記録室 and 資料館


記録室 and 資料館
伝統の古高野球部の激戦を創立時から記録していきます。




(◎は夏の甲子園予選)


全国中・高等学校野球選手権 宮城大会


◎第1回 大正4年

◎第2回 大正5年 築館中学、佐沼中学が初参加

・・・


◎第7回 大正10年 古中(古高)野球部 創設

◎第9回 大正12年 一回戦 東北中17-1古中

*つまり、古高の初の対戦相手は、東北高校だったことになる。


南光学園東北高校
東北高等学校の校章は二つの正方形を交互に重ねた図案の中に桜を描き、「東北」という校名を刻したものになっています。刻された文字は仙台数学院時代の「数」、東北中学校時代の「東中」と変化してきましたが、桜をあしらった図案は創立以来、今日まて変わっていません。
「方重ナリテ円ヲナス」―正方形を二つずらして重ねたデザインの本意は、二つの正方形を少しづつずらしながら重ねていけば、やがては丸い円になる。つまり、「未熟で角の多い個性といえど、多くの努力を重ねれば必ず角のない円満な人格に成長する」という、個性を独りよがりと思い違いすることへの戒めが隠されているのである。創設者上野清先生の数学者らしい発想で、今なお斬新で素晴らしいロゴ・アート(美術的表章)なのだ、と自慢してよかろう。
(東北高等学校100年校史より抜粋)


東北高等学校 校歌
作詞/土井晩翠:作曲/福井文彦

三百余年名君の薫伝ふる青葉城はるかに向ふ小松島我等の校舎立つ処
正しく強く明朗に日々の課業を怠らず士魂商才相兼ねて励まざらめやああ健児
金鉄堅く身を鍛ひ心を練りて紅頬の望みゆたかに青春の脈摶高く一斉に

東北高校は野球の名門であり、今更書くまでもないが、元横浜ーマリナーズの佐々木主浩や日本ハムーレンジャーズのダルビッシュ有など多数のプロ野球選手を輩出している。






◎第11回 大正14年 一回戦 東北学院中17-8古中

◎第13回 昭和2年 一回戦 福島師範7-0古中


◎第15回 昭和4年 一回戦 相馬中21-2古中

◎第16回 昭和5年 一回戦 盛岡商13-3古中

*以前古高未勝利。 他県勢への大敗が目立つ。

◎第17回 昭和6年 一回戦 古中6-3宮城水産


おそらく、これが古中(古高の夏初勝利と思われます。
相手は宮城水産。


宮城水産








明治29年 牡鹿郡簡易水産学校として認可
明治30年 牡鹿郡簡易水産学校として開校
明治41年 宮城県立水産学校始業式・新校舎落成式及び開校式を挙行。この日をもって開校記念日と定める 

プロ野球選手 阿部良男(西鉄ー阪神)

HPより。明治41年開校、古い学校なので、古中の相手だったのは間違いないでしょう。


二回戦 仙台二中12-1古中


初勝利も2回戦敗退。まだまだ古高の苦戦は続きそうです。


◎第18回 昭和7年 一回戦 仙台二中11-4古中

*2年連続の仙台二中への苦杯ですね。




仙台二高(仙台二中)



仙台二高は明治33年の創立。古高の方が3年古い(明治30年)ということを忘れないように。
ちなみに佐沼高校は仙台二高の「登米分校」だと知ってますか?(明治35年)
どちらも伝統高です。
二高は過去3回甲子園出場(1925年、1947年(ベスト4)、1956年(ベスト8))。



一、あなたふとあなうるはし
豊栄昇る朝日の御影
そのかげをしるしとあふぐ
わがともがらはそのかげの
曇る時なくあきらけく
ともにともにいそしまむ
いざいざ怠らず



二、峰秀で水澄たり
青葉の山広瀬の流れ
たきつ瀬の清き山辺に
わがともがらは山川の
ゆるぐことなく遠ながく
ともにともにいそしまむ
いざいざ怠らず

仙台二OBのプロ野球選手 江尻慎太郎


◎第19回 昭和8年 一回戦 東北中15-6古中


*東北中の前身
明治27年 (1894) 仙台市東三番丁75番地に私立東京数学院宮城分院創設。院長上野清、幹事五十嵐豊吉、大松沢実政。校名を仙台数学院と改称
*東北中の認可・設立
明治33年 (1900) 私立東北中学校設立。五十嵐豊吉初代校長に就任。


◎第20回 昭和9年 出場なし

◎第21回 昭和10年 一回戦 仙台商業8-4古中



仙台商業




校章について


乙女を象徴するという八咫の鏡を背景に,仙台市立仙台商業高等学校が未来永劫羽ばたくように,不死鳥を中心に配置した。文字はSendai Commercialの頭文字をとってSCとした。なお,本校章の図案は仙台商業高等学校,仙台女子商業高等学校の在校生より募集し,厳正な審査の結果決定したものである。




*サンドウィッチマンの母校。夏、甲子園に3回出場している。
新しくは東海大ー巨人に行った江夏二世、荻原満投手のいた1983年の第65回大会がある。

この年、宮城大会の準優勝は仙台三高。9回ツーアウトまでノーヒットノーラン
なお、仙台商業のソックスの縞の数は甲子園に出場した回数を表している。
よって現在3本のはず。

仙台商業出身のプロ野球選手
八重樫幸雄 (ヤクルト)
加藤高康 (ロッテ)
荻原満 (巨人)


◎第22回 昭和11年 一回戦 不戦勝 二回戦 仙台商業21-3古中

*二年連続の仙台商業への敗戦。今回は大差。
どういう訳か、古高はこの2年連続同じ対戦相手に緒戦でぶつかり、敗れるという事が多い。

◎第23回 昭和12年 一回戦 仙台一中13-1古中


仙台一高


1892 明治25年 宮城県尋常中学校として開校。
古川高校
1897 明治30年 宮城県尋常中学校志田郡立分校と称し創立。

*つまり、古高は一高の弟分みたいなもんです。5年後輩です。
はい今頃知ったそこのOB(OG)、これを機にしっかり勉強しておくように。



現在の校章は本校が新制高等学校に切り替えられた昭和23年に、それまでの校章の「中」にかわり採用された。
この図案は、全校生徒から募集し、その中の優秀なものを当時の図画科の先生が手を加え出来たもので、当時の宮城校長によれば、「宮城野萩と笹(竹)は共に仙台を象徴し、萩のふくらみと竹の強さ、即ち柔と剛とを兼備する意味を持たせたもので、質実剛健な中にも豊かな情操を含んでいることを象徴したものである。」ということである。
戦後の新しい時代に、この校章と二本の白線をつけた帽子をかぶった仙台一高生は、彼らがこれまであこがれた旧制高校生のスタイルをある程度模倣し、肩にかばんを下げ、緒の太い髙足駄で通学するものが見られるようになった。

校歌

一、青葉の山の深緑 すがすがしきを心にて
身をし重んじつつましく 矩をば踰えずまもるべし

二、広瀬の川の一筋に 我が私を打ち捨てて
赤き真心ささげもち 御国のために尽くすべし



◎第24回 昭和13年 一回戦 不戦勝 二回戦 仙台二中12-0古中

◎第25回 昭和14年 (1939)データなし。
◎第26回 昭和15年 (1940)データなし。

◎第27回 昭和16年 (1941)予選を始めたが、大会自体が中止。


*この年より、日本敗戦の昭和20年まで、大会中止。よって、昭和14年から既に古中は大会に不参加だったのかもしれない。昭和14年、1939年は欧州で第二次世界大戦が始まった年であり、昭和16年、1941年は太平洋戦争に日本が突入した年である。


第28回大会は、終戦後の昭和21年に開催されることになる。



職業野球(プロ野球)でも戦争の色濃く、選手が次々と出征して行った。
対米英戦に伴い、英語の使用が禁止、巨人のユニフォームの「GIANTS」も「巨」に変更。沢村栄治は戦死。スタルヒンも須田博と改名。MVPの水原茂も出征、代わって長男が表彰を受けた。















◎第28回 昭和21年 一回戦 不戦勝 二回戦 仙台二16-1古川


*さて、戦後古高野球部の復活です。それとともに、弱小古高が県大会で勝ち始めます。


◎第29回 昭和22年 一回戦 古川11-2教習所 二回戦 石巻1-0古川


*教習所とは、なんだ?調べたら、仙台鉄道局教習所という名前で、1947年に参加した記録がある。つまり、この年ではないか。いずれにしても、古高勝ったが、石高に敗れた。


石巻高校

大正11年創立。創立84年。
石高は昭和23年 第30回全国甲子園大会に初出場している。

昭和16年校旗制定のさい,市内日和山に居城のあった奥州総奉行葛西清重の紋所「三つ柏」をもって校章とし,同23年新制高校となるに及び中央に「高」の字を配して現在に至る。柏の三葉は校訓の「真実」「自律」「友愛」を象徴するものである。 なお,大正12年の創立以来約20年間は「石中」の文字のみを校章として,「質実剛健・進取独創・自ら進運を開拓する」校風を進展させてきた。




宮城県石巻高等学校校歌
浅野正蔵 作詞
安倍  盛 作曲

一 朝潮(あさしお)の 寄する磯辺に
眉清く 我等集えり
三つ柏 葉風さやけく
仰ぎ見る 丘の青雲(あおぐも)
真実(まこと)をば 道の標(しるべ)と
心ひとすじ いそしみ行かん

二 ひんがしの 海は遙かに
希望呼ぶ 光満ちたり
伝え来(き)し 自由の風に
育むや 我等雄心(おごころ)
鰐陵(がくりょう)の その名かざして
若き生命(いのち)よ 競(きお)いて起(た)たん


三 北上の 流れ豊かに
影映す 岸の東雲(しののめ)
熱き血を 友と結びて
拓き行く 文化の潮(うしお)
とこしえの 平和祈りて
母校の栄誉(ほまれ) 輝き増さん

(昭和27年11月5日制定) 














◎第30回 昭和23年 一回戦 古川4-0栴檀(せんだん) 二回戦 古川10-6宮城工業 三回戦 仙台一9-0古川


*古高初の2勝。栴檀というは、今の大学野球の強豪・東北福祉大学の学校法人ですね。しかしながら、高校は今ありますか?記録によればこの学校は1975年に廃止だ。


http://www.tfu.ac.jp/outline/group.html

学校法人栴檀学園 栴檀学園高等学校←(東北福祉大学付属高等学校←東北福祉短期大学附属高等学校←栴檀学園高等学校←栴檀中学校←曹洞宗



宮城工業


大正 2年 2月 7日 宮城県立工業学校創立,機械科・電気科・工芸科設置,定員240名



◎第31回 昭和24年 一回戦 古川3-0登米 二回戦 古川11-2加美


*この年、ここでデータ紛失。この後どうなったのか記録なし。もしかしたら、加美(農)に負けたのかもしれないが、今後調査する。
いずれにしても、古高がそう簡単に大敗することが無くなって来ていることを物語る結果。



