2011/12/20

昭和56年県予選ベスト8の記事

*昭和56年は、古川高校が10年ぶりに夏の大会ベスト8入りを果たしました。その当時の新聞記事です。

仙台二、古川に惜敗
後半のチャンス生かせず

昭和56年7月21日 河北新報
球児の夏は全開。第六十三回全国高校野球選手権宮城大会三日目の二十日は、午前八時から宮城、評定河原両球場と東北高グラウンド、それに泉市の東北学院泉球場の四会場で1回戦の10試合を行った。
この日仙台地方は朝から真夏の太陽がじりじり照りつけて気温も急上昇、グラウンドでは汗と砂にまみれての熱戦を繰り広げた。
宮城球場の第1試合、仙台二ー古川は一進一退の好ゲームとなったが、3-3で迎えた八回裏、古川がバントから敵失を誘い逃げ切った。

一回戦(宮城球場)
古川に一日の長
仙台二002 001 000|3
古    川 010 001 11x|4
▽二塁打 伊藤正、金森、千崎▽暴投 桂島▽妨害出塁 伊藤(千崎)
▽試合時間 2時間48分
[評]伝統校同士の緊迫した試合は、攻撃力に一日の長がある古川に軍配が上がった。
3-3で迎えた八回、古川は先頭の千崎が左中間二塁打、箭内は定石通りバントで送ったが、これを処理した野手が一塁に低投、ボールが右翼線に達する間に、千崎が決勝のホームを踏んだ。
仙台二もチャンスをそつなく生かす試合巧者ぶりを発揮した。三回に無死一、二塁から二つのバントと金谷の右前適時打でリードを奪い、六回にも敵失を足場に犠打と金森の適時打で加点した。しかし七回はサインの不徹底からスクイズを失敗、八回にも先頭の金森が二塁打しながら後続がバント失敗などで生かせず、故障退場の氏家の後を踏ん張る渡辺の前に、攻撃がしりすぼみに終わった。

昭和56年7月26日 河北新報

古川、八回に逆転
古川 000 000 030|3
宮城工000 000 100|1
▽三塁打 伊藤▽二塁打 渡辺▽捕逸 千崎
▽試合時間 2時間30分
[評]鋭いカーブを巧みに配し、うまく打たせて取る古川・氏家とスピードでグイグイ押す宮城工・佐々木。息詰まる投手戦は終盤、一転して熱のこもった打ち合いとなったが、古川が気迫あふれる攻めで逆転勝ちした。
先手を取ったのは宮城工、七回、先頭の渡辺が左翼頭上を大きく越す二塁打。島田が送った一死三塁に、佐々木は2-2後のウエストボールに飛びついて投手左にスクイズ、これが内野安打となって均衡を破った。
しり上がりに調子を上げる佐々木。勝負もこれで決着がついたと思われたが、古川は八回、すばらしい攻撃を見せた。一死後、右前打の中鉢に続き、伊藤が右越え三塁打を放って同点。加藤もスクイズを警戒して前進してきた遊撃手の頭上を越す安打を連ねて逆転した。さらに、安打と死球で満塁と攻めつけ、渡辺が左前打して3点目を奪った。
両チーム無失策。攻守に気力あふれるゲームだった。



*なお、準々決勝で古川高校は惜しくも東北高校に敗退しました。

準々決勝
古川 000 000 00 |0
東北 000 110 05x|7

2011/10/22

昭和26年 古川高校初優勝を伝える河北新報

久しぶりに更新します。

古川工業の初優勝に沸いた今季の甲子園予選でした。甲子園では残念でしたが、大崎地方から初の甲子園、県下工業高校を見ても初の甲子園となりました(それにしても、強豪の仙台工業もいまだ甲子園に出場していないというのはちょっと驚きです)。

歴史を紐解けば、古豪・古川高校も過去に県下「優勝」の実績があるわけで、これは後世に伝えていくべきことでしょう。その昭和26年7月27日(金曜日)の河北新報の記事です。


