行くぞ甲子園


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20 December 2011

古高激闘の記録(6) 昭和56年県予選ベスト8の記事 12/19/11

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*昭和56年は、古川高校が10年ぶりに夏の大会ベスト8入りを果たしました。その当時の新聞記事です。

仙台二、古川に惜敗
後半のチャンス生かせず

昭和56年7月21日 河北新報
球児の夏は全開。第六十三回全国高校野球選手権宮城大会三日目の二十日は、午前八時から宮城、評定河原両球場と東北高グラウンド、それに泉市の東北学院泉球場の四会場で1回戦の10試合を行った。
この日仙台地方は朝から真夏の太陽がじりじり照りつけて気温も急上昇、グラウンドでは汗と砂にまみれての熱戦を繰り広げた。
宮城球場の第1試合、仙台二ー古川は一進一退の好ゲームとなったが、3-3で迎えた八回裏、古川がバントから敵失を誘い逃げ切った。

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22 October 2011

古高激闘の記録(5) 昭和26年 古川高校初優勝を伝える河北新報 10/22/11

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久しぶりに更新します。

古川工業の初優勝に沸いた今季の甲子園予選でした。甲子園では残念でしたが、大崎地方から初の甲子園、県下工業高校を見ても初の甲子園となりました(それにしても、強豪の仙台工業もいまだ甲子園に出場していないというのはちょっと驚きです)。

歴史を紐解けば、古豪・古川高校も過去に県下「優勝」の実績があるわけで、これは後世に伝えていくべきことでしょう。その昭和26年7月27日(金曜日)の河北新報の記事です。


初優勝に輝く古川高
ー高校野球決勝 宮工の打棒を完封




真夏の太陽のもと連日真摯なプレーに高校球児の熱と意気を示してきた全国高校野球宮城県予選は二十六日最終日を迎え宮城球場で宮城工ー古川高の間に決勝戦が行われた、十数年ぶりに県下のペナントをねらう宮工、三十余年の野球部史上に花を咲かせようとする古川高の両校のナインは必勝のまなざしもするどく、午後二時七分宮工の先攻で決戦の火ぶたが切られた古川高は一回先取点をあげて快調なスタートを切りその波にのって着々点を重ね一方五日連投の佐藤投手はこの日も宮工の打線を五安打に封じ八回野手の凡ヘッドに2点は失したがその裏4点をだめ押し堂々の優勝をとげ仙北の地に始めて優勝旗を持ち帰った
古川高8A-0(ママ)宮工高(*8-2の誤植)
宮工高000 000 020|2
古川高100 102 04A|8
◇五日間連投の古川佐藤投手は緩投でベースワークよく宮工打者のタイミングをたくみにそらした投球ぶりで気負い立つ宮工ナインを軽くいなして快勝した、宮工は一回から七回まで散発の三安打に封じられてチャンスなく、ややあせり気味になって打ち気がに出たが佐藤の緩球を打ち込めず八回二安打、一四球で2点差にちぢめたが後援つづかずやぶれた、古川はへき頭から果敢に攻め宮工佐伯投手の直球をよくミートして二安打一失に1点を先制、四回には後藤の三塁打と佐藤義の中前安打に加点、六回には二安打、二四球、二失に2点で勝敗をはっきりしたその後八回佐伯に代った庄司から四安打、二四球、一失で4点と決勝戦にふさわしからぬ大差をつけてしまった、敗れた宮工は主戦の佐伯をあまりに頼りすぎまた佐藤投手をあまく評価したのではなかろうか、前日の打線の冴えは影をひそめ内野守備もこれまでになくお粗末であった、とにかく県大会で優勝した古川佐藤投手の健闘は賞賛されてよい、また福島の東北大会には古川、宮工とも大いに活躍するよう期待する