登米高校


大正9年4月に登米町立実科高等女学校として創立され,平成12年10月に創立80周年。現在創立90周年くらいか。




加美農業

*加美農は実は歴史古い。

明治33年 設立 郡立加美蚕業学校(中新田町)
明治34年 開校式「加美郡蚕業学校」(中新田町)
大正11年 宮城県加美農蚕学校と改称
大正12年 県に移管
現在創立110年



***調査結果判明***


昭和24年 三回戦 準々決勝 仙台一3-1古川


※つまり加美農に勝って、古川高校ベスト8 ★
なお、前年昭和23年も初のベスト8★であった。
元来、大崎地方は野球さかんなので状況さえ整えば、県では勝てるはずだ。



*前後するが、昭和24年度野球部の、新人戦(昭和23年秋、甲子園選抜予選宮城大会)の結果が判明した。


この大会は、栄えある宮城「第一回大会」だったようで、古高はベスト4★★である。ただ、この頃は、中途の試合結果が分からない。


昭和23年秋 準決勝 仙台一9-5古川 (ベスト4) ★★


そして、

昭和24年秋 準々決勝 石巻商業4-1古川 (ベスト8) ★
さらに、


昭和25年度春の県下選抜石巻大会(第一回) 優勝★★★★ 決勝 古川4-3石巻商業


である。前年の新人戦での敗戦をリベンジし、石巻大会(これは秋県大会ベスト8以上が選抜される大会)第一回大会で見事古川高校野球部は優勝を遂げているのである。

古高は、戦後の第一期黄金時代を迎えつつあった。



石巻商業


明治44年(1911)石巻町立商業補習学校とて創立
大正 6年(1917)石巻町立石巻商業学校開校        






石巻商業高校 校歌
作詞・作曲  四竈仁邇

(一)
長風浪を蹴たてゝ   
黄金白銀花と咲き   
鯨鯢のいぶく朝夕は  
見るも山かとまがふなり
この雄大の氣を鍾め  
愛づるも愉快わが庭園と

(二)
雲に聳ゆる金華山   
高き勲を世に立てむ  
清く流るゝ北上の   
川一すじの赤心を   
盡さゞらめや国の為め 
報いざらめや国のため 






◎第32回 昭和25年 選手権 一回戦 古川1-0栴檀 二回戦 古川8-5塩釜 準々決勝 宮城工11-8古川


*夏、古高3年連続の準々決勝進出。ベスト8★。 どうやら、宮城工業との打撃戦に競り負けた模様。しかしながら、この敗戦が翌年の古高初優勝への原動力になったことは間違いない。


塩釜高校

(塩釜高校とは、よく練習試合した。礼儀正しい学校であった印象がある。塩高も男子校だったが、最近共学化されたはずだ。)
昭和18年
塩竃市は市立中学校創設を決定。名称を宮城県塩竃中学校とし、敷地を塩竃市江尻7番地に定める。
塩竃市立第三国民講堂において開校式並びに入学式を挙行。同校校舎を仮校舎として教員7名、生徒108名をもって発足する。
昭和23年
学制改革により高等学校に移行し、宮城県塩釜高等学校と改名する。

校章について
昭和23年新制高校に移行されるに当たり、新気風が醸成され校章も改制されることになった。
全校生より図案を募集し、佐々木幹郎の作品が採用された。
塩釜高等学校の校章は古来より製塩を業とした塩竈にちなんで、塩の結晶体を図案化したものである


1 塩は古来より神聖で潔白なものと敬われて来ている。即ち潔白の精神を表す。
1 塩の結晶体(立方体)は何れの角度から見ても同型。即ち表裏のない人間像を表す。
1 塩の結晶体は如何に細小に砕くとも結晶体には何ら変わりはない。即ち団結を表す。
1 塩は我々の生活、さらに生命の維持に不可欠である。生徒達も又将来社会では絶対に必要性のある人間であらねばならない。
1 塩の背後にある母体なる海の力。即ち無量の包含力を表す。



昭和25年秋 一回戦 古川4-6白石


白石高校

*白石高校も古豪である。プロ野球選手を4人輩出している。新人王、本塁打王を獲得した事もあり、国鉄スワローズの監督もつとめた佐藤孝夫は白石高校OB。

白石高校は1953(昭和28)年に甲子園に出場している。



1899(明治32)年 刈田中学講習会として創立
1901(明治34)年 私立刈田中学校と改称
1903(明治36)年 郡立刈田中学校となる
1910(明治43)年 宮城県立白石中学校となる

白石の「白」をモチーフにして、大きく羽ばたく鳥を表した。校訓の「志操凛風・進取創造・自彊不息」を意識して、素晴らしい未来に向かって大きく飛躍する白石高校を図示。  (デザイン 小松秀男氏)


白石高校 校歌

作詞 長谷川精一氏
作曲 高橋百合子氏
編曲 内藤 淳一氏

一 雄々しき蔵王の峯々に
倣(なら)いて高き志操もて
凛たる風を興(おこ)しつつ
万(よろず)のすがた究(きわ)めんと
励む我等を黙(もだ)し待つ
真理の声を聴けや友

二 白石川を往く水に
世々の歩みを想いつつ
易(かわ)らぬ生命(いのち)尊きと
新たな時代(とき)の理想をば
常に求めて創造(つく)りゆく
我等の業を頌(たた)え友

三 歴史は古き益岡や
学び鍛えし先達に
蹤(つ)きて我等は進み行く
いざ眦(まなじり)を高く上げ
自彊(じきょう)息(や)まざる気概(こころ)もて
践(ふ)むべき道を望め友



昭和26年度春の石巻選抜 ベスト4★★ 準決勝 古川2-3気仙沼 



気仙沼高校

気高も昔から野球が強い印象がある。HPをみたら、タブに「気高なう」とあった。
気高は昭和37年、第44回大会に甲子園初出場を果たしている。
創立は昭和2年。
宮城県鼎が浦高等学校(女子高)の創立が大正12年。この両校が統合されて男女共学の気仙沼高校となった(平成14年)

校章について
三角形を組み合わせた図案は、気仙沼湾(鼎が浦)の「鼎」を象徴しています。この2つの「三角形」の組み合わせを統合の象徴としてとらえていきます。





いよいよお待ちかねの、
本日は2010年の組み合わせ抽選会であったし、華々しく後輩を勇気づけますか。


◎昭和26年 第33回選手権 優勝★★★★


一回戦 不戦勝 二回戦 古川6-0築館 三回戦 古川9-3宮城農 準々決勝 古川8-0柴田 準決勝 古川2-1気仙沼 決勝 古川8-2宮城工



古川高校 見事初の県代表!! 
・・・これ、現在ならここで甲子園です。古高初の甲子園
なんか、ドキドキしませんか?
しかしこの頃は意味不明にこの後東北大会があったのですね。。。
まだ一県一校制ではないのです。


東北大会 準決勝 安積3-2古川
*無念の一点差負けによる敗北・・・。
東北代表は福島商業となっているので、安積は決勝で負け。


ちなみにこの年の甲子園決勝の映像があります。平安高校vs熊谷高校。
http://www.youtube.com/watch?v=p6b3a3LlzKQ

この年の優勝は平安高校。
ここに古高が出てたと思って、また夢を大きく持ちましょう。









*この昭和26年の古高優勝にまつわる種村先輩の手記を紹介します。
(これは古高野球部の大先輩であり、在京古高同窓会の中鉢泰平様からいただいた資料です)

在京古高同窓会会報 第8号 1992.8.8

古高小史 飛び交う熱球!想い出すと血が騒ぐ
古高四回同窓生 種村雄一


40年ばかり昔の昭和26年7月27日付河北新報は、出場34校の頂点に立った我が母校を次のように報じている。


「8-2 古川高校初めての優勝
宮工と共に東北大会へ
全日高校野球選手権宮城大会6日目の26日、この大会最後を飾る決勝戦は、古川高校、宮城工業高校両チームにより快晴の宮城球場で行われた。両軍優勝旗をかけての一戦だけに両校応援団の熱狂的なエール交換の中に、定刻午後2時、球審の右手高く決戦の幕は切って落とされた。
両軍とも連勝の疲労をものともせず、善戦敢闘したが、古川高は極めて好調のスタートをし、後半宮工高も追撃したが、古川高は8回裏ダメ押しの4点をあげて押しきり、ここに古川高は30余年の野球部史上初めての県下大会で優勝の偉業をなし遂げた。栄えの優勝旗は、県高校野球連盟会長から古川高鈴木進主将の手にさん然と輝いた。」



昨今と異なり当時は県予選のあと、東北大会と云う二次予選が行われ、晴れの甲子園出場校がきめられたが、その年は福島大会で福島県4、山形県2、宮城県2計8校で競われた。古川高は緒戦で福島県大会優勝校の安積高と対戦し、武運つたなく2対3で惜敗した。結局、福島商高が晴れの代表となり甲子園では怪童中西太選手(現巨人軍打撃コーチ)を擁する高松一高と対戦して惜しくも破れている。
これら真夏の熱戦をふり返ると、忘れ得ぬ想い出はやはり県大会の準決勝戦で優勝候補随一とうたわれた強豪気仙沼高を2対1で撃破したことである。それは決勝進出とともに東北大会出場を決めた文字通り貴重な勝利であった。
「野球は投手力」と云われるように、我が主戦投手佐藤昇選手の下手投げは、まさに快刀乱麻の大健闘を見せてくれた。
今野監督、野球部長大山恒二先生、上級生の及川忠夫氏、永沼昭氏という良き指導者、良き先輩から野球を通じて学んだ情熱と努力と工夫の大切さ、それにチームワークの大切さを、社会人となってからも死守し続けてきたつもりである。
最後に、あの勝利の感激をともに分かちあったチームメイトのうち、駿足の二郷豊、強肩の佐藤義友両選手は既にこの世を去っており、若き時代の想い出を語りえないのはまことに淋しいかぎりである。



さて、再開します。


昭和26年秋 ベスト4★ 準決勝 古川0-1仙台一

昭和27年第3回県下選抜石巻大会 ベスト4★ 準決勝 古川4-6仙台二


*春季高校野球大会が開催され始めたのは昭和29年からです。よって、この時代までは石巻選抜が春季大会であった訳ですね多分。


それにしても、この時代の仙台ナンバースクール勢は強いとはいうものの、古高なかなか勝てませんね。これは何も野球に限った事ではありませんが、古高の伝統は仙台勢に追い付け追い越せ、ということでやってきとことが多いと思います。制服の私服化にしてもそうです。


仙台一高は過去3回夏の選手権に出場しています。
大正12年 第9回、昭和15年 第26回、 昭和26年 第32回大会です。
いずれも緒戦敗退で、まだ甲子園では勝利がないはずです。
一高にも頑張ってほしいですね。




◎昭和27年 第34回選手権 一回戦 不戦勝 二回戦 古川4-5仙台工

*おそらくシードになった古高だが、二回戦で仙台工業に敗れる。



仙台工業

仙台工業は強豪中の強豪ですよね。しかし仙台工業にして甲子園経験無し。準優勝は何回かあると思います。昭和61年は決勝で仙台育英に僅差で惜しくも敗れています。
スカイブルーのユニフォームが懐かしいですが、ここも今ユニフォームの柄が変わったと思います。