初優勝に輝く古川高
ー高校野球決勝 宮工の打棒を完封




真夏の太陽のもと連日真摯なプレーに高校球児の熱と意気を示してきた全国高校野球宮城県予選は二十六日最終日を迎え宮城球場で宮城工ー古川高の間に決勝戦が行われた、十数年ぶりに県下のペナントをねらう宮工、三十余年の野球部史上に花を咲かせようとする古川高の両校のナインは必勝のまなざしもするどく、午後二時七分宮工の先攻で決戦の火ぶたが切られた古川高は一回先取点をあげて快調なスタートを切りその波にのって着々点を重ね一方五日連投の佐藤投手はこの日も宮工の打線を五安打に封じ八回野手の凡ヘッドに2点は失したがその裏4点をだめ押し堂々の優勝をとげ仙北の地に始めて優勝旗を持ち帰った
古川高8A-0(ママ)宮工高(*8-2の誤植)
宮工高000 000 020|2
古川高100 102 04A|8
◇五日間連投の古川佐藤投手は緩投でベースワークよく宮工打者のタイミングをたくみにそらした投球ぶりで気負い立つ宮工ナインを軽くいなして快勝した、宮工は一回から七回まで散発の三安打に封じられてチャンスなく、ややあせり気味になって打ち気がに出たが佐藤の緩球を打ち込めず八回二安打、一四球で2点差にちぢめたが後援つづかずやぶれた、古川はへき頭から果敢に攻め宮工佐伯投手の直球をよくミートして二安打一失に1点を先制、四回には後藤の三塁打と佐藤義の中前安打に加点、六回には二安打、二四球、二失に2点で勝敗をはっきりしたその後八回佐伯に代った庄司から四安打、二四球、一失で4点と決勝戦にふさわしからぬ大差をつけてしまった、敗れた宮工は主戦の佐伯をあまりに頼りすぎまた佐藤投手をあまく評価したのではなかろうか、前日の打線の冴えは影をひそめ内野守備もこれまでになくお粗末であった、とにかく県大会で優勝した古川佐藤投手の健闘は賞賛されてよい、また福島の東北大会には古川、宮工とも大いに活躍するよう期待する

*LFに故・鈴木先輩(大洋、セリーグ審判員)がいます。

2011/08/16

23年前の東陵初優勝

古川工業の初優勝に沸いた今季の宮城大会であったが、何でも仙台市以外の高校が夏の甲子園に出場したのは23年ぶりだそうである。そうか、そんなに経つのか・・・。忘れもしない気仙沼の東陵高校が初優勝して以来だ。

その強打の東陵打線の印象はいまだに強烈で、のちにプロに進んだ井上純(横浜ー千葉ロッテ)を中心に、どこからでもホームランを打てる大型チームだった。その昭和最後の大会、昭和63年第70回記念大会の総集編のビデオを見ながら、当時を振り返ろう。

第70回大会 東陵高校の成績

二回戦  東陵12-6利府
三回戦  東陵7-0石巻
四回戦  東陵13-2佐沼
準々決勝 東陵7-0仙台商
準決勝  東陵4-3仙台育英
決勝   東陵4-0東北


二回戦屈指の好カード、利府高校を強力打線で撃破した試合は、その後の大会の東陵の躍進を予感させるような試合だったが、準決勝の仙台育英戦の逆転勝利は特に印象的だ。
この年、仙台育英は春季県大会を制し、東北大会でも優勝。堂々の第一シードで大会を順調に勝ち進んだ。速球派の辻投手を筆頭に死角無しという感じで、県内でも頭一つ抜けている感じだった。東陵戦も終始リードし、勢いに乗る東陵もさすがに仙台育英には敵わないかと思われたのだが・・・。

東北から仙台育英に移った竹田利秋監督も仙台育英で3年目。好チームに仕上がり、期するところがあっただろう。9回表、仙台育英は甲子園にほとんど足をかけていた・・・しかしながら、この敗戦が、翌年の甲子園準優勝の糧となったのだと思う。
対する東陵の金沢規夫監督は元仙台育英の監督で、云わば因縁の対決であった。



*私は練習中にラジオで東陵の勝利を晴天の霹靂のように聞いた。この東陵の初優勝から23年も経ったということにまた驚いている。昨日のことのようだ。仙台育英の門脇主将 (捕手)は私の地元の先輩で、スーパースターだった。彼は試合後のインタビューで「悔いが残らないと言えば嘘になる、悔いが残る」というようなことを言っていたのを思い出す。翌年、私は自分の試合が早々と負けた後、観戦に行った準決勝の宮城球場のバックネット裏で、決勝に備え準決勝第二試合を見学している仙台育英ナインの中から大声で呼ばれ、誰かと思ったが応援に来ていた門脇先輩だった。幼かった私は、ずばり思い切って、彼に「あの一球」のことを聞いてみたが、彼は嫌な顔をせず、さわやかに「あれはパスボールなんだ」と言った(記録上はワイルドピッチではないかと思う)。




2011/07/26

決勝戦 速報 おめでとう、古川工業

古川工業、初優勝、甲子園初出場決定! 
大崎から初の甲子園!



