行くぞ甲子園


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20 May 2020

昭和17年 「文部省」主催の甲子園

(戦後の流星毎日オリオンズ 啓文社書房)

この投手をご存じだろうか?
元毎日オリオンズのエースだった「火の玉投手」荒巻淳(あらまきあつし)投手である。通算173勝、最多勝1回、最優秀防御率1回の毎日を代表するエースだ。


さらに、この荒巻投手から→文部省主催の甲子園(1942年(昭和17年)の幻の甲子園)、さらに→仙台一中との対戦、などと連想させて考えられる方は宮城でも大変な高校野球ツウである。

夏の全国高校野球選手権大会(当時の全国中等学校優勝野球大会)の主催は朝日新聞社だが、昭和17年は日本は太平洋戦争に突入、甲子園大会の開催が困難を極め、中止が決定した。この中で、主催を文部省に変えて開催された大会がこの昭和17年大会である。宮城予選の参加校は6校。優勝は仙台一中(現仙台一高)である。

比較できないかもしれないが、今年の高校3年生の状況もこれと酷似している。ほとんどの3年生部員、ようやく最上級生になって試合に出る機会も獲得し、最後に旋風を巻き起こしてやりたいと願って冬の厳しく苦しい練習に耐えてきたはずだ。



しかしながらすべての大会が中止では、泣くこともできない。高校球児が最後の敗戦で泣くのは、試合に負けて悔しい気持ちとともに、自分の高校生活のすべての努力が終わったんだという万感胸に迫る達成感の要素もある。要は、通常の甲子園大会でなくともよい、主催者を変えても、どんな規模でも、どんなかたちでもいいから、今年の3年生には最後の大会を与えてやりたい、勝敗を度外視して、終わったんだと思う達成感の瞬間を与えてやりたいと思うのである。

当時の記録を見てみよう。


1回戦
仙台一中 21-0 仙台商
宮城水産10-4栴檀中(現在の東北福祉大系列の学校)

2回戦
仙台一中2-0仙台二中
宮城水産15-8東北学院

決勝
仙台一中7-4宮城水産

東北大会
準決勝
弘前工業1-0秋田中
仙台一中6-3山形中

決勝
仙台一中6-2弘前工業

以下、「汗と土と涙と 宮城県高野連40年史」より抜粋

全国大会
仙台一中の小泉主将が選手宣誓を行う

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以後、甲子園大会の復活は、戦後の昭和21年(第28回大会)まで待たなければならない。



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