田村健太選手に関する続報

朝日新聞より転載↓
http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001210310002




七十七銀行側、争う姿勢示す 女川支店訴訟

2012年10月31日

 12人が犠牲になった七十七銀行女川支店(女川町)を巡る損害賠償訴訟。30日の第1回口頭弁論では、安全配慮を怠ったとする遺族側に対し、銀行側は争う姿勢を示した。遺族らは意見陳述を通して、この19カ月間の苦悩を訴え、改めて銀行側の責任を追及した。
 原告側の訴状によると、亡くなった行員らを含む従業員は震災後、支店長の指示を受けて2階建て支店の屋上へ避難。海の沖を見張ることなく、海面のほとんど見えない屋上で30分もの時間を無為に過ごした、と主張している。
 これに対して銀行側は、答弁書で海面の一部は見ることができたと反論。支店長が、行員らに片付けを最小限にして避難するよう指示したことも主張した。そのほか具体的な内容については「追って主張する」としており、銀行側の代理人は「2カ月近く期間をいただきたい」と述べた。
 この日は、遺族らが意見陳述した。行員だった田村健太さん(当時25)の母弘美さん(50)は「息子は会社を信じ、支店長を信じて命令通り行動した」と強調。「走れば1分で行けた高台があったのに、なぜ屋上へとどまらなければならなかったのか。我が子が想像を絶する恐怖、絶望感を味わったのかと思うと、つらさ悲しみを超え、強い憤りと自責の念を感じる」と訴えた。
 行員だった丹野美智子さん(当時54)の母長子さん(81)の意見は弁護団が代読した。屋上に避難したことを銀行側が当初、「判断ミス」だったと認めていたと主張。「その言葉は全て覆され、すべて津波のせいにされた。代われるものなら代わってあげたかった。生きているのがとてもつらい」と訴えた。
 今も行方が分からない同支店のスタッフ高松祐子さんの夫康雄さん(55)は「12人の命を無駄にしないため、責任を認め謝罪してほしい。原因究明し、再発防止策を提示することが企業としての責任だ」と投げかけた。(小野智美、高津祐典)
 原告3家族の意見陳述、第1回口頭弁論後の原告団の記者会見の主な内容は次の通り。
    ◇
 ●スタッフ高松祐子さんの夫の意見陳述
 去年3月11日、妻祐子は、七十七銀行女川支店にスタッフとして勤務していました。強く長い揺れの地震があり、私は外出先から急いで女川町の自宅へと車を走らせました。
 そして、妻を迎えに行こうと外に出たとき「ただ事ではない」と思いました。なんと自宅近くまでがれきが流れ着いていたのです。歩いて町が見渡せる高台に着いた時、がくぜんとしました。あたり一面がれきだらけなのです。
 しかし、その時、妻のことはあまり心配していませんでした。近くの高台には病院もある。そこに避難しているはずなので、きっと無事だろう、銀行の上司・先輩・同僚皆と一緒だし会社として、組織として適切に行動しているだろうと思いました。
 そして、翌朝、がれきをかきわけ病院に着いた時、知人からあまりにも残酷な知らせを聞きました。「銀行の人たちは屋上に逃げ、皆津波に流された」というものでした。
 私は体が崩れ落ちそうになるのを必死でこらえるのがやっとでした。「でも祐子さんが流されたかは分からない」と言われ、やっと気を取り直しました。別の避難所に居ると思い町内の避難所を捜しました。
 「ここに銀行の人は居ませんか?」
 避難している人たちに聞いて回りましたが、答えはどこの避難所も同じでした。「ここには居ないよ」というものです。
 屋上で津波が来るまで待っていたなんて、どんなに怖かったのでしょう、どんなにつらかったでしょう。その気持ちを考えると居たたまれません。
 妻の両親は「私たちばかりご飯を食べ、温かいお風呂に入り申し訳ない、代われるものなら代わってやりたい」と遺影に話しかけては泣き、泣いては話しかけるの繰り返しです。
 妻は一時、別の金融機関に勤めていましたが、「やっぱり七十七銀行で働きたい」という気持ちで戻ってきて、誇りを持って勤務していました。
 震災前、私の再就職が決まった時、「良かったね、お祝いしよう」と笑顔で話していました。
 去年4月の説明会では「人災」と言っていたので、私は銀行を信用し、近いうちに和解するだろうと思っていました。しかし、それが5カ月後の9月には「屋上に避難したのは、やむを得ない行動だった」と変わってしまいました。その後、何度か話し合いを持ちましたが、銀行は、同じ言い分を繰り返すばかりで進展はありませんでした。
 その後、頭取と会う機会がありましたが、頭取は「理解していただきたい」と言うばかりでした。しかし私には理解できません。
 歩いても3分の所に町立病院があったのに、なぜ行員は銀行の屋上に避難したのでしょう?