古川工 000 001 110 | 3
利 府   000 001 000 | 1




*歴史的な宮城大会となりました。やり方次第で公立・私立の垣根は無いということを示した両校に拍手を送りたいと思います。古川工業の精神力には恐れ入りました。並大抵の努力ではこのような結果になっていないはずです。ただ努力するというのではだめで、野球はどうすれば勝てるかを、どのチームよりも必死に考えた結果であろうと思います。高校生同士の対決、どのチームにも甲子園のチャンスがあります。そのような時代に突入したと思いたい。いずれにしても、古川工業によって宮城県高校野球史に残る金字塔が達成されました。

間もなく決勝戦

私は海外に住んでいるために、直接放送を見れないのが残念だが、ここで私なりに決勝の予想をしておこう。

私の予想では6:4で利府高校が有利と見る。


利府高校の最近の主な成績

2010 ベスト4
2009 ベスト4
2007 ベスト4
2004 準優勝 (準決勝 利府9-8東陵、決勝 利府2-20東北)
2000 ベスト4
1999 準優勝 (準決勝 利府4-1東北 決勝 利府1-17仙台育英)
1998 ベスト4
1991 準優勝 (準決勝 利府3-0東陵 決勝 利府2-5東北)

素晴らしい成績である。そして今季は仙台育英を倒して波に乗るはずの仙台商業に快勝しての決勝進出。
もうお気づきかもしれないが、昨年の気仙沼向洋といい(準決勝で東北に勝ち、決勝で仙台育英に大敗)、東北・仙台育英・東陵の私学強豪を倒した直後の大敗が何故起きるのか?
おそらく、仙台商業は仙台育英と対戦する前に利府高校と対戦していれば、もっと僅差になった可能性がある。
これは、それだけこの3強と対戦することが、肉体面のみならず精神面でも消耗していることを物語っている。勝利すればなおさら激しい歓喜の衝動に駆られる。何故なら、それが宮城球児の目標であるからだ。東北・仙台育英を倒すのが。これは当然だ。しかし、問題は決勝を含めた戦いの準備をしてきているか、だ。

古川工業は利府高校より歴史の古い伝統を誇る。しかしながら、夏の大会は初の決勝進出に加え、最大の敵・東北高校を撃破してのこの決勝戦。あがるなという方が無理な上に、それ以上の緊張感と消耗戦が決勝には待ち構えているだろう。

それを古川工業が打ち破るには、打棒爆発と行きたいところだ。対する利府高校は甲子園も経験している上に、今回は実力での決勝進出。しかも、東北・仙台育英との対戦を回避しての決勝戦。やや精神的に上にいると見るほうが自然である。

果たして結果はどうなることか。
いずれにしても両校の健闘を祈りたい。

2011/07/25

速報・古川工業、初の決勝進出!!


準決勝 第一試合
古川工業 100 100 010 | 3
東  北 000 001 000 | 1

古川工業:山田
東北:上村ー片貝



古川工業、初の決勝進出!! 第一シード東北を破る!!


準決勝 第二試合
仙台商業 200 000 000 | 2
利 府   600 000 01X | 7


仙台商業:米
利府:加藤駿ー山田






*初めて訪れていただいた方へ。


このページは、「古川高校」を応援するページであり、近隣の「古川工業」とはまた別のものです。地元では、「ふるこう」と「こうぎょう」という呼び分けをしています。しかしながら、右サイドバーで表示される「人気の投稿」でも分かるとおりに、この速報に対するアクセスが膨大で一気に人気トップに躍り出ました。。。宮城県では私立の強豪、東北・仙台育英の壁が厚く、公立高校が甲子園出場を果たすのはほぼ10年に一回のペースであると思われます。
私たちは母校・古川高校が旧大崎リーグから初の甲子園へ行って欲しいと願ってきましたが(http://furuko-baseball.blogspot.com/2010/07/blog-post_1427.html)、ともに同リーグ(旧大崎リーグ)で長年切磋琢磨してきた好敵手・古川工業の今大会の活躍にただ賞賛し、決勝での活躍を祈るばかりです。また、私が現役の頃は、決勝で相対する利府高校の小原監督は古川工業の若き監督でした。
現在では、古川学園、大崎中央の県大会での躍進、さらに一迫商業、決勝進出の古川工業、利府、と北部地区は中部地区に劣らない激戦区の様相を呈してきました。。。