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16 August 2011

23年前の東陵初優勝

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古川工業の初優勝に沸いた今季の宮城大会であったが、何でも仙台市以外の高校が夏の甲子園に出場したのは23年ぶりだそうである。そうか、そんなに経つのか・・・。忘れもしない気仙沼の東陵高校が初優勝して以来だ。

その強打の東陵打線の印象はいまだに強烈で、のちにプロに進んだ井上純(横浜ー千葉ロッテ)を中心に、どこからでもホームランを打てる大型チームだった。その昭和最後の大会、昭和63年第70回記念大会の総集編のビデオを見ながら、当時を振り返ろう。

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26 July 2011

決勝戦 速報 おめでとう、古川工業

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古川工業、初優勝、甲子園初出場決定! 
大崎から初の甲子園!



古川工 000 001 110 | 3
利 府   000 001 000 | 1




*歴史的な宮城大会となりました。やり方次第で公立・私立の垣根は無いということを示した両校に拍手を送りたいと思います。古川工業の精神力には恐れ入りました。並大抵の努力ではこのような結果になっていないはずです。ただ努力するというのではだめで、野球はどうすれば勝てるかを、どのチームよりも必死に考えた結果であろうと思います。高校生同士の対決、どのチームにも甲子園のチャンスがあります。そのような時代に突入したと思いたい。いずれにしても、古川工業によって宮城県高校野球史に残る金字塔が達成されました。

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間もなく決勝戦

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私は海外に住んでいるために、直接放送を見れないのが残念だが、ここで私なりに決勝の予想をしておこう。

私の予想では6:4で利府高校が有利と見る。


利府高校の最近の主な成績


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25 July 2011

速報・古川工業、初の決勝進出!!

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準決勝 第一試合
古川工業 100 100 010 | 3
東  北 000 001 000 | 1

古川工業:山田
東北:上村ー片貝



古川工業、初の決勝進出!! 第一シード東北
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11 July 2011

仙台、古川に快勝 全国高校野球宮城大会(河北新報コルネット)

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仙台―古川 7回表仙台1死満塁、白井の死球で三走佐藤駿が生還し、2―1と勝ち越す=福祉大


第93回全国高校野球選手権宮城大会第3日は11日、仙台市の東北福祉大球場などで2回戦を行い、仙台は古川に6―1で快勝した。仙台二、小牛田農林、石巻北、佐沼も勝ち3回戦に進出した。
 仙台は1―1の七回、1死満塁から白井秀啓の押し出し死球で勝ち越し、さらに中村修平の左前打など打者9人の猛攻で4点を挙げた。仙台二は二回に工藤健功の右前打で先制し、その後も着実に加点した。小牛田農林は7―0で涌谷にコールド勝ち。石巻北は4―1で仙台向山を下し、佐沼は7―0で仙台高専広瀬に快勝した。
 第2日の10日は、仙台市のKスタ宮城など5球場で1回戦11試合を行い、石巻や志津川、古川黎明、東北学院、気仙沼向洋などが2回戦に進んだ。

 ▽2回戦
仙台 100000401=6
古川 001000000=1




*古高残念ながら仙台に敗北。7回までは互角の試合をしていただけに、終盤の戦いに課題が残る。選手はご苦労様でした。今年は大震災の影響でじゅうぶんに練習できなかったかもしれません。試合ができただけでも、これは感謝すべきことです。仙台高校には今後頑張って勝ち進んで欲しいと思います。
とはいえ残念ですが、この敗北をしっかりと胸に受け止め今後を歩んで欲しいと思います。特に2年生以下は、何故郡部の学校が仙台勢に弱いか、また仙台勢も中央に出ると何故勝てないかを考える必要があるかと思います。これは古高の伝統でもありますが、そろそろ打ち破ってもいい伝統です。というか、打ち破らなければ甲子園は遠い。実際の力の差はほとんどありません。毎年いい試合はする。試合は作るが、最後は負ける。恐らく、郡部の学校が東北・仙台育英を倒して甲子園に行くには、野球のスタイル・概念・練習方法をまったく変えてしまう必要があるのではないかと思います。高校生にそれをのぞむのは酷というものですが、甲子園に出るには一日一日の練習の質が東北仙台育英に匹敵する以上のものでなければならない。まずは、敵を良く知る、これから始まるということでしょう。

