行くぞ甲子園


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04 May 2013

試合 「負けて目覚める」

宮城県高校野球春季地区大会

【北部地区】5/3試合結果



〈敗者復活ブロック準決勝〉
一迫商業 14 古川工業(8回C
迫桜 10 古川学園(5回C
小牛田農林 岩ヶ崎(7回C
築館 古川(7回C



*残念な結果。試合である以上こういうこともある。特に高校野球の場合、試合の流れというものが勝敗を左右しやすい。この流れが悪くなった時には即座に食い止める必要がある。この時に頼れるのは、十分な練習をしてきたという自信だけなのである。
敗れてここから何かを感じ、学ばねばならぬ。悔しさを「感じる」ことだ。
これは実は結構簡単ではないのである。
「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚める事が最上の道だ」 
(戦艦大和の最期、臼淵大尉の言葉。)


自身の現役時代をふまえ、少し反省というか、こうすれば良かったなと思うことを書こう。期待しないチームには何も言葉は無い。厳しい言葉が外野から来るのもまた期待の裏返しだ。東北や仙台育英は、県内の公立校には勝って当たり前のプレッシャーの中で監督も選手もやっているのである。そういうチームに勝つには一体どうすればいいのか?
練習というのは、ただ練習すればうまくなるのではない。長く苦しい練習をすればうまくなるというものでもないのである。たとえば打撃練習だが、ただ来るボールをいい当たりをすればいいでは何の進歩も無い。ここのコースは流せるか、ここは強く引っ張れるか、エンドランのサインが出てるとして、ここは右方向へゴロを強く打てるか、等を考えて練習しなければならない。
どの程度の力でボールはどこまで飛ぶのかを知ることも重要なことである。あまり力が入ってなかったが、ライナーで外野の頭の上を超えて行った等と経験したことがないだろうか。当てただけでも金属バットならば結構ボールは飛んで行くのである。2ストライクと追い込まれたら、ジャスト・ミートを心がけるべきだ。ジャスト・ミートという言葉の意味をもう一度確認しておこう。just (ただ、)meet (会う、当てる)。どの程度の力で内野の間を鋭く抜いて行けるのか、それを知るのが普段の練習である。何を知る必要があるかを書き出してみることだ。ランナーに出た時のリードはどこまで可能か?どうやったらもう一歩リードを出来るか、などそれらを確認していくのがふだんの練習なのである。野球は常に頭を使わなくてはならない。
考えて練習して来たチームには最終的に勝てない。
考えて練習して来たチームは短期間で見違えるような結果を残すだろう。
同じ高校生である。
古高の夏へ向けての奮起を期待しよう。
(以上、おっさんのぼやき)




1 comment:

  1. あくまでも、1973年卒業OBの感想です。

    本当にやりたいことは野球問わず、成果となります。

    結果は、いつになるかわかりません。

    自分は、野球でたまたま1970年~1973に味わえました。
    そして、今でも、変わらず、同じように野球で、味わって
    います。

    当時は、事前に陸上部長距離走に誘いがありました。
    (その前は、育英からもありました。)

    でも、高校に入って、同じ野球部員がマラソン大会で、
    6位入賞の自分より上に2名が入りました。

    当時の陸上部に、自分を含めて野球部員3名が入って
    いたら、駅伝で東北大会に出られるタイムでした。

    野球で、3年の春季とはいえ、東北大会に出られたし、
    2年生の時には、夏に準々決勝までいけたし、よかった
    です。



    やりたいと思えば、何でもできるものです。

    本能で判断すればいいのです。





    とは言っても、当然苦難は多々あります。



    やりたいことをするのは、今でも苦難です。

    そんな中で一番、苦しかったのは、高校1年の夏から
    2年の春まででした。



    部員12名で、敗北した県大会前の秋の地区予選です。

    早くて長い冬シーズンでした。



    早々に負けて、文化祭に参加できてよかった気がして
    いましたが、その後、地獄でした。

    長い、期間も、時間もと。

    夏と同じく、帰宅は21時くらいでした。


    当時主将だった「妥協しない」の一言の信念がすべて
    でいた。


    「妥協しない」こと、高校1年間だけでも試してみては
    いいのではないかと感じました。


    夏の準々決勝進出、定期戦での延長サヨナラ勝ちと肝心な
    ところで勝ちました。



    準々決勝進出を決めた試合後、帰りのバスの周りには、
    OBなどたくさんの人が
    あふれて取り囲み、たいへんなことになったのを覚えて
    います。

    同級生、予備校生、大学生、社会人のOBの多さにびっくり
    しました。

    歓声もあがりびっくりです。



    OBのさとう宗幸が、地元のラジオで、後輩たちはがんばった
    と語ったようです。





    そして、すごく長い夏でもありました。



    第一試合で前泊した一回戦から始まって、雨で当日順延が3回くらいありました。

    球場までバスで1時間半、トンボ帰りが3回でした。



    4回戦やって、その後の準々決勝は一試合目で、前日移動でのんびりと汽車で

    移動した記憶が懐かしいです。(多分バスの費用も尽きたのでしょうね)

    (1回戦は前日移動、2~3回戦の間は、3回トンボ帰り、準々決勝は前日移動)

    本能でやりたいことをやっていれば、いいのだと想い出しました。


    そして、「妥協しない」気持ち、ひとつだと実感しています。

    ものごと何でも、どんな時でも、必ず、一瞬、緩みます。


    「妥協しない」ことを高校の1年間だけでも通すことが、
    支えになりましたし、支えになっています。


    いろんな意味で。

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