2011/07/11

仙台、古川に快勝 全国高校野球宮城大会(河北新報コルネット)



仙台―古川 7回表仙台1死満塁、白井の死球で三走佐藤駿が生還し、2―1と勝ち越す=福祉大


第93回全国高校野球選手権宮城大会第3日は11日、仙台市の東北福祉大球場などで2回戦を行い、仙台は古川に6―1で快勝した。仙台二、小牛田農林、石巻北、佐沼も勝ち3回戦に進出した。
 仙台は1―1の七回、1死満塁から白井秀啓の押し出し死球で勝ち越し、さらに中村修平の左前打など打者9人の猛攻で4点を挙げた。仙台二は二回に工藤健功の右前打で先制し、その後も着実に加点した。小牛田農林は7―0で涌谷にコールド勝ち。石巻北は4―1で仙台向山を下し、佐沼は7―0で仙台高専広瀬に快勝した。
 第2日の10日は、仙台市のKスタ宮城など5球場で1回戦11試合を行い、石巻や志津川、古川黎明、東北学院、気仙沼向洋などが2回戦に進んだ。

 ▽2回戦
仙台 100000401=6
古川 001000000=1




*古高残念ながら仙台に敗北。7回までは互角の試合をしていただけに、終盤の戦いに課題が残る。選手はご苦労様でした。今年は大震災の影響でじゅうぶんに練習できなかったかもしれません。試合ができただけでも、これは感謝すべきことです。仙台高校には今後頑張って勝ち進んで欲しいと思います。
とはいえ残念ですが、この敗北をしっかりと胸に受け止め今後を歩んで欲しいと思います。特に2年生以下は、何故郡部の学校が仙台勢に弱いか、また仙台勢も中央に出ると何故勝てないかを考える必要があるかと思います。これは古高の伝統でもありますが、そろそろ打ち破ってもいい伝統です。というか、打ち破らなければ甲子園は遠い。実際の力の差はほとんどありません。毎年いい試合はする。試合は作るが、最後は負ける。恐らく、郡部の学校が東北・仙台育英を倒して甲子園に行くには、野球のスタイル・概念・練習方法をまったく変えてしまう必要があるのではないかと思います。高校生にそれをのぞむのは酷というものですが、甲子園に出るには一日一日の練習の質が東北仙台育英に匹敵する以上のものでなければならない。まずは、敵を良く知る、これから始まるということでしょう。

試合速報




2回戦

終了
 123456789
仙台1000004016
古川0010000001
古高、無念。仙台高校に敗れる。

2011/06/27

宮城大会組み合わせ決定 asahi.com


第93回全国高校野球選手権大会 宮城県予選の組み合わせが決定した。古川高校は、2回戦、7月11日、東北福祉大球場・第一試合(9時開始)で、仙台高校と対戦することになった。仙台高校は甲子園出場経験のある強豪であるが今年の大会は何が起こるかまったく予想できない。古川高校も今年は例年以上に調子が良さそうだし、好試合が期待できる。
頑張れ古川高校!



2011/04/10

春季高校野球東北大会を中止 福島は県大会取りやめ

東北地区高校野球連盟は9日、盛岡市内で開いた東北6県の臨時理事長会議で、6月9~13日に宮城県内で予定していた春季東北地区大会の中止を決めた。

 東日本大震災で大きな被害を受け、福島第1原発での事故の影響を受ける福島県高野連が、県大会の中止を決め、宮城県高野連も中止を検討しているため。例年、春季東北大会は各県の代表3校により、18校で行われているが、東北地区高野連によると、東北大会の中止は秋も含めて初めてという。
 宮城県高野連は10日の臨時理事会で県大会中止を正式に決める。岩手県高野連は19日に結論を出す方針。青森、秋田、山形3県の高野連は予定通り県大会を行う。
 夏の甲子園を目指す各地方大会は、開催を目指すことを確認した。
 東北地区高野連の宗像治理事(福島県高野連理事長)は会議後、「『一県でも県大会ができなければ、東北大会を中止すべきだ』との考えで一致した」と述べ、「置かれている状況を考えれば、部員にとって我慢も勉強だと思う。夏の大会を運営できるよう努力していきたい」と話した。