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試合速報

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27 June 2011

宮城大会組み合わせ決定 asahi.com

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第93回全国高校野球選手権大会 宮城県予選の組み合わせが決定した。古川高校は、2回戦、7月11日、東北福祉大球場・第一試合(9時開始)で、仙台高校と対戦することになった。仙台高校は甲子園出場経験のある強豪であるが今年の大会は何が起こるかまったく予想できない。古川高校も今年は例年以上に調子が良さそうだし、好試合が期待できる。
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10 April 2011

春季高校野球東北大会を中止 福島は県大会取りやめ

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東北地区高校野球連盟は9日、盛岡市内で開いた東北6県の臨時理事長会議で、6月9~13日に宮城県内で予定していた春季東北地区大会の中止を決めた。

 東日本大震災で大きな被害を受け、福島第1原発での事故の影響を受ける福島県高野連が、県大会の中止を決め、宮城県高野連も中止を検討しているため。例年、春季東北大会は各県の代表3校により、18校で行われているが、東北地区高野連によると、東北大会の中止は秋も含めて初めてという。
 宮城県高野連は10日の臨時理事会で県大会中止を正式に決める。岩手県高野連は19日に結論を出す方針。青森、秋田、山形3県の高野連は予定通り県大会を行う。
 夏の甲子園を目指す各地方大会は、開催を目指すことを確認した。
 東北地区高野連の宗像治理事(福島県高野連理事長)は会議後、「『一県でも県大会ができなければ、東北大会を中止すべきだ』との考えで一致した」と述べ、「置かれている状況を考えれば、部員にとって我慢も勉強だと思う。夏の大会を運営できるよう努力していきたい」と話した。

河北新報コルネット 2011年04月10日日曜日



*このような未曾有の大災害に直面するのは、東北球界始まって以来のことです。長らく更新を中断しました。言葉が出て来ません。

今回の中止は英断だと思いますが、一日も早く球児たちが全力プレーできる日が来ることを願っています。この春季大会の中止を補うような特別な大会を、夏の予選終了後でも、今年の現役3年生には与えるくらいの関係各位の懐の深さが欲しいと思います。野球がやれる選手は、野球で倒れるくらいのいい思い出を作って欲しいと思います。

復興の足音と、球児に対する大声援が、街に甲高く響く日を期待して止みません。

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15 February 2011

古高激闘の記録(4) 古川ー佐沼(平成元年)2/14/11

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第71回高校野球選手権宮城大会 二回戦(平成元年)

古川 010 000 000 |1
佐沼 001 100 00X |2

平成元年の初戦(二回戦)は、伝統の佐沼高校との対戦となった。実は伝統ある古高ー佐沼両校の夏の大会はこれが初めてなのである。しかもこの翌年も佐沼戦と立て続けに2年死闘を繰り返すことになるのだが・・・。



佐沼高校の左腕・冨士原と捕手・金野(志津川ー松島高校監督、現佐沼高校)は中体連の優勝バッテリーで、高校でも1年からバッテリーを組み経験豊富。最終学年でも秋季県大会ベスト4、春季県大会もベスト4、第4シードとしてこの夏の大会を迎えた。

対する古高は、2年生中心の若いチームながらこのシーズン22戦のチーム打率が.380という切れ目のない打線を誇っていた。また、春季県大会ベスト16で仙台育英に大敗したあと(10-3)、エース石ヶ森は外角カーブのコントロールに磨きをかけ、直前の練習試合でノーヒットノーランを記録するなど、波に乗っていた。

