古高野球部関係 記事

2013.7.15 毎日新聞


2013.2.13 毎日新聞


育成功労賞に男沢さん 古川工などで41年指導

2006年07月11日
日本高野連と朝日新聞社が高校野球の発展に貢献した指導者を表彰する「育成功労賞」(「イヤー・オブ・ザ・コーチ」から名称変更)に、古川工や岩出山、古川商(現古川学園)で41年にわたって指導にあたった男沢紀夫さん(67)が選ばれた。
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男沢紀夫さん
男沢さんは61年に古川工に赴任すると同時に野球部で指導を始めた。岩出山で定年を迎えた後も、99年から02年まで古川商で監督を務めた。「野球は人格形成の一環」との信念で生徒と向き合ってきたという。
病気知らずの健康体を支えたのは「三度の飯より野球が好き」という情熱と、そして何よりも「日に日に上達する子どもたちの頑張り」だった。基本練習を重ねて守りを固めるのが「男沢野球」で、終電まで連日、「古川工高500本ノック」の音がグラウンドに響いた。
宮城大会ではベスト8が6回、うち3回はベスト4に進出。65年には宮城代表として東北大会にも進出した。
今でも時々、自宅を訪ねてくる教え子たちと酒を朝まで酌み交わす。向き合えば一人ひとりのプレーが目に浮かぶ。「監督と球児の、あの夏に戻れる。無形の財産です」
最近は、バラなど奥さんの家庭園芸を手伝うのが楽しみ。今年も宮城大会が11日に開幕する。「勝っても負けても、みんなで悔いなく抱き合えるような、3年間の総決算となるプレーを見せてほしい」と、球児たちに熱いメッセージを送る。 

*古高 昭和31年卒業 男沢紀夫先輩に関する記事




8月26日 1981年(昭56) 宇野勝ヘディング事件 星野仙一が怒ったもう一つの理由



【中日2-1巨人】西から次第に天気が崩れ出してきていたが、東京・後楽園球場の夜空は曇り。南風が緩やかに吹いていた。


そんな夜“事件”は起きた。巨人-中日19回戦7回裏二死一塁、ここまで中日・星野仙一投手の気迫とテクニックに翻弄され、わずか2安打無得点の巨人打線。80年8月4日、広島14回戦に6-2で快勝して以来続いている、チームの連続試合得点記録が159試合でストップしそうな気配だった。藤田元司監督はこの日無安打の1番・松本匡史左翼手に代えて、山本功児内野手をピンチヒッターに起用した。


山本の打球は力のない宇野勝遊撃手へのポップフライ「と思って、一塁側内野席から立ち上がり、帰ろうとした瞬間、とんでもない光景を見てしまったんです」とは、当日後楽園で観戦していた、巨人ファンの会社員男性(23)。


遊飛と誰もが思った打球を、なんと宇野が右側頭部付近に当てる“ヘディング”で、ボールは左翼方向に転々。大島康徳左翼手が慌てふためきながら追い、うずくまっている宇野を構っている暇のない正岡真二二塁手が急いで中継プレーの態勢に入った。


「一体、何が起こったんだ!」。星野は口を開けて三本間に立ったまま。中尾孝義捕手はダイヤモンドを駆け巡る、一塁走者・柳田俊郎外野手、山本の走りが気になって仕方ない。柳田が生還、山本も三塁を回った。大島から正岡へ、正岡から中尾へ返球された。


鈴木徹球審の「アウト!」コールに、星野は喜ぶどころか、グラブを思い切り叩きつけた。巨人の連続試合得点記録はオレが止める、という気概でマウンドに立っていた星野にとっては我慢ならない光景だった。


うーやんこと、宇野選手の“世紀の珍プレー”に「あれで同点になったら、ヘディングどころか自爆点だ。怒ったのは宇野に対してやない。完封がなくなったのが悔しかったんだ」と星野はオトナの対応をしたが、悔しがる理由がもう一つあった。


約1ヵ月後、ナゴヤ球場での中日-巨人22回戦で中日・小松辰夫投手が巨人を4安打完封、連続試合得点記録を174でストップさせた。「星野さんとどちらが先に巨人の記録をストップさせるかで、実は10万円のカケをしていたんです」。試合終了後、うれしそうに小松は答えた。