河北新報コルネット 2011年04月10日日曜日



*このような未曾有の大災害に直面するのは、東北球界始まって以来のことです。長らく更新を中断しました。言葉が出て来ません。

今回の中止は英断だと思いますが、一日も早く球児たちが全力プレーできる日が来ることを願っています。この春季大会の中止を補うような特別な大会を、夏の予選終了後でも、今年の現役3年生には与えるくらいの関係各位の懐の深さが欲しいと思います。野球がやれる選手は、野球で倒れるくらいのいい思い出を作って欲しいと思います。

復興の足音と、球児に対する大声援が、街に甲高く響く日を期待して止みません。

2011/02/15

古高激闘集3 古川ー佐沼(平成元年)


第71回高校野球選手権宮城大会 二回戦(平成元年)

古川 010 000 000 |1
佐沼 001 100 00X |2

平成元年の初戦(二回戦)は、伝統の佐沼高校との対戦となった。実は伝統ある古高ー佐沼両校の夏の大会はこれが初めてなのである。しかもこの翌年も佐沼戦と立て続けに2年死闘を繰り返すことになるのだが・・・。

佐沼高校の左腕・冨士原と捕手・金野(志津川ー松島高校監督、現佐沼高校)は中体連の優勝バッテリーで、高校でも1年からバッテリーを組み経験豊富。最終学年でも秋季県大会ベスト4、春季県大会もベスト4、第4シードとしてこの夏の大会を迎えた。

対する古高は、2年生中心の若いチームながらこのシーズン22戦のチーム打率が.380という切れ目のない打線を誇っていた。また、春季県大会ベスト16で仙台育英に大敗したあと(10-3)、エース石ヶ森は外角カーブのコントロールに磨きをかけ、直前の練習試合でノーヒットノーランを記録するなど、波に乗っていた。

長年チームを率いた沼倉監督は過労で入院、代役として昭和46年東北大会準優勝時のサードで慶応義塾大学で活躍した佐々木監督とともに、打倒佐沼を目指して最後の練習を積んでいた。

試合は当日雨で流れた。翌日、試合に向かうバスの中に監督の姿は無かった。身内の不幸で試合に来れなくなってしまったのだ。代わりに背広姿の元監督・沼倉部長が影の采配を執った。サインは2年生の遠藤に出させていたと思う。

冨士原は変則モーションから直球とカーブの球速の違う球種を投げてくる。古高打線はいい当たりはするのだが、すべて野手の正面をつくか、ポップフライをあげてしまうのは、カーブと速球の球速と高低さに眼が若干狂う為である。とにかく打ちづらい投手であった。

対する古高エース石ヶ森もコーナーに投げ分けるカーブが冴え渡り、シード校をわずか3安打に抑える完璧な内容。古高は冨士原に対してわずか2安打。立ち上がりの制球難を巧みに攻略できなかったのが最大の敗因となった。

古高も主将浅野を中心に、再三攻守で沸かせる場面もあったが、結果的に好投のエース石ヶ森を見殺しにする結果となってしまった。なお勝ち進んだ佐沼高校はこの夏も準決勝に進出。甲子園準優勝の仙台育英には打ち込まれたが、秋・春・夏ベスト4という安定した結果を残した。


2011/01/28

大館鳳鳴、初出場おめでとう


雪の中で届いた初の朗報 21世紀枠・大館鳳鳴(秋田) asahi.com


大館鳳鳴は1899年の創部以来、春夏を通じて初めての出場となる。午後3時半、選手たちは雪の舞う中、校舎の正面玄関前で高橋校長から朗報を聞いた。その後、円陣を組み、「鳳鳴! 鳳鳴!」と喜びの声を上げた。 例年、冬場は基礎体力づくりに力を入れるが、今冬は12月中旬に21世紀枠の推薦校に選ばれたため、選抜大会への出場を視野に実戦練習もしてきた。斉藤監督は「ほかの出場校の投手の速球や、選手たちのスイングの速さは自分たち以上だと思う。しかし、相手に合わせたり、物おじしたりせず、一戦一戦を大事にしたい」と語った。小貫主将は「うれしい気持ち半分、信じられない気持ち半分。大観衆にのまれることなく、自分たちのできるプレーを、一つずつ積み重ねていきたい」と話した。


大館鳳鳴高校おめでとうございます。念願の甲子園初出場を果たしました。秋季秋田県大会優勝ですから立派なものです。また、徳島の伝統校・城南高校も初出場を果たしました。古川高校も同じような甲子園未経験の伝統校ですから、いい刺激になったことと思います。いつか雪の中で「古高!古高!」と叫んでみたいですね!いやそのうち絶対来ますよ。がんばれ古高!