明治29年 授業開始
明治30年 開校式 ですので、非常に歴史のある学校です。古高とほぼ同期ですね。

校章の精神
本校の校章は歯車を型どり、三つの歯車はそれぞれ「友愛」・「協調」・「勤勉」を象徴しています。
三つの歯車は三者一体となり、真理探究を目指す積極精神をあらわしています。

校歌  作詞 扇畑忠雄  作曲 福井文彦

一 空 濶 ( ひろ ) く 清い風
蔵王は遠く 夢を呼ぶ
創造の 胸おおらかに
友愛の 誓いを固く
ここに学んで 人と為る
風の光  生命 ( いのち ) の調べ

二 海晴れて しぶく波
太平洋の 声を聞く
建設の 想あたらしく
協調の 心を深く
ここに努めて 業を成す
波のひびき 科学の力

三  おお 真理の道よ
積極の歩みを強く
ここ宮城野に生きるわれら





昭和27年秋 ベスト4★★ 準決勝 古川0-10気仙沼

昭和28年 選抜石巻大会(記録なし) 要調査


さて、この昭和28年より昭和46年まで、夏の大会に向けた選手紹介の新聞記事が古高野球部OBの中鉢大先輩によって保存されています。それを中鉢先輩からいただいたので、紹介しながら、往年の古高野球部の先輩の足跡を追って行こうと思います。




高校野球 実力拝見4(昭和28年 出典 おそらく朝日新聞)
投手陣はまずまず
下位打線のムラが難点





古川高

一昨年の県大会に優勝して福島の東北大会に出場一時は将来を期待されたが、その後はやや下り坂。
体力にも恵まれ、今年こそと望みをかけられていた豪球峰村投手が、先月末やむない事情で野球部を去ったのが大きな痛手となった。それでも後続の伊藤投手は、ドロップとサイドスローのカーブが一段とさえ、チェンジ・オブ・ベースにも自信を持ち、リリーフ富藤は剛球でコントロールもよく、その後にネバリ強い竹内(CF)もひかえ、持ちゴマが多いだけに、投手陣はまずまずというところ。捕手関も小粒ながら確実な送球とキビキビした動きを見せている。守備陣は佐々木(SS)が幾分肩が悪く不安だが、他は内外野ともあまりむらはなく、中でも竹内(CF)はファイトもあり、一段と光っている。
打撃は、四番の鈴木(LF)が五割台で、上位は案外確実な当りを示しているがただ下位打線にムラがあり、ピンチに弱いのが難点。
過去の戦績はさきごろの県下総合大会で気仙沼高に1-0で惜敗、加美農には5-2、古工高には11-0でいずれも勝っている。今年は短期間ながら、早大の上原、上春両選手を招いてミッチリとコーチを受けたので、試合運びもうまくなり、どこまでダークホース振りを発揮するかが興味のまと。





部長 大山恒二
監督 及川忠雄
P  伊藤春雄(2年)
P  富藤莞爾(1年)
C  関 信良(3年)
1B 清水宏悦(3年)
2B 都築 伴(2年)
3B 大本利器(2年)
SS 佐々木巌(2年)
LF 鈴木徹(2年)
CF 竹内享二(3年)主
RF 鈴木茂雄(2年)
補  高橋清享(3年)








*SSの佐々木選手は小牛田中学の監督をしていた通称「がんちゃん」ですね?
LFの鈴木選手はのちに大洋ホエールズに行った元プロ野球選手。2年生のエース伊藤春男投手もまた、卒業後、毎日オリオンズへと進む。

上)古川高の伊藤投手

下)古川高の関捕手



◎昭和28年 第35回選手権 一回戦 不戦勝 二回戦 古川5-3涌谷 三回戦 古川6-0加美農 準決勝 古川4-7仙台工 第三代表決定戦 古川5-1気仙沼 (第三位で東北大会へ★★)

東北大会 
一回戦 古川2-7米沢西 



*古川高校、2年ぶりの県代表を獲得し、甲子園へ向けて東北大会へ!!
しかしながら、昭和26年に続き、東北大会で無念の敗退。。。
この年の宮城大会は以前にも書いたが、仙南の雄、白石高校の初優勝、白石高校はのちに国鉄スワローズに進んだ大沼清投手を擁して東北大会も制し、初の甲子園へ。甲子園では一回戦で熊本高校に3-6で敗れる。優勝は松山商業(愛媛)。




涌谷高校




1919年(大正 8年) 3月31日 宮城県遠田郡立涌谷実科高等女学校設立認可
1919年(大正 8年) 4月20日 涌谷尋常高等小学校内に設立開校
2009年(平成21年)11月20日 創立90周年記念式典挙行



昭和28年 秋季県大会 優勝★★★★ 決勝 古川3-1仙台育英
東北大会 一回戦 古川3-8秋田

*古高の猛威は続く。夏2度目の県代表になったのに引き続き、新チームになり秋季県大会優勝! 言うまでもなく、プロへ行った鈴木徹先輩、伊藤春男先輩の影響が大と思われる。しかしながら、東北大会では秋田の進学校秋田高校に敗北。東北大会という「壁」がまた一段と高く聳えている感じである。




仙台育英学園
1905年(明治38年)、学園創立
1989年 大越基投手で夏の甲子園で準優勝(優勝校は東京都の帝京高等学校)

*この年のレギュラーの四番一塁手が藤原選手(古中)、一番三塁手が山口選手(古中)、右翼手が山崎選手(色麻中)、東北高校の主将で四番が相沢選手(古中)だった。

2001年 芳賀投手で春の甲子園で準優勝(優勝校は茨城県の常総学院高等学校)


*以前は三角形を三つ配置した三菱マークのような校章だった。その当時のエース大久保投手を擁しての甲子園での激闘が私は強烈な印象として記憶にある。

http://www.plus-blog.sportsnavi.com/maniac/category/27

▽第60回全国高校野球選手権大会(1回戦)
高松商 000 000 000 000 000 00 =0
仙台育英000 000 000 000 000 01X=1
(延長17回)
(高)河地ー堀
(仙)大久保ー星


延長17回裏、高松商の河地が投じた205球目は死球となり、悲劇的な幕切れとなる。
※以上、当時の週刊ベースボールの記事




高松商の河地と仙台育英の投げ合いは0-0のまま延長に突入。高松商は延長に入ってから10回、15回と勝ち越しのチャンスを迎えるが走塁ミスなどでことごとく逸してしまう。そして延長18回引き分け再試合が目前に迫った17回裏の仙台育英の攻撃。内野安打、バントヒット、送りバント、敬遠で迎えた一死満塁の場面で河地が投じた205球は何と死球!互いに譲らぬ名勝負は、サヨナラ押し出しという悲劇的な幕切れとなった。

2回戦
所沢商  000 000 010=1
仙台育英 002 000 02X=4
(所)福地ー志村、三枝
(仙)大久保ー星

3回戦
高知商  012 100 000=4
仙台育英 010 010 000=2
(高)森ー坂上
(仙)大久保ー星
仙台育英は9回裏、二死満塁として5番の星が快音を響かせるが、高知商の遊撃手がダイビングキャッチで好捕してセカンドベースを踏んでゲームセット。もし少しでも打球が逸れていれば同点は確実だっただけに、仙台育英は球運がなかったとしかいいようがない。


*奇跡のPLがこの年優勝。高知商はサヨナラ負けで準優勝。この時代宮城県代表は初戦敗退が多かったので、大久保 美智男投手の活躍は余計に光った。大久保投手は広島に期待され入団、背番号1も、活躍できず野手転向後引退。王貞治の最後の868本目の本塁打は大久保投手からのものである。







昭和29年 選抜石巻大会 優勝★★★★ 古川4−1石巻


*古高の進撃はまだ続く。秋優勝に続いて春の選抜大会も優勝。


昭和29年 春季県大会(第一回) ベスト8★ 準々決勝 古川2−4白石
*この年より春季宮城大会が開設。古川、白石ともに当時は強豪校。






昭和29年7月11日(日曜日)朝日新聞
「球陣点描」
「今年こそ」と古川高






二十五年*県大会優勝以来(*ママ. 実際は26年)毎年優勝寸前までこぎつけていた。今年こそはと優勝の野望に燃えている。打撃はいくらかむらがあるが、守備では内野陣は”高校としては一応完成”との評もある。
今年の試合ぶりは石巻大会では優勝、六月の選抜では伊藤投手が腕を痛めていたため仙工に7-1で完敗したが、伊藤も復調し、先月末から早大松岡二塁手と新井投手を迎えて、毎日午後七時すぎまで猛練習をつづけている。
ずば抜けてたのもうんと悪いのもいないという粒ぞろいでまとまったチーム。あえて難をいえば打撃力のムラで捕手の早坂、捕球は巧いが打撃振わず、メンバー全員がスローボールに弱い点だと佐藤野球部長は説明する。
強打者は鈴木徹一塁手、鈴木(茂)左翼手といったところ。最も警戒を要するチームは仙台二高で、これさえこなせれば、十分優勝出来る自信はあるという。



古川高
部長 佐藤亨
監督 日野定雄
LF 鈴木茂雄(3)
SS 佐々木巌(3)
P   伊藤春男(3)
1B 鈴木 徹(3)
2B 都築 侔(3)
RF 大本利器(3)
CF 今野誠勇(3)
3B 椿本 修(2)
C  早坂 豊(3)
補 斎藤完弥(2)
補 鈴木啓之(2)
補 金沢武司郎(2)




◎昭和29年 第36回選手権 ベスト8★ 一回戦 不戦勝 二回戦 古川7-0栗原農 三回戦 古川10-3名取 準々決勝 古川2-4仙台二



*古高、警戒していた仙台二に敗れ、優勝候補も準々決勝で敗退。
しかしながら、強打者の鈴木徹先輩(故人)は、古高初で唯一のプロ野球選手となるべく、大洋ホエールズに入団します。
(追記:この年のエース、伊藤春男投手が同様に毎日オリオンズに進んだことは投稿で書いた。→ http://furuko-baseball.blogspot.com/2010/11/blog-post.html
よって、ここの文章を以下のように訂正します)


しかしながら、強打者の鈴木徹先輩(故人)は大洋ホエールズへ、エースの伊藤春男投手は毎日オリオンズへと入団します。これまでプロ野球経験者0の古高からいきなり2人のプロ選手を輩出した年になったわけです。





迫桜(はくおう)高校

2001年(平成13年)4月 - 宮城県栗原農業高等学校と宮城県若柳高等学校が統合して宮城県迫桜高等学校が開校。

本校の校章は、宮城県図書館の企画管理部長(平成12年度)荒伸二氏の制作によるものである。「迫桜(hakuou)」のhとoを基に、迫川の流れと桜の花びらを表し、全体で未来にはばたく白鳥=生徒の姿を象徴している。
校名の決定に関しては、本県教育委員会としては初めて公募方式を採用し990件余の応募を得た。これらの意見を参考に、地元若柳町の中央を悠々と流れる「迫川」と町の花である「桜」のイメージを合わせて「迫桜」とすることに決定したものである。






