行くぞ甲子園

東北大会ベスト4記念タオル

女川で伝え続ける東日本大震災

夏に向けて燃えろ 蛍雪健児


71’秋季東北大会 準々決勝 古川対秋田修英(速報中)

71’秋季東北大会 古川対弘前東(速報中)*古高、歴史的勝利!!!!!

決勝 対仙台育英 試合前

決勝 古川 対 仙台育英 (速報中)

決勝戦さくらしんちゃんさん動画

準決勝 試合開始(速報中)古川高校の勝利 東北大会出場決定!!!!!!!

準々決勝 速報中 古川 vs 東北 古高逆転!!スクイズで4点目!!古高勝利!!

古高激闘の記録

Baseball mechanics

星合愛人と古高校歌

古川、57年ぶり東北大会出場 文武両道球児 夢に挑む(河北新報)

古高激闘の記録3 古川ー東北(昭和61年)

沼倉先生語録

古高激闘の記録10 古川ー東北 (2)(昭和61年)

古川高校の歴史

古高野球部栄光の歴史と紹介
記録室 and 資料館

MLB mechanics

古高野球部関係記事

ダルビッシュ本熟読の鈴木が好投 古川、春準V・柴田を撃破!(スポーツ報知)

野球部の歴史と応援歌の由来 (古中古高百年史より)

「自分の命は自分で守って」子どもたちに震災語り続ける (朝日新聞)

古高激闘の記録2 古川ー宮城工

昭和26年 古川高校 初優勝




1927(昭和2年)東北中等学校野球大会記(古中古高百年史より)

ベースボールマガジン増刊 昭和30年3月

新入生への部活紹介の思い出∙Hさんの謎

古高激闘の記録4 古川-佐沼(平成元年)

第66回春季宮城県大会 準々決勝 古川ー仙台育英

古高野球部の父、吉野作造

昭和61年度 選手権宮城大会総集編

幸福のかたち: 3.11後の選択

ぐるっと東北母校をたずねる 古川高

古高激闘の記録19 古川対一迫商(H15)

古高激闘の記録20 古川対東北(S63)
古高グラウンドに行ってみた

Gamesmanshipとは何か?