 私が銀行と接触できたのは捜索の途中、昨年3月19日、銀行が手配し家族を乗せたバスを見つけ、私から声をかけたのが、最初でした。なぜ、銀行から家族に連絡は取れなかったのでしょう? 私の家は、その途中にあり、立ち寄ることが出来たはずです。
 本当に会社として、組織として落ち度は無かったのでしょうか? その後の話し合いでも、やむを得ない行動だったと繰り返すばかりで、文書や情報の開示を求めましたが、応じてくれることはありませんでした。
 それどころか、銀行は合同慰霊祭が終わると、事実上、話し合いを拒否し、行方不明者の捜索すらしない状況となりました。しっかりとした検証を求めましたが、実施していません。銀行は実施したと言っていますが、家族に対して報告すらありません。こんなことが重なり、銀行に対して不信感が大きくなりました。
 このままでは私たちだけではどうすることも出来ない、解決できないと思い、妻が誇りを持って働いていた銀行を訴えるのは辛いことですが、提訴に踏み切りました。銀行は12名の犠牲をあまりにも軽く考えているとしか思えません。
 12名の行員の命を無駄にしないため、まず責任を認め謝罪すること。しっかりとした検証をして原因究明し、そしてこれを教訓として再発防止策を提示すること、この二つが企業としての責任だと思います。
 またそうすることが私の願いでもあります。
    ◇
 ●行員田村健太さんの両親の意見陳述
 息子健太は何事にも諦めることなく夢へと向かって進む強さや、実直さを持った子でした。
 野球を通じ地域の皆さんに支えられたことに感謝し、大学卒業後は生まれ育った宮城県で地域のためにと七十七銀行への就職を希望いたしました。
 息子は誇りを持って仕事ができる企業と確信していたからです。
 入行後はお客様に満足頂ける対応ができるよう、日々頑張っていました。
 その努力がこれから報われるだろう、そして結婚をと考えていた人もいて、これから人生の花が開こうとした矢先、震災の大津波にのまれ、25歳の生涯を閉じました。
 まさか息子があれだけ信用し、誇りに思っていた職場で、このようなことになるとは思ってもみませんでした。
 震災後、息子は必ずどこかで生きていると信じ、無我夢中で捜し続けました。考えたくもない遺体安置所にも何度もいきました。この世に何が起きたのかと、目を疑うばかりの光景。残酷な光景を目のあたりにして言葉もありませんでした。日々捜し続けるなか、季節がめぐったことにも気づかず、半年が過ぎたころ、息子は私たちの元へ帰ってきました。
 ワイシャツにネクタイ姿、ズボンのラベルに名前があり、息子であることを確認することができました。しかし、抱いてあげることも、手を握ってあげることもできませんでした。
 並べられた息子の衣類を見た時、「やっぱりそうだったのか」とぼうぜんとするばかりでした。
 見つからなくても地獄、見つかっても地獄です。
 息子はあの時、会社を信じ、支店長を信じて指示命令通り行動をしています。「時間があるから向かいの高台へいったほうがよいのでは」と不安を抱きながらの行動が記録されています。
 走れば1分でいけた高台があったのに、なぜ屋上へ留まらなければならなかったのでしょうか。
 女川は津波が来るまで30分以上ありました。
 その間何があったのか、家族へしっかりと説明をしてほしいのです。
 このような結果になり、悔しかっただろう、悲しかっただろう、無念だったろうと思うと、いたたまれない気持ちでいっぱいです。
 頭取は「やむを得ない判断」といいますが、本当にやむを得ない判断だったのでしょうか。もし、その時、お客様も一緒に屋上へ避難誘導していたら、どうだったでしょうか。それでも「やむを得ない」と言えるのでしょうか。
 女川町には他の銀行もあり、大津波警報後はすぐ高台へ避難されています。
 なぜ七十七銀行だけがこのような結果になったのでしょうか。
 必ず結果には原因があります。原因究明に対し真剣に向き合うことができない理由があるのでしょうか。
 これは銀行の管理下で起きたことです。
 上司を信頼し、仕事をしてきた中で、上司からの指示命令に逆らえるものではなかったでしょう。であるのならば、そのトップに立つ人の防災教育は十分だったのでしょうか。会社の危機意識はどうだったのでしょうか。
 あの最中、銀行業務が先立ち、人命最優先の文字が消えてしまったのではないのでしょうか。
 疑問が解決しなければ、私たちは前に進むことができません。