名取高校

大正13年 岩沼実科高等女学校認可
昭和18年 高等女学校令改正により宮城県岩沼高等女学校と改称
昭和23年 宮城県名取高等学校組合の設立認可。宮城県名取高等学校設立を認可。


十字形はナトリの頭文字「ナ」に拠り,さらに高等学校の「高」の字を図案化したものを併せた形である。
左右と,天井を指した鋒先はそれぞれ真善美に向かい,根元はしっかりと大地を踏まえ,かくして力強く真理を探求せんとする高校生の意気と誇りを象徴している。






*ここに、S35年古高野球部卒業の佐々木恭二先輩が残した鈴木先輩追悼の文があります。それを掲載させていただきます(中鉢泰平先輩よりいただきました)。

自己半世記「私の追悼抄」から

鈴木 徹先輩を悼む

ー昭和30年卒 プロ野球選手、プロ野球審判員ー





いつ完成するのか皆目わからないが、自己の半生を回想中である。その一遍に「私の追悼抄」がある。私=写真前列左=の心に残った人、人生の師の追悼である。その抜粋を投稿させていただいた。
古川高校野球部のOBであり、恩師の高橋養先生(ドイッチェ)=写真前列中央=の追悼が先であるが、2006年6月号(蛍雪37号)で中鉢氏=写真後列右から2人目=が追悼文を書いてくださっている。9年前の東京での野球部OB会の写真で高橋・鈴木=写真前列左から2人目=ご両人の追悼とさせていただきたい。


○鈴木 徹(すずきとおる)1936-2004 プロ野球選手、プロ野球審判員
「宮城県の古川高校を卒業後、1995年に内野手として大洋ホエールズに入団。一軍出場のないまま引退し、セ・リーグ審判員に転ずる。31年間審判員をつとめ、約2500試合に出場したのち、1994年シーズン終了後引退」(出典:フリー百科事典「ウィキペディア」より)


私に(プロ)野球への夢を持たせ、つなぎ、あきらめさせた先輩である。私が中学2年の時である。
私の兄(佐々木健一 昭和30年卒 平成16年没)の高校の親友で、プロ野球入団の時、私の家に一泊して旅立ったのを記憶している。その時にもらった硬式ボールを私の宝にしていた。当時の大洋ホエールズの別当監督が高校にやってきたこと。入団の翌年、同球団に大学から秋山、土井らのそうそうたる選手が入団して、はみ出されたことを知らされた。
私が学生時代、兄と一緒に横浜のお宅へ遊びに行った記憶がある。また、審判引退後、東京で開いた高校野球部のOB会で一度お会いしたが、元気がなかったのが気になった。
私の兄が没して11日後、12月22日に亡くなった。享年69歳。


佐々木恭二氏 略歴
小牛田町出身、昭和35年古高卒、昭和40年立教大学経済学部卒業後、特殊法人労働福祉事業団(現・労働者健康福祉機構)に勤務。平成13年同事業団(退職時・医療事業部長)を定年退職。






昭和29年秋 ベスト8★ 準々決勝 古川1-2東北


昭和30年選抜石巻大会 一回戦 古川2-7佐沼 


昭和30年春季宮城大会 ベスト4★★ 準決勝 古川0-2白石




佐沼高校

明治35年4 宮城県立第二中学校登米分校として創立、佐沼町役場を仮校舎として授業開始。(仙台二高の分校)明治35年5 本校校舎竣工。明治37年4 県立宮城県第六中学校として独立。宮城県立佐沼中学校と改称。






三枚の葉は、本校校庭を囲むプラタナスを表し、その3枚の数意と中央の円の関係は、本校の校訓である「献身」「窮理」「力行」の三徳(即ち3枚の葉)を、至誠(即ち中央の円形)をもって、貫くの意を象徴し、更にその間にある三個の三角形は、片仮名のサヌマという文字を図案化したものである。
(昭和23年4月1日制定)


*佐沼高校は古高より創立は遅いが、夏の甲子園予選には古高より先に出場してるはずである。この迫町も少年野球から指導が盛んな地域である。長野 哲(68'大洋)、佐々木 伸行(71'ロッテ、野球解説者)と2人のプロ野球選手がいる。





昭和30年 朝日新聞?
勝利への布陣 高校野球37チーム紹介紀 (7) ピンチに強い渡辺投手

守備は良いが打線に難





毎年ダークホースといわれ、優勝候補とうたわれながら、勝機を逸している不運なチーム。去年の出場選手がほとんど卒業して、今年はチームが全般的に小ツブとなったため、ともすれば低く評価をされがちだった。ところが、総合体育大会で優勝候補の東北高を3-0でシャットアウトし、準決勝で白石に敗れはしたものの、互角に戦ったことで「古高健在」と(□□□不明ながら、思わせた?)。
主戦投手渡辺はまだ一年生。球速はないが、スローカーブ、ドロップを得意とし、コントロールは正確、加えて試合度胸が良く、ピンチにくずれないのが強味で、将来の大器といわれている。リリーフの阿部はアンダースローで、カーブ、シュートを投げこなすが、コントロールに欠ける。
元来、古高は守備のチームといわれるが、今年の守備の堅さは、東北高との試合でも見られたように、むしろ去年を上回っているのではなかろうか。ただし鈴木捕手の二塁牽制には難がある。肩は良いのだが、コントロールが悪く、ここらが古高のアナだろう。あとは一塁がやや劣る程度で、内、外野とも他校にヒケを取るまいと思われる。
問題は打力に欠ける点で、長打者が一人もいないばかりか、確実に打つというのも数少ない。打線にムラがあるため、作戦に骨が折れるとのこと。重点をバッティングに置いて猛練習をしているが、果してどの程度まで伸びるか疑問である。
チームワークは上々、ファイトはあるし、一応力は充実している。県大会では最初に東北高と顔を合わせ、ここで総合体育大会の時のように快勝できれば、相当なところまで行くだろうが、佐藤部長は「むしろ来年の方が楽しみが多い」と語っている。


部長 佐藤亨 
監督 佐藤亨


(遊)安達 忠義(2)

(二)渡辺 惣三(2)

(三)拓本  脩(3)

(捕)鈴木  茜(2)

(右)阿部 幸雄(2)

(左)男沢 紀夫(2)

(中)鈴木 啓之(3)

(一)名取孝次郎(2)

(投)渡辺  武(1)

補 佐藤 照夫(3)

補 高橋 徳憲(1)

補 中村  優(1)

補 五十嵐 啓(1)

補 鈴木  博(1)




*佐藤部長・・・それはいかんわな。







◎昭和30年 第37回選手権 一回戦 不戦勝 二回戦 古川0−5東北

*一回戦シードの後、いきなり東北戦で懸念通り、敗れる。
そういえば、これでハッキリした事がある。
古高はとかく「夏に弱い」。
そして、「くじ運が極めて悪い」。
これは間違いないところであろう。





昭和30年 秋季県大会 ベスト8★ 準々決勝 古川1-11東北


昭和31年 県下選抜石巻大会 ベスト4★★ 準決勝 古川2-11東北

*怒涛の古高、東北への3連敗。しかも大差。しかしながら東北への連敗はこれだけに終わらない。春の県大会では9回まで2-0で追いつめ、打倒東北の宿願達成目前であったのだが。。。

昭和31年 春季県大会 ベスト8★ 準々決勝 古川2-3東北

*あと一歩まで追いつめ、大逆転負けでの対東北戦怒涛の4連敗。準々決勝、準決勝の壁をなかなか破れないのもこれはもはや伝統といってよいかもしれない。

昭和31年 朝日新聞
栄冠をわれらに
高校野球38チーム紹介 ー5-

鋭い打力のチーム
打率五割台の渡辺、男沢
古川高



「今年こそは少なくとも東北大会まではいく」と高橋部長以下大いに張切っている。去年も粒のそろった良いチームだったが、くじ運悪く、二回戦(一回戦不戦勝)で東北高とぶつかり5-0で簡単に敗れた。東北高若生の剛速球が打てなかったので、今シーズンは打撃に重点をおいて猛練習を続けた。そのかいあって、今年は打棒のチームに成長、トップの安達以下全員の鋭いスウィングは県下選抜野球や総合体育大会でひときわ目立った。渡辺、男沢の両選手は、五割台の高打率を誇り、阿部の長打、ピンチに強い名取の好打は定評がある。遊撃安達は、主将だけあってチームのピカ一。足は速く守備範囲も広く、リード・オフ・マンにはうってつけだ。渡辺二塁手とは中学時代からの名コンビ。
攻撃力にくらべて投手力はやや劣る。主戦相沢は一年生だが、学校でも名うてのキカン坊だけに度胸は十分、スロードロップにかなりの威力がある。だが体力がないので連投は難しく、総合体育大会での東北高戦の九回に疲れてコントロールを失い、2-0のリードをフイにした。リリーフに鈴木、安達の二人がいるが、投手交代の時機が問題で、これさえうまくいけば、最初の相手白石高を苦戦に追込むのは間違いない。とにかく、クジ運の悪いチームである。



部長兼監督 高橋養
(遊) 安達 忠義(3)主将
(二) 渡辺 惣三(3)
(左) 男沢 紀夫(3)
(補) 阿部 幸雄(3)
(一) 名取孝次郎(3)
(三) 高橋 徳憲(2)
(中) 中村  優(2)
(投) 相沢 鉱一(1)
(右) 大内 章好(3)
補 鈴木  博(2)
補 斎藤竜次郎(2)
補 大場 吾郎(3)
補 斎藤 桂吾(1)


*男沢先生は、私が現役時代は岩出山高校の野球部の監督をされていました。2006年に「育成功労賞」を受賞しています。古高関係記事にアップデートしておきます。

*それにしても昨年一年生エースだった渡辺投手は退部されたのでしょうかね?二年連続で一年生エースで東北を苦しめたのだとしたら、大変惜しいことです。




*東北高校の若生 智男投手について
wikipediaより

若生 智男(わこう ともお、1937年4月5日 - )は宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。東北高校から1956年毎日に入団。現役時代は先発の一角として生涯通算121勝をマークした。オールスターゲームにも1度出場した事がある。その後は阪神を経て、1975年の広島初優勝に貢献し翌年の1976年引退した。大毎・阪神・広島でリーグ優勝を経験しており、3チームから日本シリーズに出場している。これはプロ野球史上彼が初めてであった。ただし、日本一には一度もなれなかった。引退後は広島で投手コーチの後、ロッテ→阪神→ロッテ→阪神→ダイエー→横浜と各球団でコーチを歴任し、阪神コーチ時代の1985年には生涯唯一の日本一を経験した。その後は故郷仙台に戻り、野球解説者など宮城・東北野球界の御意見番としても活躍。NPO「野球振興ふるさと宮城プロ野球選手・OB会」副理事長などを務め、現在はデイリースポーツの野球評論を行なっている。また、俳優森田健作率いる社会人野球チーム「千葉熱血MAKING」の監督兼選手として手腕を発揮していた(現在は退団)。実弟は監督として東北高校野球部を夏の甲子園決勝に導いた若生正廣(現・九州国際大付属高校野球部監督)。