長年チームを率いた沼倉監督は過労で入院、代役として昭和46年東北大会準優勝時のサードで慶応義塾大学で活躍した佐々木監督とともに、打倒佐沼を目指して最後の練習を積んでいた。

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28 January 2011

大館鳳鳴、初出場おめでとう

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雪の中で届いた初の朗報 21世紀枠・大館鳳鳴(秋田) asahi.com


大館鳳鳴は1899年の創部以来、春夏を通じて初めての出場となる。午後3時半、選手たちは雪の舞う中、校舎の正面玄関前で高橋校長から朗報を聞いた。その後、円陣を組み、「鳳鳴! 鳳鳴!」と喜びの声を上げた。 例年、冬場は基礎体力づくりに力を入れるが、今冬は12月中旬に21世紀枠の推薦校に選ばれたため、選抜大会への出場を視野に実戦練習もしてきた。斉藤監督は「ほかの出場校の投手の速球や、選手たちのスイングの速さは自分たち以上だと思う。しかし、相手に合わせたり、物おじしたりせず、一戦一戦を大事にしたい」と語った。小貫主将は「うれしい気持ち半分、信じられない気持ち半分。大観衆にのまれることなく、自分たちのできるプレーを、一つずつ積み重ねていきたい」と話した。


大館鳳鳴高校おめでとうございます。念願の甲子園初出場を果たしました。秋季秋田県大会優勝ですから立派なものです。また、徳島の伝統校・城南高校も初出場を果たしました。古川高校も同じような甲子園未経験の伝統校ですから、いい刺激になったことと思います。いつか雪の中で「古高!古高!」と叫んでみたいですね!いやそのうち絶対来ますよ。がんばれ古高!

大館鳳鳴高校 明治31年(1898)の創立、明治32年(1899)創部。 2011年甲子園初出場。
徳島城南高校 明治 8年(1875)の創立 明治31年(1898)創部。 2011年甲子園初出場。
古川高校    明治30年(1897)の創立、大正10年(1921)創部。 甲子園出場経験無し。


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16 January 2011

投稿「OBの声」1

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補足:


昭和56年は、準々決勝まで進出しました。東北高校相手に、相手打線がスクイズでしか攻められないまでに善戦、また、相手の3投手を引き出しましたが、惜しくも敗退しました。

氏家投手のがんばりと、伊藤主将の妥協してこなかったの言葉が、すべてです。

S58年卒業、野球部OBです。
今は、北海道で、野球をやっています。ファイターズの応援をしています。北海道在住20年。

白河の関を越えて、津軽海峡を渡るすべてを体感しています。
野球発祥の地のひとつとされるこの地を実感しています。

「妥協しない」と目標と楽しむことが、甲子園への道だと思います。
冬にも、野球するのが、回答だと思います。

ここ、北海道では、冬に野球するために工夫しています。
長い目でみたら、冬の筋トレもいいですが、どうやって、年中野球できるか、がすべてです。

そこが東北と北海道の違いだとおもいます。




金原 雅樹(昭和57年度(昭和58年3月)卒 野球部OB)


春季東北大会のメダル

春季県大会準優勝のトロフィー


*管理人より

金原先輩、投稿ありがとうございました。昭和56年夏のベスト8の結果が抜けている旨のご指摘をいただき、訂正させていただきました。その後こちらより無理を言って、当時のメダルとトロフィーを見せていただきました。これは大変貴重なものです。現役生も、このようなものを目標に是非頑張って古高旋風を巻き起こし甲子園出場を果たして欲しいと思います。

全国のOBの皆様、匿名でも構いませんので、ふるって当時の思い出や、後輩への期待を「OBの声」としてお寄せください。また、当時使用したユニフォームや新聞記事など、さまざまな資料の提供を呼びかけます。

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05 January 2011

古高グラウンドに行ってみた

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昨年末、古高グラウンドを訪ねました。だいぶ整備されたグラウンドに変貌していて驚きました。 