ヘディング事件の試合で、実は宇野が先制点となる右翼線二塁打を4回に巨人の先発・加藤初投手から放っていることは、ほとんど語られていない。この1点がなければ、試合は引き分けに終わっていたかも知れず、宇野は巨人、中日両ファンに大サービスした格好となった。


ちなみに対巨人通算35勝を挙げた星野のこれが敵地後楽園での最後の勝利だった。


*古高出身、大洋に進んだ鈴木徹先輩(故人)の記事です。






イヤー・オブ・ザ・コーチ 沼倉さん表彰

2005年07月05日
asahi.com
 日本高野連と朝日新聞社が高校野球の発展に貢献した指導者を表彰する今年度の「イヤー・オブ・ザ・コーチ」に、35年間、古川を率いた沼倉公さん(68)が選ばれた。6日の開会式で表彰される。


1963(昭和38)年、母校の古川に赴任した際、高校時代の恩師で当時の野球部長と校長室の前でたまたま鉢合わせに。「一緒に野球部を見ないか」。大学までプレーしており、二つ返事で引き受けた。それから35年。「こんなに長くやるなんてね」と笑う。
在任中、22年間は責任教師と監督を兼務した。休日返上の毎日がたたり、入院したこともある。「郡部の学校を甲子園に連れて行きたいという一心だった」と話す。
監督として、夏はベスト8以上が4回。71年には、当時の東北大会決勝で福島県の磐城に敗れ、甲子園出場まであと一歩まで迫った。
「グラウンドは人間形成の場」との思いで、個々の選手と向き合ってきた。
「続けてきて良かったな」。300人を超す歴代の部員名簿を見ながら、今は畑仕事で日に焼けた顔をほころばせた。


*私の高校時代の監督です。過労で入院したのは私たちの年度であり、かわりに昭和46年東北大会決勝まで進んだ当時のサードで、慶応義塾大学野球部に進み、早慶戦で代打本塁打を打ったり、法政江川卓から二塁打を打ったりと活躍された佐々木治樹先輩が臨時監督として招聘されました。




nikkansports.com

七十七銀行が優勝!連続全国/社会人野球



<都市対抗野球・2次予選東北大会:七十七銀行2-1JR東日本東北>◇6日目◇3日◇仙台市民球場◇決勝・第1代表決定戦
七十七銀行(仙台市)が2-1でJR東日本東北(仙台市)を下し、3年ぶり4度目の優勝と、2年連続5度目の本大会(8月29日開幕、東京ドーム)出場を決めた。1-1と同点の9回2死三塁、7番DH目黒達也内野手(24=東北福祉大)がグリップエンドに当てる内野安打を放ち決勝点。相沢滋投手(35=東北学院大)が11安打を浴びながら121球で完投、最優秀選手賞に輝いた。
奇跡の打撃が決勝点を生んだ。9回2死三塁、ファウルで粘った目黒が「内の厳しいところに来た」という10球目。止めたバットのグリップエンドに当たり、コロコロと三塁線に転がった。昨年W杯でエース格の活躍をした摂津正投手(26=秋田経法大付)から決勝打を放ち、塁上で両拳を突き上げた。「何とかしようと思っていた」。執念が、バットに乗り移った。
その魂を、最も持ち続けたのは14年目の相沢だ。11安打を浴びても、粘り強く投げ抜き1失点。「今年は苦しいスタートだった。勝てて良かった…」と涙を浮かべた。チームは小町啓志主将(29=東北福祉大)が右ふくらはぎを肉離れするなど、ケガ人が続出。大会前に門間勇介(28=法大)を内野手に復帰させるなど大幅なコンバートを行い臨んだ。バックに不安も、負けたら言い訳はできない。村瀬公三監督(41)は「今回は相沢中心のローテを組んだ。責任を感じていたと思う」と語った。
相沢は、失点するまでアンダーシャツを替えないという。「今日は1枚だけでした」。完投勝利とともに、吸い込まれた汗を洗い流すような激しい雨。手荒くも、心地良い雨だった。【清水智彦】

*古高出身 相沢滋投手の記事。相沢投手は古高時代仙台育英を破り、台湾遠征代表にも選ばれた投手。七十七銀行を都市対抗野球の常連に押し上げたエースとして長年活躍しました。