◎昭和31年 第38回選手権 一回戦 不戦勝 二回戦 古川1−6白石





*古高、強豪・白石高校に敗れる。。。
それにしても今年の白石高校の大島投手の仙台育英相手の0−1の敗戦は、古豪の心意気を存分に見せつけた健闘ぶりでしたね。


おそらくこの年の白石高校の斎藤良雄投手は卒業後国鉄スワローズに入団(背番号33)しています。のちに外野手に転向したようですが、資料が乏しく、どのような選手だったか詳細を掴めず。


昭和31年 秋季県大会 一回戦 古川3−4大河原


大河原(商業)
昭和16.宮城県大河原中学校設立認可 

昭和23.宮城県大河原中学校と宮城県大河原高等女学校とを合併,宮城県大河原高等学校の設立 

昭和24.宮城県柴田農林高等学校普通部となる 

昭和24.宮城県柴田高等学校と高名変更 

昭和28.宮城県柴田高等学校普通部分離独立して宮城県大河原高等学校となる。
昭和48.宮城県大河原商業高等学校と改称する。


校章の由来 

情報化社会に即した校章として、メカニックな形象で、宮城県大河原商業高等学校の頭文字「大」を図案化したもの。 
内容は二つの半円が Commercial School の頭文字で、同時に男女共学を意味し、互いに協力しながら向上躍進する姿を表している。


*大河原高校は高橋英二選手を輩出している。


Wikipediaより
高橋 英二(たかはし えいじ、1949年10月29日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。

大河原高校から国鉄仙台鉄道管理局へ入社し、1969年ドラフト会議で広島東洋カープから11位指名を受けるも拒否。
1970年ドラフト会議で読売ジャイアンツから6位指名を受け入団。
1975年に引退した。

第6回ドラフト
1970(昭和45)
1位 湯口敏彦
2位 大北敏博
3位 淡口憲治
4位 樋沢良信
5位 森下敏秀
6位 高橋英二
7位 魚満芳



*古高は何気にドラフト指名選手を輩出していない。いつか現れて欲しいものである。




昭和32年 春季県大会 ベスト8★ 準々決勝 古川6-8仙台一

*この頃は当然のように県大会に出場し、ベスト8以上の成績を挙げているが、ここからがなかなか勝てない。とくに、仙台一高、二高には特別の弱さを見せているようである。古高が甲子園を逃したこの昭和の特に初期に、仙台一高、二高は確実に甲子園に行っている。



昭和32年7月6日 土曜日 朝日新聞
甲子園への道=3=
問題は投手と守備
古川高






メンバーはがらりと変った。去年の選手で残ったのは、中堅から遊撃に回った中村と三塁から投手になった高橋だけ。新人のチームといえよう。二度の合宿も、打撃に力を注いだかいがあってよく打つ。練習試合などでも十本以上の安打を飛ばしたことが、六試合あった。ただ決定打に欠けるため、相手より打ちながら勝利をフイにした。敗れはしたが、総合体育大会二回戦で仙一に十四本の安打をあびせた。練習試合で五度続けて勝ったのは、この打力がものをいったのだろう。最近、ケガ人が出たりして今シーズンの成績は七勝七敗、平均失点は三点である。好調の大波、高橋、宍戸は相手にとってうるさい打者である。ドラッグ・バントなど細かい芸も身につけた。中村、鈴木がスランプなのが気になるが、仕上げの合宿練習ではかなり、良い当たりをみせていたから心配はなさそうだ。問題は投手と守備である。
高橋、相沢という力量の違わない右投げの投手がいるが、高橋の方が球の配合がうまく、要所は締めてゆく慎重な投球ぶりと、球が重いのが買われて多く登板している。遠田郡小牛田町営球場開きの時も対仙商戦の被安打三本、白石高戦四本と好投、勝利に導いたが、スピードが手ごろなためなれると打たれ易い。素直だが、スピードのある相沢との交代の時期が失点を最小限に抑えるカギだろう。二か月前の対築館高戦で、腰が肉離れした捕手早坂が休み、治ったら今度は流感にかかり練習不足なのが痛い。代わりの佐藤は弱肩で、対黒川高戦で三つ、岩手県一関一高戦で二つの盗塁を許した。遊撃中村は内野の中心。肩がよくてたまに打球をはじいてもすばやく送って刺殺する。外野は無難。県代表二回の記録をもち、毎年、期待をかけられながらここ数年ふるわない。高橋養部長は「ことしはチャンスです」といい切った。こじんまりしているが、油断のできないチーム。


部長兼監督 高橋養
(遊)中村 優(3)
(二)鈴木正紀(2)
(投)高橋徳慧?(3)主将
(左)大波 渉(3)
(一)鈴木 博(3)
(中)宍戸志智(2)
(右)相沢紘一(2)
(三)中島昭勝(1)
(補)早坂雅之(2)
(補欠)佐藤征男(2)
(補欠)柳原孝造(2)
(補欠)三浦 優(1)
(補欠)斎藤桂吾(2)
(補欠)工藤信治(2)



◎昭和32年 第39回選手権 一回戦 不戦勝 二回戦 古川4-2涌谷 三回戦 古川3-8仙台一


昭和32年 秋季県大会 一回戦 古川2-9東北



昭和33年 春季県大会 一回戦 古川0-8東北



*東北高校に勝てないのは今に始まったことではない。この時期全国の甲子園常連校は、各地に遠征して強豪同士の練習試合を普通に行なっているね。こういう予算から考えても、なかなか公立がこれら強豪に勝って甲子園行くのは難しい。しかしながら、飛び抜けた選手一人が入部すれば、その高校は強くなる傾向が間違いなくある。これは、その選手の高いレベルを基準に練習するからで、全体のレベルアップにつながるためであると思われる。



甲子園への道
高校野球チーム紹介
安打、最低八本
古川高





大崎地方のホープだろう。春からの成績は十六勝三敗だ。シーズンはじめの練習試合で仙台商に6−2、11−0でいずれも負け、高校総合体育大会で東北に8−0で完敗した。ことしの特徴は、よく打つことだ。十九試合のチーム打率が二割七分で、安定している。相手が普通の投手なら最低八本は安打を出すそうだ。打率三割二分七厘の三塁中島からはじまり、四番の投手宍戸まで、まず切れ目はない。下位の左翼工藤、一塁岩淵も三割近い。しかしボールに手を出すなど選球が十分でなく、Aクラスの投手にぶつかると手もなくひねられる。三点ぐらいの失点覚悟だけに、これからの打撃の伸び具合が、チームの死命を制するだろう。 


宍戸は左投手独特のドロップがよく決まるし、そう悪くない。むきに投げるせいか三振もとる代りに四球も多い。走者が出ると見違えるほど投球が荒れる。被安打をみても対塩竃高戦は二本、対角田高戦三本、対黒川高四本と抑えたが、対東北高戦で十二本、対築館高戦で十三本与えた。リリーフは中堅の相沢主将である。
捕手の早坂は強肩で、めったに盗塁を許さない。中島と遊撃の斎藤、二塁の鈴木は古川中時代の友だちだ。中島と斎藤は併殺コンビといわれるくらいにうまい。相沢を中心に工藤、右翼の佐藤はいずれも強肩だ。二十六年と二十八年に県代表となり、東北大会に出た実績を持つだけに、気力もあふれている。ひょっとすると波乱をまき起こすかもしれない。



野球部長兼監督高橋養
(三)中島 昭勝(2)
(二)鈴木 正紀(3)
(右)佐藤 征男(3)

(投)宍戸 志智(3)
(中)相沢 紘一(3) 主将
(左)工藤 信治(3)
(一)岩淵 靖夫(3)
(補)早坂 雅之(3)
(遊)斎藤 桂吾(3)
(補)三浦  優(2)
(補)今野 慶司(2)
(補)佐々木恭二(2)
(補)相沢 幸雄(2)
(補)富村  嘱(2)



◎昭和33年 第40回選手権 ベスト8★ 一回戦 古川2-0白石 二回戦 古川4-2伊具 三回戦 古川7-1石巻商 準々決勝 古川0-5仙台二



*古高、初戦で強豪白石高校を破り、ベスト8。仙台二に敗れる。



伊具高校
大正 9年 4月17日  宮城県伊具農蚕学校創立 (郡立)(この日をもって開校記念日とする。)  
昭和23年 4月 1日  宮城県伊具農蚕高等学校と改称   
昭和38年 4月 1日  宮城県伊具高等学校と校名変更 

☆

校章 昭和23年4月,学制改革により,宮城県伊具農蚕学校から宮城県伊具農蚕高等学校になったときに制定された。 本校のシンボルである稲束(農)と桑の葉(蚕)に,新制高校の「高」の字を配した。外郭の稲束の輪は協調する「和」の精神と円満な人間像を意味し,三方に展開する桑の葉は「知,情,意」を表す。中央の「高」の字は,本校教育の到達目標を示している。すなわち,教育の目標は人格の完成にあるという理念のもと,その基盤となる高い教養の涵養を目指すことを表現している。(デザイン 本校元教諭 佐藤 正二氏) 




☆校歌    

1. 阿武隈川は洋々と   岸に栄える丸森に       
   
文化の光さきがけて  伊具高校の輝けば       
   
清き窓べに鳥もなく   


2. 次郎太郎を望み見て  大地の幸を讃えつつ       
   
力を協せふるさとに   朝な夕なに励み合う       
   
若き希望の楽しさよ 


3. 聞けや平和の明けの鐘  新しき日は照り初めぬ     
   
いばらの道を切り拓き   伊具高校の誉もて       
   
心凛々しくいざゆかん



昭和33年 秋季県大会 一回戦 古川0-2仙台二

 

(昭和33年より県下選抜石巻大会グラウンド不備の為中止) 



昭和34年 春季県大会 一回戦 古川1-2宮城工




昭和34年7月10日 金曜日 朝日新聞

高校野球38チーム(12)
足が早く固い内野
古川高


部の予算も多くグラウンドもよく、大崎地方では最も恵まれている。高橋養先生が監督になって四年目だが、年ごとに上位に進出している。ことしも中島主将はじめよくまとまっており、総合体育大会にも大崎地方の代表として出場した。郡部の好チームの一つ。
 主戦富村投手は、打たせてとる技巧派。左からの投球はスピードこそないが、よくコントロールされている。カーブやシュートなどを器用にこなしているが、何といってもプレート度胸のよさが看板。ナインは絶対の信頼を寄せている。ほかに右の佐々木博、左の細川といい本格派の投手が控えている。
 守備はよくまとまっている。ただ一人の大会経験者、中島三塁手の好守備は定評があり二年生の江崎遊撃手をよくリードして三遊間を固めている。三浦捕手も強肩なので、内野陣は引き締まっている。外野では今野中堅手が左右の二年生をよくカバーしているが、打球の中継にひとくふう欲しいところ。
(数文字不明)二番三浦が四割台を打ち、出塁率を高くしているので、得点が楽になっている。ただ四番打者相沢にムラがある(以後数文字不明)走塁のうまさは郡部ではAクラス。組み合わせのくじ運も悪くなく、大会では相当のしぶとさを見せるだろう。