 震災後、銀行からは何の連絡もなく、私たちが2日後に本店を訪ねると、守衛室の内線電話越しに「屋上へ避難した」とだけ告げられ、あぜんとし、担当行員と面会することもできず、帰ってきました。
 女川へ案内されたのは、1週間以上経ってからのこと。銀行の対応は大変遅かったのです。その時も、同行した行員の方々は、スーツ・革靴姿と、捜索にはほど遠い姿でした。バスの中では幹部の笑い声まであり、事実に向き合う姿ではありませんでした。
 頭取が初めて女川に入ったのは、12日後の3月23日です。それも、私たちから言われて、初めて足を運んだのです。
 女川支店の行員は、最後、屋上より上の塔屋に登り、生きたいがために柵にしがみついていたそうです。
 高台にいた女川の皆さんは、なぜあんなところにと、目を疑ったそうです。流される一部始終を見ていたと証言している人がたくさんいます。
 我が子が、地獄絵巻のように、誰も経験したことのない想像を絶する恐怖、絶望感を味わったのかと思うと、辛さ悲しみを超え、強い憤りを感じ、また強く自責の念を抱きます。
 今年3月31日の慰霊祭も銀行主導で、私たち家族が参列者へあいさつする機会も与えられず、家族と銀行の溝は埋まることはありませんでした。
 息子が信頼し誇りに思って働いていた職場を訴えるのは断腸の思いです。原因を解明し、息子も納得できる謝罪をしていただきたいという気持ちだけでここまで来たのです。
 息子の成長が、私たちの生きがいでした。尊い命、人生が失われた無念さは、はかり知れません。12人の命を無くしておきながら、天災のせいとして原因と向き合おうとしない銀行トップの姿勢が許せません。
 このたび、原因究明が公開の場で行われることにより、将来起こりうる震災に備え、そして、七十七銀行の皆さんにもこの悲劇と向き合っていただきたいと思っております。
 銀行のために命を捧げた行員の方々、息子健太の命を無駄にすることないよう、二度とこのようなことを繰り返さないためにも、人命を守ることが最優先と念じ、業務に邁進していってくださることを強く願います。
 七十七銀行が、誰からも信頼される銀行になるための判決を望みます。
    ◇
 ●行員丹野美智子さんの母親の意見陳述
 娘、丹野美智子は、昨年4月21日に女川町塚浜のがれきの下で見つかりました。
 4月25日に荼毘にふし、遺骨になり小さくなった娘が無言で自宅に帰ってきました。
 3月11日朝、元気良く「行って来ます」と言って出勤して行ったのに、このような形で戻ってくるとは夢にも思いませんでした。なぜこんなことになったのか、大地震になり、大津波がくると女川町全体が大騒ぎして山に逃げているのに、避難場所が山ではなく、なぜ銀行の屋上なのですか。
 日に日に、悲しみと悔しさと怒りがこみ上げてきます。
 娘、美智子は、入社以来七十七銀行という会社を愛し、誇りに思い、体は丈夫で健康そのものでしたので、会社の決めた休み以外は休むことなく、まじめに37年間一生懸命働いてきました。
 約3カ月後の準定年、その後の定年を楽しみにし、定年になったら色々好きなことをして、家族旅行もたくさんしようねと言っていました。
 こんなに長く一つの会社で働くことが出来ているのは、一緒に働く仲間に恵まれ、かかわりあう皆様に、支えていただいたからと感謝しておりました。
 私たち家族も感謝し、誇りに思っていました。それが今ではすっかり裏切られたという気持ちでいっぱいです。
 昨年4月の説明で頭取は「人災であるというふうに考えざるを得ない」と話し、副頭取は屋上に避難したことについて「判断ミスだと思います。その判断の材料を与えたのは銀行だと思います」と言っていました。
 しっかりと過ちを認めた言葉を頂き信用していましたので、私たち家族は、何も言わずに七十七銀行からの検証結果、正式謝罪、再発防止の書面が提示されるのを待っていました。
 しかし、昨年9月の説明会では、その言葉は全てくつがえされ、「道義的責任」「防災プランは不十分では無い」「やむを得なかった」と最終的には、全て津波のせいにされていました。
 本当に七十七銀行を信用していただけに憤りを感じ、残念でしかたがありません。
 被災した行員全員が報われなく可哀想でなりません。
 企業責任は、本当に無いのでしょうか。
 時間が経つにつれ、銀行の対応に対する私たちの不信感はより強くなっています。誠心誠意対応しますと言っている銀行が、早く終わらせようとして電話一本で特別見舞金を無理やり振り込もうとしたり、家族への対応は「平日の営業時間内だけです。もう、家族会とは話し合いの場は持ちません」と言ってきたりしているのです。
