古川高校の歴史

祝 創立120周年

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校歌

作詞 星合愛人 作曲 田村虎蔵
一、
心の琴の絃も張る 春は万朶の花の雲
胸の思いも澄みわたる 秋は黄金の稲の波
つきぬ眺望の大崎に 基礎を置ける教の舎
二、
嵐をやどす栗駒や 雲井に晴るる船ヶ岳
晴に曇にゆるぎなく 空を凌ぎて立つを見よ
高きを慕ふわが胸の 理想の影とよそふべく

三、
緑を染めて溶々と はしる荒雄や鳴瀬川
『学の道にすすむ身の 鑑は我』と囁くか
日夜に行てたゆみなく 果ははてなき大海に

四、
其水長く山高き 我が東北の大原野
気の秀麗を身に受けて 健児空しくやむべきか
青春今を盛にて 我が胸躍り我が血湧く

1910年(明治43年)4月制定作詞は国語・英語担当の星合愛人教諭、作曲は東京音楽学校田村虎蔵教授であった。田村教授は「花坂爺」「金太郎」「牛若丸」「浦島太郎」などの幼年唱歌の作曲家として有名。
(確認は昭和42年、七〇周年の資料収集において)



図南歌


作詞 西山静、菅野又雄  作曲 藤井清

一、
船形おろしの雪消えて 大崎原頭かすみひき
花らんまんの春来れば 紅燃ゆる胸の血を
青春の意気もて包みつつ 多感の遊子は去り行きぬ
ああ心のふるさとなつかしの母校
二、
千古の秀峰栗駒を 朝な夕なに仰ぎつつ
びょうたる西風身に受けて 三つ歳ここに鍛えたる
鉄腕熱血生気満ち 学びの校舎を巣立つ時
ああ猛者の眼につゆ宿る

古川高校の第二校歌とも言われている図南歌は、歌詞からもわかるように卒業にあたって母校を去る寂しさと未来への希望とを歌ったものである。中学42回卒業の級友たちの間で、卒業の記念として分散歌を作ることになり、西山静、菅野又雄両氏が作詞を引き受け、作曲は物理担当の藤井清教諭に依頼し、1942年(昭和17年)秋頃完成した。後年、生徒間に評判よく後輩へと受け継がれ、卒業後OBが同窓会などで母校への万感の思いを込めて歌われるようになる。(確認は平成9年、百周年に当たって野村喜太郎同窓会長より)


凱歌


作詞 佐藤公哉 作曲 庄司芳武

一、
我らの夢は古高の
庭に芽生えて育ちゆく
鍛えにきたえ今ここに
勝利輝き意気高し
母校の栄誉守り得つ
古高古高我等は勝てり

二、
螢に雪は古高の
我ら希望の旗じるし
決意新たに励みきて
勝利再び我が胸に
闘魂燃やし戦わん
古高古高我等が選手


古高の本領

一、
万朶の桜か襟の章
花は古高に嵐吹く
古高生となったれば
○高戦の花と散れ
※ソレ勝つぞ勝つぞ古高
二、
尺余の太鼓を打ち叩き
紫の旗高く上げ
知らずやここに八十年
鍛え競いし古高魂
※繰り返し

三、
船形山を突破せし
歴史は古く雪白し
○高戦の活動は
古高生の花と散れ
※繰り返し

四、
退くことは我知らず
見よや閃くこの旗を
古高の戦は攻撃で
敵を怯ませその隙に
※繰り返し

五、
前進前進又前進
肉声轟く所まで
我が古高の勝敗は
攻撃最後の数分時
※繰り返し

六、
古高の本領ここにあり
あな勇ましの我が選手
会心の友よ時は今
共に励まん我が任務
※繰り返し



野球部の歌

1.立てよいざ立て我が友よ
戦わんかな時至る
正義の楯に赤熱の
血潮たばしる我等がナイン

2.彼に孫呉の術あらば
我に竜虎の智勇あり
戦の庭の花吹雪
散らさで敵を帰すべき




1 古高の歴史と伝統


創立………  1897(明治30)年
校風……… 質実剛健、学問尊重、自主自律


2  学校沿革


明治30年(1897)4月1日 創  立
明治30年(1897)5月3日 開  校
昭和23年(1948)4月1日 高等学校移行
平成17年(2005)4月1日 男女共学化


蛍雪章について




創立当時は「中」の字だけでしたが、校名が宮城県古川中学校と改名された時(大正8年)に、「中」の字を稲穂の中に入れた校章(図1)になりました。
昭和23年、宮城県古川高等学校と改められるに至り、蛍雪章(図2)が校章となりました。
この蛍雪章の歴史は古く、大正末期にその端を発しています。
中国・晋の車胤が蛍の光で、また孫康が雪の明かりで書を読み、乏しきを憂えず、孜々として勉め励み、蛍雪の功空しからずという故事によるものです。1年間の皆勤者には、銅製6角形に蛍雪を表した襟章(図3)を授け、2年以上の皆勤者には純銀製の襟章を授けて、その功を讃えました。また、学友会功労賞も同じようにこの形が用いられており、本校卒業生にとってなじみ深いものです。