岩出山高校 渡辺監督の話
打撃もいいがなにより足が早い。足でかき回すのでやりにくい相手だ。富村投手は球が軽いので、打てない投手ではない。

古川高

(遊)江崎  ?(2)
(捕)三浦  優(3)
(三)中島 昭勝(3)主将
(一)相沢 幸雄(3)
(二)佐々木恭二(3)
(左)狩野 達郎(2)
(中)今野 慶司(3)
(右)佐々木博典(2)
(投)富村  卓(3)
(補)浅野 (2)
(補)小笠原(2)
(補)加藤 (2)
(補)藤本 (2)
(補)細川 (1)





◎昭和34年 第41回選手権 一回戦 不戦勝 二回戦 古川13-1加美農 三回戦 古川1-2宮城農



*この年、優勝は東北高校(東北高校はこの年、甲子園大会で初のベスト4に進出)

東北大会決勝 東北10-0喜多方

全国甲子園大会
一回戦 東北15-1下館一
二回戦 東北2-0倉敷工
準々決勝東北3-2日大二
準決勝 東北1-2宇都宮工(延長10回サヨナラ負け)

*優勝は西条高、決勝西条8-2宇都宮工



昭和34年 秋季県大会 ベスト8★ 一回戦 古川5-1気仙沼水産 準々決勝 古川0-4仙台二 


昭和35年 春季県大会 一回戦 古川6-7白石 (白石は準優勝、優勝・東北。尚、前年春の宮城工も準優勝、優勝・東北) 




気仙沼向洋(気仙沼水産)高等学校 




明治34年 気仙沼町立水産補習学校として開校 
昭和23年 気仙沼水産高校と改称 
平成6年 宮城県気仙沼向洋高等学校に校名変更 

野球部創立 大正12年 

校歌 
作詩 上坂酉三 
作曲 只野通泰 

1、 
鼎が浦に 生いたちて 
建学ここに 幾星霜 
久遠の歴史 固めつつ 
海の文化の 象徴と 
湾頭高く 輝ける 
おお 気仙沼向洋高 

2、 
望めば遠し 太平洋 
金波は躍る 海の幸 
科学の力 傾けて 
宝庫開かん 使命こそ 
我等が担う 誇なる 
おお 気仙沼向洋高 

3、 
世界にひびく 水産の 
誉を挙げん 我等なり 
暖流遥か 南より 
盛り上がり来る 八百潮 
高鳴るごとく 讃えなん 
おお 気仙沼向洋高 

*今年の甲子園予選権準優勝が記憶に新しい県内の強豪校。その礎を築いたのは、のちに一迫商業を甲子園に連れて行った熊谷貞男監督でしょう。





昭和35年 朝日新聞
高校野球38チーム(12)
投手力が不安定
古川




 毎年のことだが、大崎地方ではいちばん強いと自他ともに認めている。それでいて大会の成績はそうよくない。高橋監督は「付近に強いチームがあればいいのだが」といいながら、暗くなるまで選手の動きをみている。今年は特にずば抜けた選手もいないが、わりにまとまっている。ただ投手力が不安定なので、上位チームとぶつかる場合、とんでもない大差をつけられることがある。
 主戦投手佐々木博はスピードは豊かなうえ、カーブやシュートにも威力がある。本格派として好素質を持っているのだが、コントロールに自信がなく、たいていのゲームで一回は乱れ、連続四球を与えて自滅する。リリーフ細川はこれと対照的な技巧派で、左腕から球質の違うボールを投げて凡打に打ちとる。ただスタミナ不足のため、佐々木にできるだけ長く持ちこたえてもらいたいところだ。
 宍戸、江碕の三遊間は固く、守備力のあるチームだが、藤本一塁手が時々大きなエラーをするのが心配だ。短打主義をとっており、伝統のチームらしくチャンスに強い。江碕主将が攻撃力の中心で、長打力があるうえに足も早い。浅野は必ずころがすといううるさ型だし、狩野も落ちついたバッティングをする。これで加藤が当たりを取り戻してくれると得点力はぐっと上がってくる。大会直前はバントに力を入れるという。


古川工早坂部長の話
とにかくこわいチームだ。江碕、狩野を中心によく打つし、三遊間の守備もいい。佐々木はコントロールが悪いのでもろいし、細川は左というだけでこれといった決め球がないので、問題は投手力だろう。


古川
(三)宍戸 照男(2)
(二)浅野 長生(3)
(遊)江碕  肇(3) 主将
(左)狩野 達郎(3)
(投)佐々木博典(3)
(一)藤本 政寿(3)
(中)加藤 慶教(3)
(右)細川 武人(2)
(捕)高橋 吉幸(2)
補 小笠原(3)
補 中鉢(2)
補 佐々木多(2)
補 田口(2)
補 伊藤(2)




*昨今の大崎地方は様変わりしました。これも歴史の流れですが、近隣に古川学園、大崎中央など、野球に力を入れ始めた私学がいることは、必ずや古高のレベルアップにもつながることでしょう。




◎昭和35年 第42回選手権 ベスト8★ 一回戦 不戦勝 二回戦 古川8-2宮城農 三回戦 古川2-1宮城工 準々決勝 古川1-2石巻




宮城農業


*宮城農業は明治18年開校した創立122年を誇る伝統校
明治18年(1885年)7月30日宮城農学校(第一種農学校として文部省より認可)
明治34年(1901年)7月5日 県立宮城農学校(現仙台市太白区根岸町)と校名改称
明治37年(1904年)6月1日 宮城県立宮城農学校と校名改称


宮城農業出身のプロ野球選手
小野寺克男 捕手 宮城農業-電電東北ー東映フライヤーズ(1955)
いわきリトルシニア会長




昭和35年 秋季県大会 一回戦 古川0-3気仙沼 (優勝:白石、準優勝:佐沼、ベスト4:気仙沼、仙台育英)




昭和36年 春季県大会 準優勝★★★(一回戦 不戦勝 二回戦 古川2-2仙台育英、(再試合)古川1-0仙台育英、準決勝 古川5-3気仙沼、決勝 古川0-1東北)


準決勝
東北1-0白石、古川5-3気仙沼


決勝
東北 010 000 000|1
古川 000 000 000|0


*古高細川投手の好投で惜しくも準優勝。東北高のみ東北大会出場し、優勝。


東北大会 一回戦 東北2-1東奥義塾、準決勝 東北2-1保原


決勝
東北 200 000 101|4
双葉 000 000 000|0









昭和36718日 朝日新聞
高校野球大会の展望

第四十三回全国高校野球選手権大会の県予選大会は、いよいよ二十日から仙台市宮城、評定河原両球場で熱戦の幕を開く。参加三十八校の組み合わせもきまり、各チームとも練習に最後のみがきをかけている。二十九、三十両日、宮城球場での東北大会に、晴れて福島県代表二校を迎えうち、甲子園出場権を争う本県代表二校はどこだろうか。組み合わせからそのゆくえをみてみよう。

白石、仙台二もA級
・・・ことしもシード権をとり、東北、古川、育英、白石の四校がシード校に選ばれた。しかし第四シードの白石と次点の仙台二は決選投票に持ち込まれたぐらいなので、実力的にはたいした差がないという見方がされている。まずこの五チームがAクラスといえよう。続いて石巻、佐沼、気仙沼がこれを追っている。この中では、あなどれない攻撃力を持つ気仙沼がダークホースだろう。佐沼、石巻は主戦投手の調子しだいでは、おもしろう試合ぶりをみせるかもしれない。
 東北がシード校になっている第一ブロックでは、東北の進路をはばむ手ごわいものはなさそうな感じである。注目されるのは、春に東北を破った福祉、強いチームにはねばりをみせる仙台商だろう。しかし福祉は仙台一と一回戦であたるのでちょっと苦しい。仙台商は桐生投手がどの程度うまく東北打線をかわすかに興味がかけられる。しかしよほどの取りこぼしがないかぎり、このブロックでは東北が出るのが順当だろう。このブロックと県代表を争う第二ブロックも、一応シード校白石がクジ運に恵まれている。白石は打撃のチーム。佐々木捕手らの打力はすばらしい。一番の強豪は石巻だが、仙台工もあなどれない。仙台工は攻守の中心鈴木遊撃手が負傷で出場があやぶまれているが、かえって捨て身でぶつかる意気をもやすとこわい。石巻との対戦では白石にやや分がありそうだ。それは前日の相手をみると白石の方がずっと楽だからだ。ただこれまでの白石は、どうも選手が代わるがわる故障したりするチグハグなところがあったので、調子をつかみそこなうと、みじめな結果にもなりかねない。

ダークホース気仙沼
・・・これに対し第三、第四ブロックはシード校が苦戦しそうだ。特に第四ブロックの古川は苦しい。順調にいくと二十二日は古川と仙台二が対戦する。これは大会前半ではもっとも注目の一戦になりそう。古川の左腕細川投手は本格派、仙台二の同じく左腕吉岡は技巧派と型はちがうが二人とも県下指折りの好投手である。打線はやや仙台二の方がよさそう。実力はまったく互角である。吉岡が本調子であれば、試合運びのうまい仙台二の方がかえってややいいかもしれない。この勝者は気仙沼とあたりそうだ。気仙沼は打撃のチーム。細川、吉岡とスタミナの点に心配があるので、投手の調子が落ちると気仙沼の攻撃力を受けきれないかもしれない
まず順調にいけば古川で仙台二、それに気仙沼も希望がもてる。
 また第三ブロックでは二十一日にシード校育英と昨年代表となった佐沼が対戦しそうで、これも古川対仙台二の対戦に劣らない興味のある試合だ。昨年活躍した佐沼の左腕千葉恭投手は本調子ではないというが、うま味のある投手だけに、育英も十分警戒する必要がある、打力では好打者佐々木中堅手を擁する育英が問題なくすぐれているので、佐沼としては千葉の好投に期待するほかない。育英がこれに勝てば県代表決定戦に出るのは困難ではない。

各チームが接近
・・・この結果、第一ブロックでは東北、第二ブロックでは白石か石巻、第三ブロックで育英、第四ブロックは古川、仙台二、気仙沼のうちどれかが出てきそう。東北対白石、石巻では白石、石巻に切り札的な投手がないので、やはり東北が相当有利だろう。第三、第四ブロックの対戦では、攻走守にいちばんまとまりのある育英がもっとも有望だが、細川に疲れが出ていなければ古川も望みがある。また仙台二が古川を倒して勝ち進んだ場合、育英は仙台二の吉岡をにが手としており、仙台二も対育英には非常に自信をもっているので育英も安心できない。育英対気仙沼では、気仙沼がくせのないすなおなチームだけに育英の方が有利だ。また育英の代わりに佐沼が出ると古川、仙台二は佐沼と似たようなチームだから総合力ではやや落ちる佐沼は不利のようだ。佐沼対気仙沼なら佐沼も有望。そこで県代表は順当なら東北と育英か古川にしぼられよう。しかし一本勝負の高校野球では、昨年のように予想もしないチームが活躍することもしばしばある。しかもことしは東北も打力が振わず、例年のような圧倒的な強みはない。各校の力はぐっと接近しているといえそうだ。そこで仙台一、築館、大河原あたりが気力をふるって一本勝負に徹すると、例年以上におもしろい大会になろう。





