この上の外野の写真ですが、私が現役当時は、草で覆われていました。それでたまに草刈をするのですが、今度は刈った草を集めて捨てなければならずそれが物凄い大変でした。ひどい時は、深夜11時にようやく終えて帰ったこともあります。 



また、ブルペンもあります。





























三塁側にもベンチがあります。当時はこのどちらもありませんでした。
































それに、この照明ですが、我々の時は工事現場で使用するライト一基のみがあり、それをグランドに照らして練習後のグラウンド整備をしました。
 



当時の思い出ですが、練習終了後も1年生はグラウンド整備と用具の手入れ、及び自宅に戻ってのボールの修繕が残っていました。それで、翌日の練習でイレギュラーや用具に不備があると、恐怖の「センターダッシュ」という罰則があるわけです。 

これは、センターの最も奥(センターのネットのさらに奥のフェンス)にタッチして、ホームベースまで戻ってくる1年生だけの徒競走で、1位から抜けていくことができます。 

当時我々の同期は7人しかいませんでしたが(最終的に3年まで残ったのは5人)、私は足の早いほうでは無かったので、5~7本くらい走ることがほとんどでした。片道140mくらいある訳ですから、これがどのくらいの運動量になるか想像してみてください。 

それではじめの一本目から全力を出しても足の速い奴には勝てないので、若干手抜き気味に走るとまたそれを先輩に見抜かれ、無条件にダッシュの本数を増やされるというまさに鬼のシゴキでありました。 



それにしてもこの古高グラウンドの空を仰いで、汗を流し、声を出したものです。


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02 December 2010

古高激闘の記録(3) 古川ー東北(昭和61年)12/2/10

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(動画 )古川1回の表、2アウトから鮮やかな先制


昭和61年、第68回全国高校野球選手権宮城大会4回戦 
古川4ー5x東北。


古川 102 000 001   |4
東北 100 000 004x |5

この夏、古高は2回戦亘理戦を12-3、3回戦気仙沼西戦を8-1とともにコールドで撃破。3番千坂選手(中新田)、4番千葉選手(古川西)、5番鈴木選手(高清水)と強力なクリーンナップを誇り、4回戦、因縁の東北戦を迎えた。
その前年の秋季大会県大会で、古高は東北にサヨナラ勝ちし、東北高校の選抜出場を阻止した経緯があって”因縁の対決”。初回、2アウトから秋に2本塁打、サヨナラヒットを放った千坂選手、さらに7打席連続ヒット中の4番千葉選手を迎える。

*この試合当時、私は中学3年生であった。家のテレビでこの中継を見ていた。思い出深い一戦である。古高を受験することは決めていたが、古高の野球がどの程度のレベルなのかは知らなかった。この試合を見て、古高でもやり方さえうまくすれば、甲子園に行けるレベルにあるのではないかと思った。いや、積極的に古高野球部で野球をやってみたいと憧れたのである。
その当時は、一回戦からいろいろな放送をKHB(東日本放送)は精力的に行なっていた。このように、テレビの影響で高校野球をやりたいと憧れる少年は多いはずである。野球不人気が騒がれる中、テレビ中継が及ぼす影響というものをもう一度今の宮城県放送関係者は考えて欲しいと思う。他県の問題ではない、宮城はまだ大優勝旗がないのだ。県内の高校野球を全国トップレベルにするには、地味なテレビ中継の影響以上に大きいものは考えられない。

楽天が本拠地となって、星野監督の就任、岩村・松井メジャーリーガーの加入と、今年はさらに杜の都の野球は盛り上がりそうだ。高校野球人気との相乗効果を願ってやまない。

(動画3:06付近、東北高校ベンチ、監督の後ろで座っているのは二年生の斉藤隆(東北福祉大ー横浜ードジャースーレッドソックスーブレーブス)。東北高校時代は一塁手)