 この裁判では、こうした銀行に対し、企業の法的責任を認めてきちんと私たちに謝罪し、抜本的な再発防止策を提示するように求めていきます。原因があってこのような結果が出ているのですから、人的面、物的面、管理面、本部面、いろいろな面から一つひとつ検証し、銀行は、原因究明して、真実を明らかにして下さい。
 娘が長年働き続けてきた銀行を訴えることは、断腸の思いですが、今後、このような惨事を二度と繰りかえさないため、12名の命を無駄にしないためにも、銀行の責任は無かったということには出来ないと思い、こうして提訴しました。
 最後に、とてもやさしく親孝行だった娘が、年老いた親を残し先に旅立ってしまい、さぞ、つらく無念だったろうと思います。私が代われるものなら代わってあげたかった。こうして生きているのがとてもつらいです。
 裁判官の皆様どうぞよろしくお願い致します。
    ◇
■弁論後の記者会見抜粋
 北見淑之弁護士 今日の概略を説明します。銀行から答弁書の提出があり、原告の請求を棄却しました。安全配慮義務違反を否定する内容の答弁書でした。
 次回までに主張を明らかにすることで終わりました。次回は2カ月ほど時間がほしいということで、来年1月15日の午後1時50分からです。
 また今日は、原告の3家族から1名ずつ、裁判を起こした気持ちを法廷で述べました。
 佐藤靖祥弁護士 具体的主張の内容は「追って主張する」というので、どこをどう争ってくるか、この答弁書からは明らかではない。
 原告が主張している訴状のうち、どの部分を認めるか、認めないか、が書いてある。たとえば、地震後に顧客が入ってこられないように内側から鍵をかける、というところを事実として認めている。
 家族のみなさんから感想を。
 高松康雄さん そうですね。やっと始まったなというのが感想です。これから長くなるが、3人の弁護士の方々の力をお借りして、私たちがやれることを精いっぱいやるだけと思っています。
 田村弘美さん 震災から1年7カ月の私たちの思いや、苦悩、葛藤を、みなさんに伝えられれば、という思いで述べさせていただきました。
 行員丹野美智子さんの妹礼子さん 答弁書を拝見し、全面却下ということで、これから大変なんだなということをかみしめ、みんなと一緒にがんばっていきたいと思います。
 記者団 今日は、答弁書で七十七銀行が棄却するということを受け、その気持ちを改めて。
 高松さん 裁判なので、やはり、否定してくるんだろうなと思っていたが、ここまでやるのか、と、ちょっとびっくりしています。
 丹野さん いままで話し合いをずっとしてきたのですが、ずっと平行線で、そのままの状態が続いているという感じです。これから調べていただいて、真実を明らかにしていただき、本当にどうだったか、公の場で示していただきたい。
 記者団 裁判の争点はどこになるか。
 北見弁護士 銀行側の主張がまだはっきりしない。
 私たちの「安全配慮義務を怠ったから今回の損害が発生している」という主張に、争う、としている。その姿勢は示されているが、どこをどう争うのか、明らかになっていない。それを2カ月かけて出してくることになる。
 私たちはその主張を見ないと、なんとも答えようがないのが現状。
 佐藤弁護士 安全配慮義務違反があれば、損害賠償は法的に認められなければならないが、その争い方もいろいろある。「安全配慮義務は尽くしたのだ」として、こういうことをやって尽くせたという主張もあれば、「安全配慮義務自体がこの場面ではないのだ」という争い方がある。いまの答弁書はその具体的な内容が出ていないので、わからない。
 千葉達朗弁護士 裁判は1カ月に1回のペースが普通だと思うが、今回は銀行側で2カ月ください、と。その訳として「ある程度まとまった主張をしたいので」と言われていたので、次回までには銀行の主張がまとまって出てくるのかな、と。それを見てからの判断ですね。
 記者団 安全配慮義務違反を否定の根拠は。
 北見弁護士 私たちが違反していると記載しているところに対し、答弁書では「否認ないし争う」だったり、「争う」になっているので、全面的に争うのかなと受け止めている。
 ほかは、「ここは認める」「ここは認めない」と認否しているが、そこはひとくくりで「全部否認ないし争う」になっているので、詳細は不明ですが、否定していると、こちらで受け止めている。
 記者団 これまでの震災時の安全配慮義務違反を訴えた裁判でも、今回のような答え方は多いのか。