38チームの横顔
●高校野球● (7)

底力たくわえる
古川

県内屈指の左腕の好投手細川を中心に、小つぶながらよくまとまったチーム。チームワークもよく、地味ながら、最後までよくねばるのが特徴だ。「各チームの差は紙一重、最後は精神力」と毎日暗くなるまで練習し底力をたくわえている。二十六年に県内優勝、二十八年準優勝、春の大会は決勝で東北高に惜敗。ことしも優勝候補の一つだ。
◎・・・バッテリーと宍戸主将(三)の2人が昨年夏の大会の経験者。とくに宍戸はファイターでチームをよく引き締めている。投手細川はコントロールがよく真っこうから投げおろして、打者の足元にくい込む直球とスロードロップのコンビネーションがよい。やせ型でスタミナがやや不安だが、春の大会後さらに自信を強めている。救援は左翼を守る鈴木で左腕からのシュートが極め球。両投手を除いては、小柄だがキビキビした動きで、内外野とも守りは堅い。各チームのバント攻撃に備え、宍戸三塁手のダッシュも一段と鋭くなった。アナといえばやや不なれな右翼。
◎・・・打陣はとくに大物打ちはいない。しかし球にくいさがって堅実に当ててゆき、どこからでも好機を生み出す。細川が一番打撃がきくが、負担を軽くするためラストに回すという布陣だ。七、八番がやや落ち、全般に足が遅いのが欠点だ。「とくにすぐれた選手がいないのが、かえって強味となっている」と高橋監督はいっており、大会までには最少四点はたたき出すようにしたい、と打撃に重点を入れて猛練習している。


古川チーム評
東北 松尾監督
細川はうらやましいぐらいいい投手だ。攻撃力もなかなかあなどれないから、一本勝負となるとこわいチームだ。ただシード校になるだろうし、大会がおしつまると細川の連投になるわけで、そうなるとスタミナがそうないだけにつらいだろう。



【古川】
()高橋 洋三(2)
()高橋 吉幸(3)
()宍戸 昭男(3) 主将
()佐々木多利男(3)
()鈴木  晄(2)
()宮本 文寿(2)
()中鉢 泰平(3)
()浅野 公男(2)
()細川 武人(3)
補 高橋宗(2)
補 小林(2)
補 長尾(2)
補 大沼(1)
補 菅原(1) 






◎昭和36年 第43回選手権 一回戦 不戦勝 二回戦 古川1-6仙台二

*古高、第二シードながら、仙台二に惜敗。



昭和36年 秋季県大会 第三位★★ 一回戦 古川5-2宮城工 準々決勝 古川6-2佐沼 準決勝 古川1-3東北 三位決定戦 古川4-3仙台一  (優勝:東北、仙台二(延長10回日没引き分け))  *古高、第三位で東北大会へ!

東北大会 一回戦 古川2-1磐城 東北2-0酒田東 秋田3-0仙台二、
準決勝 古川2-3宮古(延長12回) 東北4-3秋田、

決勝
宮古 000 000 000 0 | 0
東北 000 000 000 0 | 0
(延長10回日没引き分け)

再試合
宮古 000 000 100 2 | 3
東北 000 100 000 0 | 1
(延長10回)

*古高、磐城高校を破り、東北大会ベスト4!  優勝した岩手・宮古高校に延長12回の末惜しくも敗れ去る!(いまなら間違いなく21世紀枠で甲子園でしょう)





昭和37年 春季県大会 ベスト8★ 準々決勝 古川3-4仙台育英


*古高仙台育英に一点差で敗れる。


準々決勝
石巻6-3宮城工
東北8-0佐沼
気仙沼4-3白石
仙台育英4-3古川


準決勝
東北8-3石巻
仙台育英2-1気仙沼


決勝
東北    000 002 001 |3
仙台育英 000 000 000 |0






昭和37年7月12日 朝日新聞
好機いかす努力
高校野球 夏の球宴 39チーム紹介
古川


小型で地味なまとまったファイトのあるチーム。集中力はあるのだが、チャンスにもう一押しというねばりを養うよう猛練習している。守備のカナメ、鈴木投手は左投げ、昨年の細川よりスピードは落ちるが、コントロールがよく試合度胸十分なのが強味。真向から投げ下ろし、カーブが武器だ。救援の佐々木は横手投のくせ球。二人ともスタミナにやや欠けるので、型の違った二投手をうまく組合わせた継投策となろう。
 打法はコツコツと当てていき、四番浅野が最も信頼されている。五番は力が強く、一発屋の高橋(清)と続き、それに三番宮本が中心打者。八番高橋(宗)はやや雑ながら好機に強く、鈴木投手も強打者で、打線は切れ目が少ない。守備は内、外野ともよくまとまっているが、これまでの試合(十九勝四敗)では、せり合って来ると思わぬ失策が出た。宮本一塁手がやや気が弱く、浅野捕手も肩がよいが、二塁送球にいま一息のコントロールがほしいところだ。
 高橋監督の話ではチームワークは最近になくよくまとまっている。鈴木投手の球に一段のスピードをつけるよう努力している。くじ運がどう出ようとも、東北高の投手陣をなんとかして打つのが課題、そして少ないチャンスをどう生かすかだ。


古川
(遊)高橋 洋三(3)主将
(右)菊地 睦男(3)
(一)宮本 文寿(3)
(捕)浅野 公男(3)
(左)高橋 清雄(2)
(三)菅原 邦明(2)
(二)宇和野武夫(2)
(中)高橋 宗司(3)
(投)鈴木  (3)
補 佐々木弘二(2)
補 佐々木健祐(2)
補 菅原 武志(2)
補 本宮 史夫(2)
補 大原 精一(2)








*投票により古川高校堂々の第四シードで昭和37年の夏の大会を迎えるのである。


◎昭和37年 第44回選手権  一回戦 不戦勝 二回戦 古川5-0福祉 三回戦 古川1-2涌谷


*古高、三回戦で涌谷高校に敗戦。
この年、気仙沼高校が熊谷投手の奮闘で東北大会初優勝、初の甲子園出場。元仙台三・野球部監督の三浦邦夫氏が2年生控えでベンチ入りしている。






昭和37年は栃木・作新学院が史上初の春夏連覇を達成した年である。春はエース八木沢壮六で優勝も、夏の大会前に集団赤痢にかかり、八木沢は出場できず、代わった加藤投手で夏制覇。その作新学院夏甲子園初戦の相手が気仙沼高校だった。


作新学院 100 000 000 01|2
気仙沼    000 100 000 00|1 (延長11回)


気仙沼高校春覇者作新学院に健闘も及ばず敗戦。




昭和37年 秋季県大会 ベスト4★★ 一回戦 古川2-1宮城工 準々決勝 古川7-0石巻 準決勝 古川1-2東北 
(優勝 東北 決勝 東北2-0仙台商)
*古高、秋季2年連続ベスト4


昭和38年 春季県大会 準々決勝 ベスト8★ 古川1-2仙台



仙台高校

1940(昭和15)年 仙台市立仙台中学校設立
1998(平成10)年 甲子園出場
プロ野球選手 丹野祐樹(ヤクルト 1998ドラフト7位)



本校の校旗は朱地に校章を入れた「朱の旗」です。朱は校色であって、健康で新鮮な若人の情熱を象徴しています。
 校章は仙台伊達家の紋の「竹に雀」を図案化したものです。
「竹」は素直に伸びゆく教養と強靭な節義を表しています。
竹の緑は平和の象徴であり、雀の飛形は、はつらつとした
青年の一途な意気を示しています。







昭和38年 朝日新聞
甲子園めざして 高校野球42チーム紹介

短打主義を徹底

スタープレイヤーはいないがチームワークはよく、いつもよい試合をみせる。ただファイト不足が心配。投手陣は外角のカーブが得意の宇和野とアンダーハンドから投げる佐々木の二人。球質が異なり、宇和野先発、佐々木リリーフのケースが多い。打撃の中心は菊地、高橋、菅原邦ら。下位もこれにひきずられて球をみて打つようになった。沼倉監督は、「大物打ちがいないので短打主義を徹底させる」といっている。
 内野の中心、高橋捕手は強肩で盗塁を許さず、リードもうまい。これまで内野エラーでよく逆転されたが、近ごろは安定してきた。外野は三人とも肩と足に難があり、もう一歩。先輩らは練習をみては粘りとファイトを持てとナインを励ましており、沼倉監督も「昨年からのレギュラーが少ないので練習試合を多くして度胸をつけ、一試合五点くらいとれるよう打力を伸ばし、変化球を打ちこなせるようにしたい」といっている。古川工とはいつも試合をやっており、これで打力が伸び、さらに試合駆引きを覚えれば相当活躍しよう。昨秋からの戦績は十三勝八敗一分。

部長 高橋 良
監督 沼倉 公

古川
(二)菅原 武志(3)
(三)菅原 民憲(2)
(中)菊地 良夫(2)
(捕)高橋 清雄(3)◎
(遊)菅原 邦明(3)
(投)宇和野武夫(3)
(左)本宮 史夫(3)
(一)大原 清一(3)
(右)佐々木健祐(3)
補 佐々木弘二(3)
補 狩野  光(3)
補 菅野 純一(3)
補 高橋 直人(2)
補 渋谷 英三(2)





◎昭和38年 第45回選手権 一回戦不戦勝 二回戦 古川1-4宮城水産
(この年は記念大会で一県一校代表制が取られている。宮城代表は仙台育英。)


昭和38年 秋季県大会 出場なし


昭和39年 県下選抜石巻大会(第11回)ベスト4★★ 一回戦 古川12-4宮城水産 準決勝 古川0-10東北
(優勝 仙台育英、2位 東北)

昭和39年 春季県大会(第11回) 一回戦 古川1-3仙台工
(優勝 東北、2位 仙台一)



昭和39年 朝日新聞 甲子園めざして 43チーム紹介

変化球も打ちこなす
三投手の継投策をとる

古川




 昨年からみると、打力はぐっと高まったが、投手力の不足が悩みだといわれる。三人いる投手のうち、エース格の三沢とリリーフの木内がいずれも肩を痛め、練習不足気味だ。大会までには大丈夫だという沼倉監督は「無理をしないで三人の継投策で乗り切る」という。三沢は直球はいいが、球威不足の感がある。木内が復調すれば速球に期待できる。健在の渋谷(洋)は左腕の技巧派投手でコントロールもよい。三沢、木内が復調するかどうかが戦力に大きく影響するだろう。
 打線は上向きを続けている。トップの菅原をはじめ下位打線も充実、とくに岩淵、渋谷は長打力もあり、林は最近コンスタントに打ちまくり、三割五分以上をマークしている。
 内野守備もよい。とくに二遊間コンビは足も速く確実な捕球をみせる。外野は多少見劣りがするようだ。
 沼倉監督は、「投手力の弱さを打力で十分カバーできるようにどこからでも打ちだせる強い打線にする。一試合五、六点はとれる自信があり、速球に強く、変化球も打ちこなせるようになった」と楽しみにしている。春以来七勝七敗。