古川ー東北 その2は

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24 November 2010

重要情報 古川高校出身のプロ野球選手は2人である。

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★★重要情報★★ 

前回お知らせした伊藤春男投手ですが、間違いなく古川高校の先輩です。昭和29年に鈴木徹先輩とともに卒業、伊藤投手は毎日オリオンズに進んでいます。古高では2年からエース(写真上)、秋季大会で古高初優勝のエースでした。 

どういう理由か、選手登録はこの昭和30年の一年きりのようです。背番号は50。しかしながら、これは古高OBのプロ野球選手が2人であるという確証となりました。あわせてそれらの資料もご覧ください(中:定本・プロ野球40年、報知新聞社; 下、日本プロ野球50年史、ベースボールマガジン) 












(2018.12.6 加筆 参照ベースボールマガジン選手名鑑 伊藤春男)

https://furuko-baseball.blogspot.com/2018/12/blog-post.html

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14 November 2010

新・重要情報  伊藤春男 投手について

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新・重要情報 



昭和29年卒業のメンバーで、
鈴木徹先輩がプロ野球大洋に進んだことは以前にも書いた。 
しかしながら、この年のエースの
「伊藤春男」投手が、大毎オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に進んでいた可能性が浮上。調査します。これが本当であれば、古高出身のプロ野球選手は「2人」ということになります。 

また、幅広く情報を募集します。 

古川高 昭和29年度
部長 佐藤 亨 
監督 日野定雄 
LF 鈴木茂雄(3) 
SS 佐々木巌(3) 
P 伊藤春男(3) 
1B 鈴木 徹(3) 

2B 都築 侔(3) 
RF 大本利器(3) 
CF 今野誠勇(3) 
3B 椿本 修(2) 
C  早坂 豊(3) 
補 斎藤完弥(2) 
補 鈴木啓之(2) 
補 金沢武司郎(2) 


参考ページ↓昭和30年の背番号50が伊藤投手、卒業年が昭和29年であり、合致する。 

http://page.freett.com/tmworks/CLM55-59.htm 


(2018.12.6 加筆 参照ベースボールマガジン選手名鑑 伊藤春男)
https://furuko-baseball.blogspot.com/2018/12/blog-post.html
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23 October 2010

古高激闘の記録(2) 古川ー宮城工 10/22/10

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昭和63年度、第70回記念大会、三回戦 古川ー宮城工

この年、古川は二回戦強豪仙台工業を一番佐々木遊撃手の長打などで3-1で撃破、三回戦 宮城工業戦を迎える。この対戦は、奇しくも昭和28年度宮城県大会決勝戦のカードであり、その昭和28年は宮城工業に勝った古川が初優勝を遂げた。

古川はエース寺崎投手の粘り強い投球と堅い守備で得点を許さず、0-0のまま8回に突入。両チームに重苦しい空気が流れる。

この均衡を破ったのは主将の3番小出選手だった。小出選手は2アウト2塁の先制のチャンスから、宮城工の先発加藤投手の甘く入ってきた直球を逆わらずに右中間へライナーのヒット。宮城工業のセンターは強肩であったが、2アウトということから2走佐々木選手は迷わず三塁を回りホームへ。センターからノーバウンドのストライクの好返球が来たが、クロスプレーながら間一髪セーフ。結局この1点を寺崎投手気迫の投球で守りきり見事完封勝利。再三のピンチを好守でしのぎ、ただ一度のチャンスを確実にものにした古川に軍配が上がった。

直後の試合は東北ー気仙沼水産(現・気仙沼向洋)。米谷工業の渡辺投手を1-0で撃破し波に乗る気仙沼水産だったが、東北の鋭い打撃が一枚上手だった。5-0で東北の勝ち。
古高は、いよいよ2年前の雪辱を期すべく4回戦で東北と激突することが決定した。

