*東北高校前監督の佐藤洋氏が急性大動脈解離で急逝したとのこと。監督を退任したばかりで突然の訃報に驚いている。佐藤氏は、坊主制度を廃止したり、自分をひろしさんと呼ばせ、選手と対等の目線で名門東北高校の復活に取り組み、久しぶりの甲子園出場も果たした。常に仙台育英と好試合を展開、宮城の高校野球ファンを魅了していた。筆者が思い出すのは、甲子園の塁上で選手が「ペッパーミル」の動きを見せた時に、審判が意味不明に注意、試合後「子供が楽しんでいるのになぜ大人がとめるのか?」と敢然と疑義を呈したことである。これは普通に考えればまったくの正論であり、戦前から続く旧態依然とした日本の高校野球の権威主義的な文化に追従するのではなく、反旗を翻す稀有な素晴らしい指導者とみなしていただけに、誠に残念でならない。心より御冥福をお祈り申し上げます。
【巨人】OBで前東北高監督の佐藤洋さんが急逝 同期入団の宮本和知さんが絶句「つらいですね」(スポーツ報知)
巨人は28日、球団OBの佐藤洋(さとう・ひろし)さんが27日2時26分に、さいたま市内の病院で急性大動脈解離のため死去したと発表した。63歳だった。
佐藤さんは東北高、電電東北を経て84年ドラフト4位で巨人入団。入団後に捕手から内野手に転向し、通算97試合に出場して打率2割5分4厘、1本塁打。巨人で94年までプレーした。
22年からは母校の東北高野球部監督に就任し、23年のセンバツに出場して春の甲子園で指揮をとった。今年8月に退任したことが発表されていた。
元投手で巨人女子チームの宮本和知監督は川崎製鉄水島から84年ドラフト3位で巨人に指名され、佐藤さんとは同期入団。年齢は佐藤さんが1学年先輩だった。
急な訃報(ふほう)を受け、宮本さんは絶句。「東北高校で、監督をされていて。私も監督をやっていますから、今度指導者のことをいろいろと教わろうと思っていたので。ビックリしています。同期入団で佐藤さんはキャッチャーだったので、よく受けてもらいました。1球1球アドバイスしてくれて。ドラフト同期で一番、年齢が上だったので。兄貴的な存在でした。我々の年代の方がこうやって亡くなるのはつらいですね」と言葉を詰まらせた。
元巨人の佐藤洋氏が急死、63歳 今年7月まで母校の宮城・東北高の監督務める(日刊スポーツ)
元巨人で、今年7月まで母校である宮城・東北高の監督を務めた佐藤洋氏が急死していたことが28日、わかった。63歳だった。
佐藤氏は東北で春夏通算4度、甲子園に出場。卒業後は電電東北(現東北マークス)でプレーし、84年ドラフト4位で巨人に入団した。内外野をこなすユーティリティーとして97試合に出場し、通算2割5分4厘。94年を最後に引退後は、アマ野球の指導などを行ってきた。22年8月1日付で東北の監督に就任。翌年には12年ぶりとなるセンバツ出場を果たした。丸刈りを廃止し、真夏の練習ではTシャツ、短パンを認めるなど、高校野球界に新たな風を吹き込んだ。













