古川

部長 沼倉 公
監督 同

(二)菅原 民憲(3)
(右)門間 孝夫(3)
(三)渋谷 英三(3)
(一)岩淵 保 (3)
(遊)菊地 良夫(3)
(中)林  栄夫(3)
(左)大場 松男(2)
(投)三沢 清 (2)
(捕)菅原 邦善(2)
(補)渋谷 洋 (2)
(補)木内 健治(2)
(補)高橋 直敏(2)
(補)佐々木親男(2)
(補)曽根 孝夫(1)


◎昭和39年 第46回選手権 一回戦 古川6-5岩出山 二回戦 古川4-9古川工


岩出山高校

実科高等女学校時代は,八咫鏡の中に伊達家紋所に因んだ若竹の幹と葉を
環状に図案化し,中央縦書に「岩実女」という三字を配した校章であった。
  昭和24年 ,県立の岩出山高等学校となるに及んで,若竹の葉を四枚,
十字形に図案化し,中央に「高」という一字を配した校章に改められたが,
伊達家ゆかりの竹の葉に伸びゆく青春を象徴した創立以来の伝統は引き継がれている。
  竹の四葉は,竹という植物の持つ特性-根強さ(根性),適当な間隔にある節(節度),
たくましい成長力(発展),伊達政宗公以来の歴史(伝統)をも象徴し,中央の「高」は
竹の超俗的な高潔さにも通ずるものがあると言えよう。


昭和4年 岩出山町立岩出山実科高等学校設立認可 開校
昭和21年 
宮城県岩出山高等学校(3年制)となる
(校歌)
ここ東奥の浄き郷 花渕山に黎明けて
今新しき歴史あり 若き友びともろともに
翼のかぎり天ゆかむ 高き希望強き精神
誠実の道のたゆみなく励まむ 我等岩出山高等学校


*2013年ドラフトで今野龍太投手が東北楽天ゴールデンイーグルスから9位指名を受けた。岩出山高校初である。夏の県大会では部員11人ながら米谷工業戦でノーヒットノーランを達成。しなやからスリークオーターから速球を投げ込むようで、将来性を買われて指名された。ぜひ頑張ってもらいたい。


昭和39年 秋季県大会 出場なし。(古川工業が準優勝)

昭和40年 春季県大会 一回戦 気仙沼9-1古川

古 川 000 000 001|1
気仙沼 020 310 3X |9X
(古川 三沢、鈴木ー菅原)*三本塁打される


甲子園めざして
四十五チームの横顔(5)
調子あがった打線
古川



 昨年のレギュラー六人が抜け、シーズンはじめは投打とも、もたついていたが、最近ようやく調子を取戻してきた。六月にはいってからは仙台工、古川工、名取、古川商と戦い、四戦零敗と好調を続け、春からの通算成績は八勝六敗になった。
 沼倉監督は「全員、小粒だが、まとまりのあるプレーができるようになったのでチーム力は昨年よりよい」と期待している。
 投手陣は、昨年から投げている三沢が主戦格だが、球威に欠けているため、変化球を投げる鈴木、軟投の渋谷を臨機に救援させる。
 とくに調子が高まったのは打線で、四割以上をマークしているトップの高橋をはじめ、菅原、林、大場、古内らが最近の試合ではつねに得点源になっている。速球に強く、変化球にもうまくバットを合わせるようになったのは心強い。「一試合平均五、六点はとれる」と監督は打線には自信を持っている。
 守備は三塁を守りはじめたばかりの古内のプレーが気がかりなのと、外野手の足がおそいのがやや不安、大会までに練習試合を数多く行い、好調の打線をくずさないようにするという。

古川
(二)高橋 直敏3           
(游)大友 美徳2
(捕)菅原 邦善3◎
(中)林  栄夫3
(左)大場 松男3
(投)三沢  清3
(三)古内 紀雄3
(右)佐々木親男3
(一)渋谷  洋3
補 曽根 孝夫2
補 佐々木茂夫2
補 河村 重昭2
補 鈴木 優三1
補 庄司 精一1




◎昭和40年 第47回選手権 ★ベスト8 一回戦 古川13-0村田 二回戦 古川9-1石巻 三回戦 古川16-14涌谷 準々決勝 古川1-2東北

古川 430 015 |13
村田 000 000 |0
(曽根、鈴木ー菅原)

古川 000 711 0 |9
石巻 001 000 0 |1
(曽根、渋谷ー菅原)

古川 001 142 101 010 302|16
涌谷 400 240 000 010 300|14
(曽根、鈴木、大友、渋谷、三沢ー菅原)

古川 000 000 100|1
東北 000 100 10X|2
(渋谷ー菅原)

*古高ベスト8。県代表は仙台育英と古川工業。ともに東北大会で敗れ、甲子園出場ならず。


昭和40年 第18回秋季県大会 ベスト4★★ 一回戦 古川2-1黒川 二回戦(準々決勝) 古川3-2大河原 準決勝 仙台育英4-0古川 (優勝は東北 決勝 東北5-0仙台育英)

古川 010 001 000|2
黒川 000 010 000|1
(曽根、大友ー河村)

古川 200 000 001|3
大河原000 000 200|2
(曽根、大友ー河村)

古川 000 000 000|0
仙育 000 200 11x|4
(大友ー河村)


昭和41年 第13回春季県大会 ベスト8★ 一回戦 古川2-0仙台工 二回戦(準々決勝)築館6-2古川 (優勝は仙台商) 

古川 000 002 0|2
仙工 000 000 0|0 (降雨コールド)
(鈴木ー河村)

築館 401 001 000|6
古川 100 000 100|2
(大友、曽根ー河村)

 
黒川高校

現在の校章は,昭和23年4月,農学校から現在の黒川高等学校に改称された時に新たに制定されたもので,郷土のシンボル七ツ森をデザインしたものです。
 周りに六つの峰を配し,一つは高等学校の高の字の上に置かれています。
 「郷土愛に根ざした教育」が聳(そび)えた七ツ森のように高い理想であることを象徴しています。


 作詞 扇畑 忠雄  作曲 福井 文彦
さやかに晴るる山幾重
稜線永遠のしずもりに
つどいて三年朝夕の
やさしきすがた七つ森
ここに学びて春秋の
生命かぐわしわれらが生命
ゆく水清き高野原
漲る流れ一すじに
理想は白き激ちなす
先がけゆかん新時代
ここに学びて春秋の
自由尊しわれらが自由
明治34年 開校,黒川農学校と称し本校を吉岡字下町旧備荒倉に,分校を拍川村大谷尋常高等小学校内に設置
大正11年 宮城県黒川農学校と改称
昭和23年 宮城県黒川高等学校と改称
*サッカー香川真司の母校。






築館高校



明治34年 *県立宮城県第三中学校栗原分校として創立
明治37年 県立第五中学として独立 同年 築館中学と改称
平成17年 築館高校、築館女子高が統合される。
*県立第三中学はのちの古川高校。


上の3本の線に校訓 「 共助・研鑽・進取 」 を託し、 栗駒山のイメージを表現 築館高校のイニシャル「t」「s」「h」を組み合わせてデザイン化 全体的に、天に向かって駆け上がる天馬のイメージを表現  図案者 森喜博 

校歌
作詞:佐 野 督 郎作曲:みなみ   らんぼう

1.風韻く 薬師の森の 杉の 秀に
われらが 明日の こころざし
語りて共に 扶け合あい
真理の道を いざ踏み行かん

2.天翔ける 栗駒の如 しなやかに
姿勢凛々しき こころざし
持ちておのれを 磨かんと
学びの道を いざ勤しまん

*築館高校OBのシンガーソングライターみなみらんぼう氏による作曲。最近、WBA世界フライ級王者河野公平選手と彼の娘が結婚した。以前の校歌は古関裕而(早稲田大学「紺碧の空」、甲子園「栄冠は君に輝く」などで有名)作曲、白鳥省吾作詞だったとのこと。白鳥省吾は築館高校OBの詩人。県内にも多数の校歌の作詞がある。

築館高校OBのプロ野球選手 
赤坂光昭(ヤクルト)

昭和41年 朝日新聞
がんばれ!46チーム 高校野球県大会<2>

去年以上に力つける 古川




 去年は県大会で準々決勝にまで進出した。ことしはさらに力がついている。変化球には弱いところもあるが、速球には強い打撃のチームだ。曽根、大友には長打力がある。佐々木茂、遠藤の出塁率はよく、下位打線も確実に当てる。これまでの試合で零敗したことはなく、最高得点は七点。
 ただ、去年のレギュラーが大友、曽根の二人しか残っていないせいか、勝負根性にやや欠ける心配があり、上位に進出するためには点を先取して気勢を盛上げることがカギになりそうだ。
 曽根は去年も主戦投手として活躍した。左投げでカーブがよく、制球力もあって集中打をあびる恐れは少ない。控えの鈴木は右投げで、速球に威力がある。
 内野守備は大友遊撃手、佐々木茂二塁手を中心にがっちり固め、河村捕手はカンがよい。だが、外野は守備範囲の面ではいま一歩といったところ。
 大会までには一週間の合宿練習をし、「ここ一発」の根性と、バント・エンド・ランなどの試合運びに重点を置いて練習する。今春以降の対戦成績は十一勝六敗一分。

部長・監督=沼倉 公
古川
 (二)佐々木茂夫3
 (一)遠藤 卓三2
主(遊)大友 美徳3
 (捕)河村 重昭3
 (投)曽根 孝夫3
 (中)斉藤 善明2
 (左)佐々木昭夫3
 (右)猪俣 省一2
 (三)庄司 精一2
  補 鈴木 優三2
  補 猪俣 清貴2
  補 小林 幸治2
  補 秋山 俊次2
  補 大場日出夫2



◎昭和41年 第48回選手権 一回戦  古川11-0栗原農 二回戦 古川5-0田尻 三回戦 古川0-4仙台育英

古川 002 001 8|11
栗原 000 000 0|0 (7回コールド)
(曽根、鈴木ー河村)

古川 000 004 001|5
田尻 000 000 000|0
(鈴木ー河村)

古川 000 000 000|0
仙育 100 003 00x|4
(鈴木ー河村)

(県代表は佐沼と仙台商。佐沼はのちにプロに進んだ2年生左腕長野哲(ながのさとし)投手を擁し、準決勝で仙台育英に完封勝ち。佐沼は東北大会で福島商に、仙台商は磐城にともに0-1で敗れる)