 千葉弁護士 私が見聞きしている範囲では、初回から具体的に反論してくる場合もある。今回のように「追って」という場合もある。
 記者団 2回目が2カ月先という例も多いか。
 北見弁護士 大きな事件になると、相手方で準備に時間がかかるので、2カ月時間をとることはあるといえば、ある。
 記者団 法廷で北見弁護士は「もっと早くできないか」と話していた。2カ月先ではなく1カ月先ということか。
 北見弁護士 銀行のほうでは意見陳述の中にもあった通り、必要な検証は終えているというスタンスのようですので、「それであれば銀行の主張はもっと早く出せるのではないか」という趣旨で、私は言ったつもりです。ただ、そうは言っても、準備に時間がかかる、と。2カ月待つからには、ちゃんとしたものを出してくださいという気持ちです。証拠も主張もちゃんとまとめて出してほしい。
 記者団 現状で証人申請で検討されていることは。
 佐藤弁護士 相手方がどこを争ってくるのか、わからないので、それがわかった時点で提出することになると思う。
 記者団 避難の手法、防災の意識が、争いになるのでは。
 佐藤弁護士 その部分については、相手から書面が出てくれば解決する場合もある。相手の主張とそれに伴った書証を見てみてから、やることになる。
 北見弁護士 まず、私たちとしては銀行側に、今までこの事件で集めた証拠を出してほしい。有利不利を問わず、集めたものは出して、きちんと検証するべきではないかと思っている。まず銀行側が出すべきではないかと思っている。
 記者団 答弁書で指示、命令について認めている部分は。
 千葉弁護士 認否の仕方はいろいろある。「この部分は認める」「この部分は否認する」という仕方。あとは「この部分は認め、その余は否認する」という仕方。
 こちらが「支店長が屋上へ避難することを指示した」と主張した部分については、「認める」には入っていない。「その余は否認する」に入っているのだろう。
 ただ、そのことについて「指示はしなくて、こういうことだった」ということは書かれてない。「認める」には入っていないので否認なのだろうけど、さて、この部分についての主張はどうなのか。
 北見弁護士 こちらは「重要書類等の金庫への格納の指示」と「支店の入り口の鍵を閉める」「屋上への避難」と三つの指示を書いている。そのうち、支店入り口の鍵を閉めたことは認めていますが、格納の指示は「否認する」のほうに入っており、屋上への避難についても「否認する」のほうに入っている。
 佐藤弁護士 屋上の鍵は開けなさいと指示はした。その部分は認めている。どういう意図でこの部分を認めているのか、具体的な主張を見なければ、わからない。どこまで認めているのか、いまの時点ではよくわからない。
 記者団 最後に家族に。銀行側に何を求めたいか。
 高松さん 陳述書で言った通りですが、原因究明と再発防止策を示していただきたい。それだけですね。12名の犠牲を無駄にしないようにしていただきたい。
 田村さん 真実をしっかりと私たちに示してほしいということですね。津波が来るまで30分ありましたけど、その間、本当に何があったのか。どのような行動がされていたのか。私たちはずっと知りたかったのですが、その真実がしっかりと詳しく説明されてこなかったので、ずっと疑問を抱かずにはいられなかった。公開の場でしっかり、その部分を示していただければ。
 田村健太さんの父孝行さん この件は、銀行の管理下で起きたこと。きちんと検証し、提示するのが企業の責任だと思う。これをしないがために、家族がこの件を、銀行に代わって一つひとつ洗い出してきた。
 銀行のみなさんは一人ひとり倫理を持っている。でも、この裁判できちんとした論拠を出してこないのは、銀行の体質、幹部の保身も強いのではないか。そこを脱却するのが、公共性のある七十七銀行の役割だと思います。
 裁判は当然、したくなかった。本来ならば、銀行がきちんと検証し、いま働いている行員を守るための抜本的対策を提示するべきだと思う。
 丹野さん 2カ月と聞いて、長いなと思った。七十七銀行では検証はすべて終わっていますという話を私たちにされています。それなのに、なぜ、そんなに時間がかかるのか、と正直、思う。
 これから、そうやって、一つひとつ時間をとって検証していただけるのでしょうから、真実を明らかにして、企業の法的責任をきちんと認め、私たちみんなに謝罪していただき、抜本的再発防止を提示していただくよう、求めます。

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