大館鳳鳴高校 明治31年(1898)の創立、明治32年(1899)創部。 2011年甲子園初出場。
徳島城南高校 明治 8年(1875)の創立 明治31年(1898)創部。 2011年甲子園初出場。
古川高校    明治30年(1897)の創立、大正10年(1921)創部。 甲子園出場経験無し。


2011/01/16

投稿「OBの声」1

補足:


昭和56年は、準々決勝まで進出しました。東北高校相手に、相手打線がスクイズでしか攻められないまでに善戦、また、相手の3投手を引き出しましたが、惜しくも敗退しました。

氏家投手のがんばりと、伊藤主将の妥協してこなかったの言葉が、すべてです。

S58年卒業、野球部OBです。
今は、北海道で、野球をやっています。ファイターズの応援をしています。北海道在住20年。

白河の関を越えて、津軽海峡を渡るすべてを体感しています。
野球発祥の地のひとつとされるこの地を実感しています。

「妥協しない」と目標と楽しむことが、甲子園への道だと思います。
冬にも、野球するのが、回答だと思います。

ここ、北海道では、冬に野球するために工夫しています。
長い目でみたら、冬の筋トレもいいですが、どうやって、年中野球できるか、がすべてです。

そこが東北と北海道の違いだとおもいます。




金原 雅樹(昭和57年度(昭和58年3月)卒 野球部OB)


春季東北大会のメダル

春季県大会準優勝のトロフィー


*管理人より

金原先輩、投稿ありがとうございました。昭和56年夏のベスト8の結果が抜けている旨のご指摘をいただき、訂正させていただきました。その後こちらより無理を言って、当時のメダルとトロフィーを見せていただきました。これは大変貴重なものです。現役生も、このようなものを目標に是非頑張って古高旋風を巻き起こし甲子園出場を果たして欲しいと思います。

全国のOBの皆様、匿名でも構いませんので、ふるって当時の思い出や、後輩への期待を「OBの声」としてお寄せください。また、当時使用したユニフォームや新聞記事など、さまざまな資料の提供を呼びかけます。

2011/01/05

古高グラウンドに行ってみた


昨年末、古高グラウンドを訪ねました。だいぶ整備されたグラウンドに変貌していて驚きました。 

この上の外野の写真ですが、私が現役当時は、草で覆われていました。それでたまに草刈をするのですが、今度は刈った草を集めて捨てなければならずそれが物凄い大変でした。ひどい時は、深夜11時にようやく終えて帰ったこともあります。 


また、ブルペンもあります。























三塁側にもベンチがあります。当時はこのどちらもありませんでした。



それに、この照明ですが、我々の時は工事現場で使用するライト一基のみがあり、それをグランドに照らして練習後のグラウンド整備をしました。 









当時の思い出ですが、練習終了後も1年生はグラウンド整備と用具の手入れ、及び自宅に戻ってのボールの修繕が残っていました。それで、翌日の練習でイレギュラーや用具に不備があると、恐怖の「センターダッシュ」という罰則があるわけです。 

これは、センターの最も奥(センターのネットのさらに奥のフェンス)にタッチして、ホームベースまで戻ってくる1年生だけの徒競走で、1位から抜けていくことができます。 

当時我々の同期は7人しかいませんでしたが(最終的に3年まで残ったのは5人)、私は足の早いほうでは無かったので、5~7本くらい走ることがほとんどでした。片道140mくらいある訳ですから、これがどのくらいの運動量になるか想像してみてください。 

それではじめの一本目から全力を出しても足の速い奴には勝てないので、若干手抜き気味に走るとまたそれを先輩に見抜かれ、無条件にダッシュの本数を増やされるというまさに鬼のシゴキでありました。 



それにしてもこの古高グラウンドの空を仰いで、汗を流し、声を出したものです。


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