*私が20代後半の時に体調を崩して田舎に帰省している時に、寺崎先輩に偶然古川の古本屋で出会った。しばらく立ち話をして別れの挨拶をし、私は自分の興味ある本探しをしていたわけだが、彼は、去り際にもう一度戻ってきて、私に一言「頑張れよ」とポンと体を叩いて去っていった。私は都会の生活に少々疲れ、言ってみれば負け犬の体で田舎に戻って来ていたのであるが、この先輩との10年ぶりの瞬時の再会が、私にあの第二グラウンドで培った負けん気を思い出させてくれたのである。私ははっきりとそれを忘れていたのであり、以後忘れることは無くなり、その結果として、何かを投げ出して田舎に帰ってくるようなことも無くなったのである。

先輩はいくつになっても頼もしく、またありがたいものである。






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27 September 2010

大館鳳鳴が横手城南破り優勝 秋季高校野球

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【大館鳳鳴―横手城南】横手城南を完封し、チームを優勝に導いた大館鳳鳴・齊藤=こまちスタジアム
 第62回秋季東北地区高校野球県大会(県高野連主催)最終日は26日、秋田市のこまちスタジアムで決勝と東北大会出場を懸けた第3代表決定戦を行った。
 決勝は、終盤に突き放した大館鳳鳴が、創部3年目で初めて決勝に進んだ横手城南を4―0で下し、19年ぶり2度目の優勝を飾った。
 横手―大曲工の第3代表決定戦は、大曲工が7―3で快勝した。
 来春のセンバツの参考資料となる東北大会は10月8~12日、山形市の蔵王タカミヤホテルズスタジアムなどで行われ、本県から大館鳳鳴、横手城南、大曲工の3校が出場する。
【こまちスタジアム】
 ▽第3代表決定戦
横  手 100 001 100|3
工 102 300 01×|7
 ▽決勝
大館鳳鳴 000 001 012|4
横手城南 000 000 000|0 


カメラ【大館鳳鳴―横手城南】横手城南を完封し、チームを優勝に導いた大館鳳鳴・齊藤=こまちスタジアム 

*古高と同様な伝統校で甲子園出場ない大館鳳鳴が優勝しました! 


参考URLはこちら。古川高校の記事もあります!!↓ 
http://www.tomboworks.co.jp/homei/ura/index.html

甲子園出場校について/小棚木 政之(鳳鳴38期)
毎年この時期になると話題になる話ですが、群馬県のnomotoさんから以下のようなメールを頂きました。良かったような、悲しいような…。nomotoさん、メールありがとうございました。両校が一日も早く出場できるよう願っております。
私は群馬県立太田高等学校の昭和61年度応援団長だったものです。  大館鳳鳴高校も旧制中学から続く伝統ある進学校と存じております。 
さて、このホームページの中に「創立100年でいまだ甲子園に出場していないのは、鳳鳴高校だけ」という趣旨の文章がありましたが、そんなことは全くありません。
私の母校、太田高校は明治30年(1897)に学校創立、明治33年(1900)に野球部創部と大変歴史のある学校ですが、旧制太田中学・太田高校を含め未だ甲子園に出場していません。群馬県内でも同時に学校を創立した富岡高校(旧制富岡中学)・藤岡高校(旧制藤岡中学)・沼田高校(旧制沼田中学)も未だ出場していません。このように旧制中学時代から100年近く経過した甲子園未出場は全国に50校以上あるはずです。(東北地方でも福島高校や安積高校・古川高校・角田高校も甲子園に出場していません) 
今年の大館鳳鳴高校野球部は秋田県内でも力があるようですので、ぜひ悲願の甲子園出場を目指してがんばってください。太田高校もがんばります。


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25 September 2010

延長18回戦った箕島―星稜OB、甲子園で再戦

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*この話題は古高には直接関係ないが、個人的にこの試合が印象に残っているもんで敬意を表して投稿しておきます。

