の秀麗(しゅうれい)を身に受けて 健児空しくやむべきか
青春今を盛(さかり)にて 我が胸躍り我が血湧く
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