桐蔭学園 大塚喜代美投手
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18 January 2013
04 January 2013
田村選手の記事、朝日新聞全国版に載る。1/3/13
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*このブログでもたびたびお伝えして来た野球部OBの田村健太選手とそのご両親の記事が昨年末の朝日新聞の全国版に掲載されたのでここにお伝えする。
朝日新聞2012年12月29日 朝刊
http://www.asahi.com/national/intro/TKY201212280848.html
年の瀬に2012 被災地から 上
健太は生きる ミットとともに
男の子が生まれたら野球をやらせたい。それが父、田村孝行さん(52)の夢だった。
長男、健太さんが野球を始めたのは小学校の頃だ。守備位置は捕手。父の母校、宮城県立古川高校へ入学し、そこの野球部でも捕手だった。
同級生には頼もしい存在だった。足腰を痛めて退部を考えた友に「来たらいいべや」と強く明るく言うこともあった。友はマネージャーとして復帰した。
だが、当時、自分も腰を痛めていた。2年生の年の瀬、実業団や大学の選手も通うという整体師を頼った。「失敗すれば野球ができなくなる」と父が諭しても聞かず、荒療治に臨んだ。
翌日、立てなくなった息子を見て、父は「もう野球はできない」と思った。だが、「あきらめる」とは言わず、黙って歩く練習を始めた。年が明け、考えぬいたように父に言った。これまでより高級なミットがほしいと。審判員の資格をもち野球に通じた父は、最後の夏にかける息子の覚悟を理解した。仙台市の店へ一緒に買いに行った。
そのミットを手に挑んだ3年の夏の宮城大会。古川高は8強入りを果たした。
息子が繰り返したガッツポーズが父の脳裏に焼き付いている。野球を始めてから4個目のミット。それが最後のミットになった。
健太さんは大学卒業後、地元の七十七銀行に就職した。
昨年3月11日は宮城県女川町の支店で勤務していた。地震後、支店長ら12人と共に2階建ての支店屋上に避難し、津波で流された。25歳。翌週、恋人を両親に紹介する予定だった。
父と母弘美さん(50)は浜を歩き、捜しつづけた。野球部の仲間も仕事の合間を縫い、捜索に加わった。海で見つかったのは9月26日だ。
「なぜ高台へ避難しなかったのか」「守ってあげられなくて、ごめんね、ごめんね」。
息子がいない現実を受け止められず、遺骨は今も同県大崎市の自宅の祭壇にある。
なぜ親が子どもの墓を、と繰り返し思う。
それでも、今年の夏、父は、親類が眠る近所の石雲寺に墓所を決めた。80歳の和尚が、息子の霊を慰め、両親も慰めるために作ってくれた七言絶句の漢詩を墓碑に刻むことにした。
お墓をさみしい場所にしたくない。みんなが集える場所にしたい。父はそう考え、思いついた。「健太にミットを持たせたい」
石材店が、山形県の川崎町に暮らす彫刻家、平泉正司さん(53)を紹介してくれた。
9月22日、両親は平泉さんを工房に訪ね、息子のミットとボールを預けた。
5日後、平泉さんからメールが届いた。「四国の庵治(あじ)石を使います。最高級の石です」。その後も経過報告と写真が来た。ほこりをかぶらないようガラスケースに入れられたミットの写真もあった。
11月17日、再び工房を訪ねた。母が声を上げた。「そのまんまだ・・・・・・」。
ボールをはさんだミット。縫い目まで再現された石の彫刻だ。「息子が一番喜びます」。笑いながら涙がほおを伝う。父は「休みの日はお墓へ掃除に行くようになると思います」と言いながら、石のミットをなでた。
10日後、完成品の写真が届いた。薄茶色に染められ内側には黒い色づけ。使い込んだ跡だ。「健太さんの歴史を刻むことができたら」と平泉さんはメールに書いた。
ミットは墓の右側に備えつける。「ミットと共に健太は生き続ける」。そう父は願う。
来年の三回忌。みんなが集まれる土曜日に納骨を行う。
野球部の仲間も集う。
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朝日新聞2012年12月29日 朝刊
http://www.asahi.com/national/intro/TKY201212280848.html
年の瀬に2012 被災地から 上
健太は生きる ミットとともに
男の子が生まれたら野球をやらせたい。それが父、田村孝行さん(52)の夢だった。
長男、健太さんが野球を始めたのは小学校の頃だ。守備位置は捕手。父の母校、宮城県立古川高校へ入学し、そこの野球部でも捕手だった。
同級生には頼もしい存在だった。足腰を痛めて退部を考えた友に「来たらいいべや」と強く明るく言うこともあった。友はマネージャーとして復帰した。
だが、当時、自分も腰を痛めていた。2年生の年の瀬、実業団や大学の選手も通うという整体師を頼った。「失敗すれば野球ができなくなる」と父が諭しても聞かず、荒療治に臨んだ。
翌日、立てなくなった息子を見て、父は「もう野球はできない」と思った。だが、「あきらめる」とは言わず、黙って歩く練習を始めた。年が明け、考えぬいたように父に言った。これまでより高級なミットがほしいと。審判員の資格をもち野球に通じた父は、最後の夏にかける息子の覚悟を理解した。仙台市の店へ一緒に買いに行った。
そのミットを手に挑んだ3年の夏の宮城大会。古川高は8強入りを果たした。
息子が繰り返したガッツポーズが父の脳裏に焼き付いている。野球を始めてから4個目のミット。それが最後のミットになった。
健太さんは大学卒業後、地元の七十七銀行に就職した。
昨年3月11日は宮城県女川町の支店で勤務していた。地震後、支店長ら12人と共に2階建ての支店屋上に避難し、津波で流された。25歳。翌週、恋人を両親に紹介する予定だった。
父と母弘美さん(50)は浜を歩き、捜しつづけた。野球部の仲間も仕事の合間を縫い、捜索に加わった。海で見つかったのは9月26日だ。
「なぜ高台へ避難しなかったのか」「守ってあげられなくて、ごめんね、ごめんね」。
息子がいない現実を受け止められず、遺骨は今も同県大崎市の自宅の祭壇にある。
なぜ親が子どもの墓を、と繰り返し思う。
それでも、今年の夏、父は、親類が眠る近所の石雲寺に墓所を決めた。80歳の和尚が、息子の霊を慰め、両親も慰めるために作ってくれた七言絶句の漢詩を墓碑に刻むことにした。
お墓をさみしい場所にしたくない。みんなが集える場所にしたい。父はそう考え、思いついた。「健太にミットを持たせたい」
石材店が、山形県の川崎町に暮らす彫刻家、平泉正司さん(53)を紹介してくれた。
9月22日、両親は平泉さんを工房に訪ね、息子のミットとボールを預けた。
5日後、平泉さんからメールが届いた。「四国の庵治(あじ)石を使います。最高級の石です」。その後も経過報告と写真が来た。ほこりをかぶらないようガラスケースに入れられたミットの写真もあった。
11月17日、再び工房を訪ねた。母が声を上げた。「そのまんまだ・・・・・・」。
ボールをはさんだミット。縫い目まで再現された石の彫刻だ。「息子が一番喜びます」。笑いながら涙がほおを伝う。父は「休みの日はお墓へ掃除に行くようになると思います」と言いながら、石のミットをなでた。
10日後、完成品の写真が届いた。薄茶色に染められ内側には黒い色づけ。使い込んだ跡だ。「健太さんの歴史を刻むことができたら」と平泉さんはメールに書いた。
ミットは墓の右側に備えつける。「ミットと共に健太は生き続ける」。そう父は願う。
来年の三回忌。みんなが集まれる土曜日に納骨を行う。
野球部の仲間も集う。
(小野智美)
東日本大震災から2年目の年が暮れようとしている。失った家族をおもいながら、前を向く人たちの物語を3回にわたり伝える。
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