尾藤監督の野球、好きでした。早く元気になってほしいものです。

延長18回戦った箕島―星稜OB、甲子園で再戦 (asahi.com)



第61回全国高校野球選手権大会(1979年)で、延長18回の熱戦を繰り広げた星稜(石川)―箕島(和歌山)戦に出場した選手が23日、31年ぶりに兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で再戦した。当時監督の箕島・尾藤公さん(67)、星稜・山下智茂さん(65)がベンチで声援を送る中、雨で開始が約1時間遅れた試合は、星稜が17―13で雪辱した。星稜―箕島のOBによる再戦で、箕島元監督の尾藤公さん(前列右から4人目)を囲み、記念撮影がおこなわれた=23日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場、伊藤恵里奈撮影

両校は79年8月16日の3回戦で対戦。箕島が延長で2度のリードを許しながらも本塁打で追いつき、18回にサヨナラ勝ちした。過去2回再戦したが甲子園では初めて。延長18回を投げ抜いた箕島のエース石井毅さん(49)は「マウンドの雰囲気は昔と変わってない。あの時を思い出した」と話した。
がんと闘病中で車いすに乗った尾藤さんは「甲子園は心のふるさと。うれしくて楽しい気持ちになった」と何度も涙をぬぐい、山下さんは「早く元気になってもらい、甲子園で一緒に若手を育成したい」とエールを送った。両校は今後も交流は続けるが、試合は今回が最後という。

星稜―箕島のOBによる再戦で、箕島元監督の尾藤公さん(前列右から4人目)を囲み、記念撮影がおこなわれた=23日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場、伊藤恵里奈撮影


試合後、握手を交わす箕島高と星稜高の野球部のOBたち=23日午後、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場、伊藤恵里奈撮影
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24 September 2010

48回目の秋季県大会(修正後再投稿)

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今年の秋季大会は第63回目。その中で古川高校は東北高校(57)、仙台育英学園高校(50)に次ぐ、第三位の記録である48回目の出場である。夏に古高と2回試合をした塩釜高校の30年ぶりの出場が光る。

(宮城県高野連HPより)

地区
学校名

出場回数
南部地区
東北工業大学高等学校
第1代表
6回目〔2年連続〕
宮城県農業高等学校
第2代表
26回目〔3年連続〕
宮城県仙台西高等学校
7回目〔3年連続〕
宮城県角田高等学校
 
13回目〔3年ぶり〕
宮城県大河原商業高等学校
 
34回目〔2年ぶり〕
宮城県名取北高等学校
 
7回目〔2年ぶり〕
中部地区
仙台育英学園高等学校
第1代表
50回目〔7年連続〕
東北高等学校
第2代表
57回目〔2年連続〕
聖和学園高等学校
 
5回目〔2年連続〕
仙台市立仙台高等学校
 
8回目〔8年ぶり〕
宮城県仙台第三高等学校
 
23回目〔2年ぶり〕
宮城県塩釜高等学校
 
7回目〔30年ぶり〕
仙台市立仙台商業高等学校
41回目〔2年連続〕
東部地区
東陵高等学校
第1代表
25回目〔15年連続〕
宮城県石巻工業高等学校
第2代表
33回目〔3年連続〕
宮城県気仙沼高等学校
 
37回目〔2年連続〕
宮城県水産高等学校
 
20回目〔2年ぶり〕
宮城県気仙沼向洋高等学校
 
21回目〔7年連続〕
宮城県石巻西高等学校
 
7回目〔3年ぶり〕
北部地区
宮城県利府高等学校
第1代表
23回目〔4年連続〕
古川学園高等学校
第2代表
33回目〔6年連続〕
大崎中央高等学校
 
9回目〔7年連続〕
宮城県小牛田農林高等学校
 
23回目〔6年ぶり〕
宮城県古川工業高等学校
 
45回目〔2年ぶり〕
宮城県古川高等学校
 
48回目〔3年ぶり〕

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